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香川照之の顔芸はなぜ説得力があるのか? 『小さな巨人』、鍵となるのは“勘”と“匂い”

2017年04月23日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 長谷川博己主演の日曜劇場『小さな巨人』が4月16日からスタートした。1話では、父親の夢であった捜査一課長を目指すノンキャリアの出世頭であった香坂真一郎(長谷川)が、ひとつの取り調べのミスがきっかけで出世の道を閉ざされ、警視庁を去り、所謂「所轄」に左遷されてしまうというストーリーが描かれた。


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 放送後は、日曜劇場ではお馴染みともいえる香川照之の「顔芸」などが話題となった。また、長谷川が家に帰ると、そこには妻の市川実日子が待っていた……という『シン・ゴジラ』ファンには、矢口蘭堂(長谷川)と尾頭ヒロミ(市川)が結婚しているようにも捉えられるパラレルワールド的な設定に喜ぶツイートも見られた(逆にあざといと感じる人もいたかもしれないが)。しかも、市川が、長谷川のシャツを嗅いで「臭い!」という場面もあり、『シン・ゴジラ」で尾頭が矢口に「正直、少し匂います」と指摘するシーンを思い起こさせる憎いサービスもあった。


 この作品には「匂い」という単語や「勘」という言葉が多用されている。長谷川の上司であった捜査一課長の小野田(香川照之)の「証拠はある。それは私の勘だ」というセリフに始まり、安田顕演じる所轄の刑事の渡部も香坂から張り込みをしていた理由を聞かれ「匂ったんだ」と答える。しかも、安田の足は実際に臭い設定でもある。また、捜査一課長になるのが夢だった香坂の父親は、「人のことをよーく見てるとな、匂いまで見えるようになってくるんだ。勘というやつだ」と言っていた人で、香坂の脳裏にはその言葉が今でも焼き付いているのだ。


 もともと香坂は理論派であり「匂い」を信じる人ではなかった。だから渡部から「ただの勘ですよ」と言われると、「勘などで動かないで下さい。捜査は理論に基づき、組織で行動するものです」と答える。


 しかし、そんな香坂が、ふとした瞬間に、事件の「匂い」を感じてある人物に飲酒運転の取り調べをしてしまったことで、彼の人生の歯車が狂ってしまう。だが、歯車は狂ってしまっただけなのか。もしかしたら、このまま「匂い」に鈍感で、警察組織のしがらみだけを見ていたら、どこかでもっと大きく足元を掬われていたのではないかとも思えてくる。


 一方、小野田の右腕の一人である山田春彦(岡田将生)も、「匂い」や「勘」には頼らず、理論で生きている人物だ。小野田の「勘」によって香坂が左遷されたことを知ると、「一課長は勘で人の人生を決められたというのですか」と疑問を隠さない。この言葉には、どこか良心を感じさせるものがあるが、よく言えば純粋、悪く言えばまだまだ「甘ちゃん」な若造であることも感じさせる。


 それにしても、このドラマの俳優たちの演技はデカいというか臭い。これは悪口でもなんでもなく、そういう演技がこのドラマでは必要とされているのだと思う。本作の登場人物たちは、そうしないと生きていけない人たちなのだ。「人が人を決める」という人事に振り回されて生きる人々は、日々騙し騙されという世界の中に存在しているわけだから、すべての会話が化かしあいになってしまう。日常会話であっても演技的でないと、出世争いというゲームに負けてしまうのだ。だからこそ、その化かしあいの頂点にいる小野田の演技は一番、臭くなくてはいけないのである。


 しかし、「勘」や「匂い」とは一体何なのだろうか。


 渡部は「所轄は足しか使えません」と言うが、勘とは足を使って得た膨大な情報の中から導き出した答えなのかもしれない。香坂のように誰かの罠によって(まだそれは明らかにはなっていないが)陥れられた場合、冷静に足で情報を集め、状況判断をしてひとつひとつ解決することが、復活の糸口になる。それでも、香坂が敏感に感じないといけない「匂い」に蓋をされることだってある。このドラマでも、香坂が転落するきっかけになった出来事の裏にはひとつの事件が関係している上に、その事件は小野田たちによって隠ぺいされようとしている。香坂は蓋を開けて、その「匂い」を追及しなければいけない。


 香坂は1話の最後のシーンで小野田に「勘」で戦いを挑む。彼らの戦いの裏には、ひとつの事件がこれからも関わってくるだろう。香坂が足で稼いだ「勘」でその事件を解決するか、小野田が事件を解決させないために「匂い」を封じるのか、それが物語の肝になっていくのだろう。この物語は、匂い対匂い、勘対勘の戦いを描いていくのではないのだろうか。(西森路代)