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BOMIの『SING/シング』評:歌は無条件に速いスピードで人の心に届く

2017年04月19日 11:32  リアルサウンド

リアルサウンド

BOMI

 BOMIが新作映画を語る連載「えいがのじかん」。第3回となる今回は、『怪盗グルー』シリーズや『ミニオンズ』で知られる、イルミネーション・エンターテインメントが贈るアニメーション映画『SING/シング』をピックアップ。日本でも4週連続で映画動員ランキング第1位を獲得し大ヒットを記録している本作を、ミュージシャンのBOMIはどう観たのかーー。


参考:『SING/シング』監督が語る、ピクサーとイルミネーションの共通点「強いリーダーの存在がある」


 『SING/シング』はもう、私、大好きな類のもので。そもそも、急に誰かが歌い出す映画が昔から好きなんです。『天使にラブ・ソングを2』のライブシーンのローリン・ヒルや、『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』の幼少時代のシーン、ミュージカル『レント』のお葬式のシーンのように。誰かがふっと歌い出すシーンフェチと言ってもいいかもしれません。そんな私にとってオーディションの体を取っているこの映画は、まさに名シーンの嵐でした。後半30分なんて、もうずっと鼻水ズイズイすすりながら泣いていたような気がします。否、泣いていました。最近だと『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』を観たときの感想に近い。それはどういうことかと言うと、幼少期の原初的に見た風景や感じた気持ちを思い出すのに近い。例えば3歳の子供から80歳のおじいちゃんおばあちゃんまでみーんなが観て楽しめる作品だなと思ったんです。ザッツ・エンタメ! ですね。


 これって凄いことで。観る人が例えどんなにひねくれていようが、どこかしらにグッときてしまうポイントがあると思うんです、この作品には。まぁ、私は、タイトルの通り、やっぱり“歌”の力が大きいなって思いました。なんていうか…声の響きって、国境を越えるんですね。身体の鳴りのいい人は、見ているこっちはもうそれだけで圧倒されちゃう。ニューヨークでふらっと入った教会でゴスペルに触れただけで、なんだか胸が熱くなる。『アメリカン・アイドル』や『Xファクター』なんか観てても同じ。国歌斉唱も見るのが好きで、ついついググってしまう…。声って、無形の文化財みたいなもので、聞いてる側の身体にもビリビリ響く。言葉のいらないテキストなんですね。


 よく歌詞を書いている時に思うのですが、歌詞を書くという作業は、メロディの無限の可能性をとても限定してしまう作業だなと。歌詞を書いて、メロディーとサウンドの手触りはめちゃくちゃよかったのになっ…という時もあります。もちろん、歌詞なしのハミングでいわゆるポップスの曲を出すことは難しいし、無限のままでは表現になりようがないから、限定していくことがその曲の輪郭を作っていくことだと思うので仕方ない作業ではありますが、いつも無限の可能性に一番ワクワクするのは、歌詞をつける前のメロディーを口にした時だったりします。


 個人的には、ゾウのミーナの声を担当していたトリー・ケリー、ゴリラのジョニーの声を担当していたタロン・エガートンがとても好きな声の響きでした。ヤマアラシのアッシュのスカーレット・ヨハンソンは、一味違う、味のある声をしていて流石だな、と思いました。というか、俳優さんが歌が上手いってなんかもう、素晴らしいですよね。表現力の塊。歌手に勝ち目なしです。ブタのお母さんロジータ役のリース・ウィザースプーンも、美声を披露していました。


 キャラクターの声を担当しているキャストの声がみんなめちゃくちゃ素晴らしいというのはもちろんですが、使われてる楽曲がオールジャンルカバーされていたところもよかった。スティーヴィー・ワンダーの「Don’t you worry bout a thing」なんて、前後の文脈が加わることによって「あ、そういう意味だったんだ…」と新しい歌詞の解釈を知ったようで、より歌詞が深く胸に刺さりました。


 さらに、この映画では登場人物が多くかつ並列されていて、みんなが主人公。普通なら、全員にスポットライトを当てるのはなかなか難しい。なのに、それをなんなくやってのけ、ちゃんと各々見せ場を作っているところもよかったです。それは映画のコンセプト自体が“オーディション”という体を取っているからできたことでもあります。


 “オーディション”と言えば、私も中高生の時、(当時から歌手になりたかったので)いろいろ受けまくりました。何を歌ったかな…あんまり定かじゃないんですが…。あ、歌に入るまでに50秒前奏のある曲を歌って、審査員に怒られたことがありましたね。高校生の頃には背伸びをして、アリシア・キーズなんかを歌ったりしていました。当時は大阪に暮らしていたのですが、最終オーディションは東京であったんですよ。だから、東京という街は私にとってとてもキラキラしていましたね。


 そう、中高時代は私にとってかなりの暗黒時代で、当時ぶっちぎりでいじめられっ子だった私が、無理をして人とコミュニケーションを取らなくても、身を委ねられる場所が、歌だった。歌を歌っている時は、いじめられずにすんだ。歌を歌うことが自分の救いになっていたんですね。もちろん緊張はするのですが、たくさんの人の前で歌った時に、そういった気持ちが解放されたような気がしたんです。『SING/シング』では、私がその時に感じた解放感が、縦横無尽に、映像とともに存分に表現されていました。


 やもすると、一見どこにでもあるストーリーの退屈な映画に思えるかもしれない。でも、この普遍的なストーリーをつぶさに描くことが、『SING/シング』という映画が成功した理由なんじゃないかなと思うんです。町のはみ出し者や嫌われ者、自分が本当にやりたいことをできないような、どこか社会にうまく適合できない部分を持ったキャラクターたちが、抱えているものを解放していく(本当の自分の気持ちに気づく)シーンがたくさん登場します。表現することって、原初的な感情の体験としては、自己顕示欲云々ではないんだな、純粋な“好き”なんだなって。この作品では、“音楽”こそが登場人物。みんなの解放のツールであり、“救い”になっていた。


 歌は、無条件に速いスピードで人の心に届きます。本で、1文字目を読んで泣いてしまうことってなかなかないと思うんですが、音楽では、1音目を聞いて泣いてしまうことってありますよね。それに加え、ストーリーというゆっくりしっかり進むモーターが徐々に加速して、冒頭にも書いた通り、主人公たちと一緒に時間を経た私は、文字通り観客目線で、ラストのライブシーンでずっと泣きっぱなしでした(笑)。台詞ではなく音楽に状況を語らせ過ぎてしまっているが故によくわからなくなってブレてしまう作品があったりもしますが、『SING/シング』はそれが嫌味なくストレートにやれていた。この種のストレートさ、大事。


 私は字幕版を観たのですが、吹替版も大好評だそうで。吹替版は、音楽プロデューサーが蔦谷好位置さん、歌詞監修がいしわたり淳治さんという鉄壁の布陣なんですね。


 いしわたりさんは素晴らしい歌詞を書かれる方ですが、歌詞のディレクションに特化したお仕事もされていて、またこれがとてもスゴいんですよ。昔、友達のバンドが一度いしわたりさんに歌詞の監修をしてもらったことがあって、最初の歌詞を読ませてもらった後に、いしわたりさんがこことここを変えたと聞いたところが、「わかる!」と手を叩きたくなるくらい、指摘や提案が的確で。より言葉の解釈が鋭く、深みが増すやり方を心得ていらっしゃるんですね。私自身も歌詞を書きますが、言いたいことは明確にあるのにうまく言葉が見つからない時って結構あるんですよね。そういう時に適切な言葉を与えてくれる方だと思うので、吹替版の歌詞も相当スゴいことになっているんだろうと思います。蔦谷さんも、サウンドプロデューサーとしてど真ん中に投げられる素晴らしい方ですから、この組み合わせはやっぱり気になりますし、吹替版も観てみたいですね。字幕版と吹替版を両方観比べると、より楽しさが増すような気がします。


 さて、本編が終わってすぐに『SING2』製作決定! と出ていましたが、今作でもう壊れかけた劇場は建て直されてしまうことが決まった故、ストーリーがどうなることやらちょっぴり心配ですが、でもきっと観に行ってしまうだろうな。映画の中の純粋なみんなに会いたくて(笑)。(BOMI)