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女王蜂は“異端”にして“ポップ”であるーー担当プロデューサー×柴那典が語るデビューから『Q』まで

2017年04月29日 10:03  リアルサウンド

リアルサウンド

女王蜂

 女王蜂が4月5日にアルバム『Q』をリリースした。『奇麗』以来、約2年ぶりのアルバムとなる今作では、DAOKOをフィーチャリングに迎えたダンスチューン「金星 Feat.DAOKO」など、全9曲が収録されている。


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 2011年、メジャーデビューのタイミングで映画『モテキ』のテーマソングに「デスコ」が起用、そしてにバンド自身も映画に出演し、それ以降シーンのなかで大きな存在感を発揮してきた女王蜂。5枚目のフルアルバムとなる『Q』は、ボーカルのアヴちゃん自身も「最高傑作」だと断言しているという。


 今回、リアルサウンドでは、所属レーベルであるソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズのチーフプロデューサー薮下晃正氏と、音楽ジャーナリスト柴那典氏の対談を企画。ゆらゆら帝国やスチャダラパー、真心ブラザーズ、フジファブリック、凛として時雨などの音楽ディレクションを歴任、女王蜂をデビュー前からサポートしてきた薮下氏と、女王蜂の東京初ワンマンを目撃し、それ以来その活動を追ってきた柴氏。それぞれの立場から、女王蜂との出会いや彼女たちのシーンでの立ち位置、アヴちゃんの作家性、そして最新作『Q』に至るまで、じっくりと語ってもらった。(編集部)


■「女王蜂は、『デスコ』でポップネスを獲得した」(薮下)


薮下晃正(以下、薮下):僕が初めて女王蜂の存在を知った時は、YouTubeで公開されていた映像をきっかけに、「神戸のバンドでやばいバンドがいる」と話題になっていました。コーネリアスの小山田圭吾さんや、ゆらゆら帝国の坂本慎太郎さんが「女王蜂の『デスコ』って曲、やばいですよ」みたいに言っていたのもあり、気になって。初期の女王蜂はライブで木魚を叩いたり、かなりぶっ飛んでるシュールなパフォーマンスだったと人づてに聞いていて、当時は「メジャー向きじゃないのかな?」と勝手に先入観をもってたんですけど、偶然大阪のフェスで初めてライブを観る機会があって、その時期には音楽的に急成長してたんですよ。「デスコ」の前は、オルタナティブで、ダークで近寄りがたいグループだったのが、「デスコ」でポップネスを獲得して、非常にキャッチーなポテンシャルを持っていました。ポストロック的というか、パンクやガレージ、ダンス、グラム、昭和歌謡みたいな色々な要素がごった煮になっていて、「うわ、これカッコイイ!」と興味を持ってメンバーに接触したのがきっかけです。ちょうどその時、僕はミドリの担当としてその現場に行っていて、女王蜂はサブステージだったので、真夏の屋外フェスで楽屋が用意されていないことにアヴちゃんが怒っていて(笑)。


柴 那典(以下、柴):はははは。


薮下:それでミドリの楽屋を女王蜂に貸してあげたのが最初の出会いですね(笑)。2010年のフジロックのROOKIE A GO-GOのステージを観たヒステリックグラマーの北村信彦さん(同ブランドのデザイナー)も衝撃を受けて、その後の東京のヒステリックグラマーのパーティーに呼んだんですよ。そこで、東京のカルチャーシーンのキーマンたちがみんな女王蜂を初めて体験した。その中には大根仁監督もいて、後の『モテキ』の出演にも繋がって行くんです。


柴:僕はその後の2011年の2月、渋谷のclub asiaで行われた東京初ワンマン(「魔女ミサ」)で、初めて女王蜂を目撃しました。今薮下さんがおっしゃった通り、客席には業界人がたくさんいた印象があります。その時点で、僕のところにも「とんでもないのがいるぞ」という噂が人づてで伝わってきていた。これは観ないとダメだというムードがありましたね。で、実際にライブを観てひっくり返ったという。


薮下:当時は神戸在住だったので、東京でのライブがほとんどなかったですからね。


柴:はい。その時点で、女王蜂というバンドとして、ある種完成している印象でした。その時にライブレポートを書いたので個人的にすごく覚えてるのが、音がめちゃくちゃデカかったことですね。シューゲイザー的な轟音というよりはノイズの轟音で、爆音だった。


薮下:その頃の女王蜂は強迫観念の塊という感じでしたから。ベースのファズを踏んだ瞬間に鼓膜が破れるぐらいの爆音で、「こんなんでやってたら難聴になるよ」って言っても、「これじゃなきゃやだ!」みたいな。攻撃的で、ピリピリしてて。常に爆音じゃないと落ち着かないみたいな、異常な音量でしたよね。


柴:その後My Bloody Valentineの耳栓が配られた復活ライブを見たんですけど、あれの方が耳に優しかった(笑)。


薮下:(笑)。強力な野性味というか、ここで全て終わってもいい、今日ここで死んでもいいぐらいの覚悟があったと思います。刹那的で、そこが女王蜂の魅力でもあるんですが。


柴:当時はみんな、このバンドはそんなに長くは続かないだろうと思ったのではないでしょうか。例えばミドリも最初に観た時から刹那的で、あっという間に終わっちゃうかもしれないという魅力はありましたね。


薮下:そうですね。ミドリもそうですし関西には何かしらそういうところがありますよね。あふりらんぽやボアダムス、N’夙川BOYSも、ものすごくオルタナティブで先鋭的なことをやってるんだけど何故かポップに見える。女王蜂も本人たちはいつ死んでもいいぐらい前のめりなんだけど、見え方的には極めてポップに映っていたと思います。


柴:確かに。関西ならではなんでしょうね。魅力的にはみ出しちゃう人たちがいる。でも、その中でも女王蜂は最初からメイクもばっちりだし、この世の人間じゃないような、異世界感が最初からあった。年齢も素性もわからないけど、エンターテイナーとしての矜持みたいなものを感じました。


薮下:僕としては、「デスコ」は、作家として、シンガーソングライターとしてのアヴちゃんの非凡な才能の片鱗が垣間見えた曲でした。一見、異端ではあるけど、アーティストとしての豊潤な才能の芽生えを感じたんです。あと、僕が面白いと思ったのは、女王蜂は当時から独特の美学に裏打ちされたかなりインパクトのあるビジュアル・イメージにも強く固執していて、煌びやかなライブ衣装もアルミホイルやガムテームで常にDIYしてたり、メジャー1st『孔雀』のフォトセッションでは特殊メイクで背中に杭を刺したり、孔雀の羽根を顔に貼り付けたりしていた。のちのレディー・ガガとかFKAツイッグスといった海外の先鋭的R&B系の人たちにもそういうタッチのシュールなビジュアルが流行って、女王蜂って少し先に行ってたのかなと思ったり、何やら共時性を感じました。


柴:そのマインドとファッション、アート性みたいなところで通じ合うところはありますよね。


薮下:意外と女王蜂のそういう部分って無自覚なんだけど、海外のロックやファッションのトレンドとも妙にシンクロして来ているように感じることが多々ありますね。


柴:なるほど。僕はその初ワンマン以降は、フェスで女王蜂を観ることが多くなりました。今振り返ると、2013年頃の日本のロックシーンは、いろんな趨勢が切り替わったタイミングだったと思うんです。ひとつはももいろクローバーZやでんぱ組.incなどの女性アイドルグループがフェスに出るようになり、ロックファンに浸透してフェスの中でも勢力を拡大していった。その一方、ロックバンドも、KANA-BOON、KEYTALK、キュウソネコカミのような、お客さんと一緒に盛り上がるパフォーマンスを意識したバンドたちがどんどん勢いを持って人気を増やしていったのもその頃でした。でも、女王蜂はそのふたつのムーブメントのどちらにも属さない。明らかに孤高だし異色のまま我が道を進んでいたイメージです。


薮下:おそらく、映画『モテキ』に抜擢されたことによる影響もあるかと思います。女王蜂もN’夙川BOYSも、何処にも属さない非常に個性的なグループでありながら『モテキ』への出演を経て、新しいポップカルチャーとしてエスタブリッシュされた感がありますね。


柴:なるほど。『モテキ』に抜擢されたバンドの代表はフジファブリックですよね。(フジファブリック「夜明けのBEAT」は、映画、ドラマともに『モテキ』のテーマソング)。実は、彼らが当時すごく象徴的なことを言っていました。フジファブリックはもともとThe Bandなどスタンダードなロックの素養のあるバンドなのですが、今の編成になってから2013年にリリースした『FAB STEP』で明確にディスコビートに乗り出した。その時に彼らにインタビューしたんですが、「今のフェスのお客さんにアジャストするためにはディスコ本来のBPM120くらいのテンポではダメで、BPM140以上にしないと盛り上がらないことを実地で学んだ」と言っていたんですよね。ちなみに「夜明けのBEAT」のBPMがだいだい150。だから、フジファブリックの「夜明けのBEAT」が、ここ数年のフェスの潮流を作ったひとつの源流とも言える。


薮下:確かに「夜明けのBEAT」によって、踊れるロックとしてリマインドされたというのはあると思います。そこから今の形にどんどんシフトしていく流れが確実にありますよね。実はフジファブリックも僕が担当なのですが(笑)。


柴:00年代後期は、ロックはもっと刹那的で自己破壊的、カタルシスのものだった気がします。女王蜂も、初期の作品の魅力のひとつとしてカタルシスがあったと思います。特にアルバムの最後の曲ですね、「燃える海」(『孔雀』収録)とか。


薮下:そうですね。Radioheadの「Creep」的な曲というか、実はとてもエモーショナルで本当に感動的な胸に沁みる曲なんですよね。女王蜂は当初のエキセントリックな印象が強かったから、ゴシックっぽかったり、あるいはおどろおどろしい昭和の歌謡曲的なイメージが先行してるとは思うんですが。


■「初期の女王蜂は、箱庭的なイメージがあった」(柴)


柴:2013年には一時休止した時期もありましたね。


薮下:例えるなら成長痛みたいなものですよね。いきなりメジャーデビューして、そこで加速してさらに生き急ぐ精神に体の各所筋肉がついていけなくなってしまった。実際、ギギちゃん(G)の利き腕の原因不明の強い痛みという肉体的なことに起因する脱退もあってバンドのバランスも崩れてしまって、やしちゃん(B)も神戸に帰ることになって実質脱退、結果一年間活動を停止せざるを得なくなりました。映画『モテキ』の大ヒットによる反響もあって、状況も一番よくなってる時にいきなりフッと止まってしまった。でも今となっては逆によかったのかなとも思いますけどね。あのままやってたら本当に死んでたんじゃないかなと思うところも、正直ありましたから。この期間を経たことで、作品に向き合う姿勢がより強くなりましたし、逆境の中で一度自分を見つめ直して、ライブだけではなく、楽曲作りも含めてやっぱり私は女王蜂をやるしかないとアヴちゃん本人の中で女王蜂再生を決意させる、まるで生贄のような、禊のような重大な出来事だったんじゃないかなと思います。


柴:休止中にアヴちゃんは獄門島一家のボーカルとしても活動を始めて。KenKenさん、中村達也さん、長岡亮介さんという、シーンのキーパーソンとも言えるような人と一緒にやることで、変化もあったと思うんですが。


薮下:その通りですね。獄門島一家のセッションを通して、バンドをやる楽しさみたいなものを追体験したんじゃないかと思うんですよ。それを経て、獄門島一家はやっぱりすごい楽しいけど自分にとってのホームはやはり女王蜂だなと思い至った。それで彼女がやしちゃんに会いに神戸に行って邂逅して、女王蜂のリバースに繋がるんですよね。


柴:僕としては、初期の女王蜂は、箱庭的というか、アヴちゃんのこだわりと美意識と世界観の中で全部を完結させていたようなイメージがあります。


薮下:まさに箱庭です。曼荼羅みたいなもの。


柴:そうそう。そこにはもちろん美しさと衝撃性はあるんですが、刹那的であるがゆえにどこまで行くかわからないし、当然行き着くところまで行っちゃうだろう状態だった。それが、一度休止して、アヴちゃんが獄門島一家をスタートさせたことでうまいこと空気が抜けた。プラス、ディスコ感というか、ディープでダークなだけではない軽い感じが入ってきたのは、その獄門島一家のエッセンスがうまく作用しているのかなと。


薮下:箱庭ということだと、河合隼雄の箱庭療法というのがあるんですけど、ある種の精神疾患の方って箱庭の中に曼荼羅を描くことによって自己治癒して、外の世界に出て行ける。つまり医者が治すのではなく、自ら治るんだそうです。そういう意味でいうと、女王蜂も箱庭の中で自己治癒していくプロセスとして、獄門島一家をはじめ徐々に外の世界に触れることで大きく自己治癒して、ポップなことやってもいいんだなと思い至ったような気がしますね。


柴:おそらく曲のモチーフというのは初期から今に至るまで、そこまで変わってないと思うんです。でも、サウンドメイキングは結構違っていて、『孔雀』『蛇姫様』はかなり音圧高めですが、『奇麗』以降はそこまでギチギチしてないですよね。


薮下:そうですね。サウンドの凄味、迫力だけで相手を殺さなくていいということに気づいたんだと思います(笑)。鋭さだけではなく、音楽の、楽曲の素晴らしさでも敵は倒せるし、ポップでもいいということに気づいた。女王蜂も本来そういう側面もあったのに、あえて出さずに突っ張ってきたけれど、活動休止と獄門島一家を経て、メッセージや思いはあれど、その伝え方が全てハードでアグレシッブである必要はないと気付いたんだと思います。


柴:「ヴィーナス」を聞いた時に、こんなに軽やかなんだと驚いた記憶があります。


薮下:「ヴィーナス」は『怪奇恋愛作戦』(テレビ東京系ドラマ)の主題歌ということもあり、ダンスチューンを作ろうという話になりました。その時はアヴちゃんも、MJとかプリンスとかデヴィット・ボウイとか、いろんなことを吸収していた時期でもありましたね。奇しくもみんなお星様になってしまいましたが……。また、『怪奇恋愛作戦』のエンディングテーマが電気グルーヴの「Fallin' Down」だったんですよ。そこで電気グルーヴとの繋がりが生まれて、石野卓球さんに「ヴィーナス」のリミックスを頼むんですよね。卓球さんとの接点が生まれたことにより、クラブとかイベントでも会って交流するようになった。何をやっても、ちゃんとポップでダンスミュージックとして機能するというのは、彼の影響もあるように思います。


柴:卓球さんとの接点が生まれたことによってアーティストの新しい才能が開花したことって、過去にも例があるんですよ。その代表が七尾旅人。初期の七尾旅人は伊藤銀次のプロデュースだったんですが、どうも相性が悪くて、所属していたレーベルの消滅もあって、行き詰まっていた。でも、その頃に卓球さんと仲良くなった。石野卓球 Feat.七尾旅人「ラストシーン」のようなコラボもリリースされてました。そのあたりから、今につながるような自由奔放で刺激的な七尾旅人本来の才能が表に出てきた。「はみ出しちゃっていいんだ」っていう自信を旅人さんに与えたのは、卓球さんだと思う。


薮下:それに近いのかもしれないですね。Seihoに「デスコ」のリミックスを頼んだり、アナログの7インチを切ったり、そこでクラブ的な感覚も生まれ、これまで以上にダンスとかソウル、ファンクという音楽にアヴちゃん自身も興味を持った。その経緯が、『ヴィーナス』から『奇麗』に至る流れじゃないかな。その頃から、レコーディングにサポートメンバーや外部スタッフも関わるようになりましたし、卓球さんとの出会いによってLIQUIDROOMのクラブ系のイベントや海外アーティストのライブにも遊びに行くようになるんです。そこでアヴちゃんが出会ったのが、同世代のLicaxxx、また今回MVを制作してもらったdutch_tokyo(yahyel)だったみたいです。それまでは割と孤高の存在と思われがちだった女王蜂が、いわゆるクラブシーン的なフロアーにもこれまで以上に足を踏み入れ始めたみたいな。


柴:なるほど。やっぱり、いわゆる“石野卓球再生工場”みたいなものってあると思います(笑)。卓球さん本人は多分「そんなんじゃないよ」って言うと思いますけど。


薮下:「そういうのやめてもらっていい?営業妨害だ!」みたいな(笑)。でも、卓球さんをはじめとするこの時期の色々な方との出会いからアヴちゃんの様々な可能性が大きく進捗していったのは間違いないと思います。


■「『Q』は、決して到達点ではなくむしろ始まり」(薮下)


薮下:今回の『Q』でも「金星 Feat.DAOKO」ではDAOKOさんをフィーチャリングに招きました。「金星」はすでに一度リリースした曲でもあるので、今回はそれをアルバム用にリコンストラクションしようと。聞くところによると、もともとDAOKOさんも女王蜂が好きで、ライブにも来てくれていたらしく、アヴちゃんもDAOKOさんのライブに行って、そこで打ち上げまで参加し意気投合して、今回のフィーチャリングに至りました。柴さんがTwitterで書いてくれたように、「金星 Feat.DAOKO」にDAOKOさんが参加してくれたことが、これまで女王蜂を知らなかった人にまで伝わるという意味で大きく影響したんじゃないかなと思います。女王蜂のそれまでの先入観を払拭するという意味でも。


柴:女王蜂の初期に持ってた刹那感、カタルシス、破壊みたいなものがどこにもない。ドンキとかでかかってそうな印象でした。


薮下:お洒落なセレクトショップやアートショップではなく、普通にドンキでかかっているみたいな(笑)。キッチュで、だからこそある種フィジカルでポップな作品になったと思います。


柴:キッチュさが引きになりましたよね。女王蜂って孤高であるし、文脈がたくさんあって理解するのにいろんなことを踏まえなきゃいけないんだけどーーもちろん、それはよさでもあるし、一度好きになったらずっと好きでいられるタイプのバンドなんだけどーー、女王蜂について何も知らなくても、「あ、これいいじゃん」ってポチッと買える曲が生まれたというのは、女王蜂にとっても大きい。


薮下:今までの女王蜂って、好きな人はすごい好きだし、知らない人は全く知らないバンドだったと思うんです。でも、今回ある種の軽やかさをまとって大きく拡散したタイミングではあるのかなと思います。


柴:一方で「Q」みたいな曲も入ってますし。


薮下:「Q」はアヴちゃんが本当に大事にしてる曲で、彼女の中の聖域のような不可侵な部分、アイデンティティみたいなものが強く反映してると思います。女王蜂はやっぱりネガがあることでポジがあるみたいなバンドだから、そこがなくなると、存在意義がなくなってしまうように思います。


柴:「Q」はとても強い曲で、「金星」とはまた違ったキャッチ力があるんですよね。あんなパワーを持った曲を聴くと、みんな射抜かれちゃう。「DANCE DANCE DANCE」とか「金星」みたいな曲はアルバムの最初に入っていて、中盤の「失楽園」などもあって、「今回はディスコでキラキラしててキッチュで女王蜂変わったね」って思ってたら、最後の3曲でちゃぶ台返されるみたいな(笑)。特にラストの「雛市」の<汗水垂らして三万円 生唾渇かして三回戦>っていう一節がすごい。内容もさることながら、韻の踏み方、メロディの乗り方、語呂の良さも含めて、詞としての完成度がとても高いと思いました。アヴちゃんがインタビューで「この部分の歌詞は元の形から変えるように言われて戦った」と話していたのを読んだんですが、これはもともとは違った歌詞があったんですか?


薮下:最初は、歌詞がもっとアグレッシブでした。そこで、アヴちゃんと話して少し変えてもらいましたね。もちろん彼女の中で葛藤もあったけど、今回これだけポップなアプローチをしていて、ただその歌詞が原因となって、本来の意味が曲解されてしまったり、届くべき人に届けられないとなると、それはバンドにとって大きなデメリットを受ける可能性もあるので、ちゃんと話してアヴちゃんにも合意してもらいました。結果、当初とは違った意味でより深みのある表現に昇華出来たんじゃないかなと思います。


柴:なるほど。僕はいちリスナーとしては、そういう制約やせめぎ合いの中で発揮される作家性というものは好きなんです。ある種の規制や要請に直面して、自分のやりたいこと、自分の出したい世界観が100%表現できないとなったときに、そこでただ諦めるでも、突っぱねるでもなく、絶妙なラインをついてくるタイプの表現者は、本当の力を持っていると思うので。


薮下:言葉としては直情的であることはもちろん大切だけど、見せすぎない、虚実がわからないぐらいのほうがいい場合もあるんじゃないかなと。アヴちゃんには独特の文学性、ボキャブラリーがあるんですよね。「雛市」もそうですが、歌詞も敢えて古い言葉を自己流で使うし、散文的、現代詩的でもある。音としてもグルーヴのあるサウンドライクな歌詞でもあるんですけど、そう言えば今回アルバム作る時に、最初はヒップホップなアルバムにしよう!みたいな話もあったんですよねー(笑)。


柴:へえ。それは興味深い。


薮下:アヴちゃんと色々話す中で、今って実はそういういわゆるロック・ミュージック然としていないアプローチの方が、寧ろロック的なんじゃないかなーという話になったんですよ。『Q』のジャケットも、僕は撮影には行けなかったけど、アヴちゃんから特殊メイクによるメタモルフォーゼな写真と一緒に「アノーニみたいでしょ?」ってメールが送られてきて、「おー、なるほど。いいじゃん!」と僕も思って。女王蜂も一見異形ではあるけど、そこにいろんなポップネスが混在してると感じていたので。プリンスやデヴィット・ボウイに感銘を受けつつ、夜のクラブ・カルチャーも吸収して、庵野秀明の『エヴァンゲリオン』や『シンゴジラ』、岡崎京子の影響もあって。そういういろんなものが闇鍋状態になってるんですよね。『Q』はそういうメタな情報量も入ったものをカットアップして、全く違う表現としてコラージュしたようなアルバムになった気がします。


柴:確かに。女王蜂が孤高なのは間違いないですけど、ドレスコーズの志磨(遼平)さん、卓球さんなど、孤高であることを尊ぶ仲間たちが周りにいますよね。そういうのが、まだ生まれてない新しい風潮の先駆けである可能性もあると思います。


薮下:音楽業界は景気が悪いかもしれないけど(笑)、実は面白いバンドはいっぱいいるじゃないですか。D.A.N.とかDYGL、yahyel、PAELLAS、ちゃんみな、KANDYTOWN、ペトロールズみたいなアーティストが、少しずつEXILEとか三代目 J Soul Brothersみたいな音楽が好きな人たちにも届いて行けば、日本の音楽シーンはもっと面白くなっていくんじゃないかなと。今は、例えば三浦大知がKOHHを語る時代だし、w-indsがボーカル・ドロップの手法を取り入れてより深化させたR&Bサウンドを展開したりと僕らが思ってる以上に日本のミュージシャンや、それを取り巻く状況がメジャー、マイナー問わず世界とシンクロし始めた時期だと思うんですよ。


柴:僕も、2017年に入ってからガラッと空気が変わったと感じています。10年代の前半、つまり2011年からの5年間が、たとえば「KAWAII」カルチャーのようないい意味でのガラパゴス的な日本のポップカルチャーが称揚される時代が続いていたとすると、去年くらいからそれとは別の潮流が生まれ始めて、それが今年より強くなっているんじゃないかと。


薮下:そうですね。その中で女王蜂はどれだけまたメタモルフォーゼしていけるのかってことがキーだと思ってるんですよ。やっぱり、今までは「女王蜂ってああいう感じでしょ」という対外的イメージがあったし、敢えてそういう風にリマインドしてる彼女たち自身の振る舞いもあったけど、そこが今大きく変わりつつある。ライブ自体も、スキャンダラスで煽情的なことだけじゃなくても単純にショーとしてこれ以上踊れるライブないだろう、ぐらいの強力なグルーヴもあるので。


柴:アヴちゃんはパフォーマー、コンセプターとして、もともと抜きん出た才能を持っていると思います。なので、今薮下さんがおっしゃった色んな刺激を受けて、今いい種が撒かれているのではないでしょうか。今回の『Q』は、ディスコティックなものとフォークなもののふたつの層のあるアルバムですけど、初期の頃と今この音楽性があれば、これから先何をやっても許されるというか。例えばくるりもそういうバンドで、『さよならストレンジャー』から『THE WORLD IS MINE』にかけて4枚アルバム出したあたりで、次に何が来ても驚かれないバンドになったんですよ。女王蜂も今回のアルバムを経て、好きなことができるチケットを手に入れたんじゃないかなと思う。ハドソン・モホークが作ってるようなエレクトロをやっても映えるし、一方でアヴちゃんはおそらくシャンソンとかもルーツにあるだろうから、そっちで舞台を作っても面白いと思いますし。


薮下:ありがとうございます。昔って、YMOとか戸川純がいきなりお茶の間に出るみたいな瞬間ってあったじゃないですか。『笑っていいとも!』とか『オレたちひょうきん族』に出演して、次の週には小学生がみんなレコード買ってたみたいな(笑)。今の時代だとそれってマツコ・デラックスとかピコ太郎、ブルゾンちえみかもしれないけど、音楽でも異形のもの、アンダーグラウンドなものが、あるポイントを経てポップシーンで顕在化する可能性ってすごいあると思っていて。そういう価値観の大きな転換、パラダイムシフトというのが起こり得る時代だと思うので、女王蜂みたいなバンドがオリコン1位をとったり紅白出たりすることも夢じゃないなと思うし、その可能性を信じてみたい。なので、『Q』は、最高傑作でありながら、決して到達点ではなくむしろ始まりであって、女王蜂にとってこの先の輝かしい未来を見据えたひとつのマイルストーン的な作品になっているんじゃないかと思います。


(取材・文=編集部)