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橋本愛 × 永野芽郁 × 染谷将太、劇中バンドが面白い! 『PARKS パークス』音楽の魅力

2017年04月26日 19:43  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2017本田プロモーションBAUS

 今年、開園100周年を迎える吉祥寺の井の頭公園を舞台にして、一本の映画が生まれた、その名も『PARKS パークス』。企画したのは、2014年に惜しまれながら閉館した吉祥寺の映画館、バウスシアターのオーナー、本田拓夫だ。そこには「映画館の終わりを映画の始まりにしたい」という想いがあったらしいが、映画と公園に共通するものといえば、人が集まる場所を提供すること。『PARKS パークス』という物語も、様々な人々や時代が交差して不思議な場を生み出していく。そこで人々を導く重要な役割を果たしているのが音楽だ。


(参考:橋本愛は形なき表現の「器」になるーー『PARKS パークス』で見せた美しさと強さ


 ヒロインは井の頭公園の近くに住んでいる女子大生の純(橋本愛)。最近、恋人と別れ、大学からは留年通知が届き、何をやってもうまくいかない。そんな純の前に突然現れたのが、見知らぬ女子高生のハル(永野芽郁)だった。ハルは亡くなった父親、晋平(森岡龍)についての小説を書こうとして、若い頃に晋平が住んでいた吉祥寺にやって来たのだ。ゼミのレポートの題材にちょうど良いと思った純は、ハルに協力して、晋平のかつての恋人、佐知子(石橋静河)を一緒に探すことに。残念ながら彼女は少し前に亡くなっていたが、佐知子の孫、トキオ(染谷将太)が遺品のなかからオープンリールのテープを見つける。そこに入っていたのは、晋平と佐知子の歌声だった。


 偶然が重なって巡り会った3人の男女。彼らを結びつけるのは、オープンリールに残された未完成の曲だ。「僕らの物語は/この公園から始まる」という歌詞は、晋平と佐知子の物語であると同時に、純、ハル、トキオの物語の始まりを告げている。もちろん、公園とは井の頭公園のこと。ちょっとした表情や動きで感情を巧みに表現する橋本愛と、天真爛漫な力強さがある永野芽郁との組み合わせは絶妙で、2人の間を縫うように染谷将太が瞬発力のある演技で自由に動きまわる。そんな3人のアンサンブルはピッタリと息があっている。


 3人は晋平と佐知子の曲を「PARK MUSIC」と名付けて最後まで完成させようと決意するが、誰ひとりとしてろくに楽器が弾けない。そこで彼らはバンド・メンバーを探しはじめる。集められたのは、子供にピアノを教えていた鍵盤奏者や、大工のドラマー、パンク・バンドの女性ベーシスト、井の頭公園で演奏していたミュージシャンなど、ばらばらな4人。彼らはバンド、Jurassic Parksを結成して、吉祥寺の音楽フェスに出演することを目指す。仲間と晴れの舞台を目指して頑張る、まさに音楽映画の王道の流れだが、本作はそういうお約束な感動路線から、するりと身をかわしていく。


 本作の監督を務めたのは瀬田なつき。これまで彼女は、木下美紗都、蓮沼執太、池永正二(あらかじめ決められた恋人たち)など、様々なミュージシャンを自作のサントラに起用し、音楽にはこだわりを持ってきた。そんな彼女が本作でパートナーに選んだのは、シンガー・ソングライターで映画音楽や舞台音楽も手掛ける鬼才、トクマルシューゴだ。もともと、瀬田はいちファンとしてトクマルの音楽を聴いていて、本作では脚本作りの段階からトクマルとアイデアを交換しながら物語を作りあげていった。それだけに映画には、たっぷりと音楽が染み込んでいる。


 もちろん、「PARK MUSIC」はトクマル作。フォーキーな男女デュオの曲が、ラップをフィーチャーしたJ-POPソングへと変化していくあたりは、トクマルの腕に見せどころ。橋本のナチュラルな歌声を聴かせつつ、染谷が『TOKYO TRIBE』の時とは対照的に肩の力の抜けたラップを披露する。そして、曲が出来上がって行くにつれて3人の気持ちは変化していくが、なかでも大きく変化するのが純だ。


 純は少女時代に子役としてテレビのCM出演して注目を浴びたものの、タレントとしてブレイクすることはなく、それ以降、何をやっても中途半端で投げ出してしまう。そんな純が一大決心をしてフェスに出ることがひとつのクライマックスになっているのだが、〈瀬田ワールド〉が炸裂するのはその先だ。フェスをきっかけに大きく変化する純の胸の内を、瀬田は現実と幻想を行き交うユニークな演出で描き出す。また、それまでにも、過去のエピソードが描かれるシーンで晋平と佐知子のやりとりを、すぐ横でハルが見守っていたりと、過去と現実の境界は曖昧で、時間も現実もスキップして越えていくような軽やかさが、物語にグルーヴを生み出している。公園を気持ちよく自転車で走り抜ける純。いつも開け放たれた純のアパートの窓から吹いてくる風。その心地良さは、まるで映画がハミングしているよう。


 そして、そうした軽やかさをさらに引き立てているのが音楽だ。トクマルをはじめ、相対性理論、スカート、シャムキャッツ、高田漣、Alfred Beach Sandal、大友良英など、実に20組以上のアーティストがサントラに参加。一部のミュージシャンは映画に出演もしている。不思議なのは、これだけ様々なミュージシャンが提供した曲が、映画のあらゆるところに使われているのに音楽をうるさく感じないこと。音楽に登場人物の内面を語らせたり、ミュージック・ビデオのように音楽を際立たせたり、そういうありがちな演出を排して、音楽を映画のなかに自然に溶け込ませることができたのは、瀬田×トクマルのコラボレーションの賜物だろう。純、ハル、トキオが井の頭公園を駆け回りながらフィールドレコーディングするシークエンスは『はじまりのうた』を、ラストの公園を舞台にした手作り感溢れるミュージカル・シーンは『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を思い出させたりもしたが、どちらの作品もミュージシャンとしてのキャリアがある映画監督が撮った作品。瀬田監督は純たち同様、楽器はひとつも弾けないそうだが、楽器を操るように映画を撮ることができる才能の持ち主である。


 映画を観終わった後、気になったのがハルの存在だ。純やトキオが一歩前に踏み出すきっかけを与えた彼女は、どこから来て、どこへ行ったのか。そもそも彼女は実在したのか。正体不明の少女、ハルは井の頭公園の妖精のようでもあり、彼女が風のように映画のなかを駆け抜けることで事件が起こる。


 音楽、人、街、いろんなものが混じり合い、のびのびと動き回る『PARKS パークス』は公園みたいな映画だ。「公園から始まる物語」は観客のなかで膨らんでいき、エンドロールの先に観る者それぞれの公園が広がっている。映画のタイトルが複数形なのは、そういうことなのかもしれない。


(村尾泰郎)