2017年04月15日 16:22 リアルサウンド
3Dアニメが好きになれなかった。60年代後半のTVアメリカン・アニメ絶頂期は、東京12チャンネルや10チャンネル(現テレビ朝日)などの18時台のアニメに夢中だった。『ディック・トレイシー』『ポパイ』『トリオ・ザ・3バカ』 などなど。『ディック・トレイシー』の渋滞を制してパトカーが走りまくるイントロが好きだった。パトカーにあおられた人々の阿鼻叫喚の表情は、我々と同じ目線の不安感があふれていた。まぶしいはずの米国人達なのに。
その頃のアメリカン・アニメには実写と同じ、泣き笑い痛みがあふれていた。日本の空間と、極論すれば寅さんとも通じる人間味が米国アニメにも通っていた。そうしたお茶の間アメリカン・アニメ群は、日本では『ウルトラマン』以降の超人系ドラマにおされ、アメリカではよりパワフルなアメコミヒーローの映画進出などで霞んだ。
90年代以降の3Dアニメをどうしても好きになれなかったのは、3Dのツルっとした背景や人物の奥に、街のザワザワ感やキヨホウヘンの感情が感じられなかったからだ。
しかし『SING/シング』の冒頭シーン、運営が振るわないライブ劇場を見つめるコアラの支配人バスター・ムーンの視線の先にいる動物達、その中にいるキリンの丸く曲がった背中から強烈な哀愁が漂うのを見た時、「これはヒョっとす?」と傑作を予感させられた。
的中。劇場の起死回生のイベントとして、賞金1000ドルでオーディションをするはずが、手違いで「10万ドル」と記載されたポスターがばらまかれ、街が狂喜乱舞して物語は始まる。現代のリアルな米国人の呼吸が、画面に爆発していく。25匹の子ブタを育てる夫婦、売れないパンクロックを歌うヤマアラシのカップル、ゴリラの窃盗団たちと、画面狭しと住人たちの生活感が炸裂。画面の奥どころか、飛び出すほど。次々と移動ズームする生活空間。3D時代ならではのジェットコースター・カメラワークによって映し出されたのは、実際の様々な家庭、暮らしを暗示させる、とてつもなく愛嬌のある動物達だ。
冒頭から使われまくるポップス名曲達にも注目だ! 公称60曲といわれるが、数え方によって何と85曲も使われているらしい。108分の映画で無音部分もあるから、ほとんど1曲1分以下の使われ方。ポップスマニアの大滝詠一は、かつてNHKFMで「アメリカン・ポップス伝」というポップス史番組を作った。曲のエッセンスの部分だけを選び、30曲以上の曲を1時間で流す。その横断のスピードにより巨大なポップス史のスケールを体感させてくれた。
『SING』には似たような意義がある。『SING』で使われた曲は、1956年のフランク・シナトラの渋いスタンダード「Pennies From Heaven」をはじめ、1958年の大ヒット、ザ・コーデッツ「Lollipop」、1959年のデイヴ・ブルーベック・カルテットのジャズ曲として有名な「Take Five」や1965年のゾンビーズの超マニアックな曲「The Way I Feel Inside」から1988年のワールド・ミュージックヒット、ジプシー・キングスの「Bamboleo」、2009年のレディー・ガガ「Bad Romance」そして2014年の我らが、きゃりーぱみゅぱみゅの「きらきらキラー」に至るまで、ありとあらゆる時代の曲が猛スピードでシャッフル。「ポップスって時代を超えるんだ、良い曲に古い新しいなどない!」と覚醒させられる。レッチリとパヴァロッティとエミネムとエルトン・ジョンが同居しているのだ! ラップとジャズとオペラが同様に楽しい! 深掘りジャンルの巨大な垣根に窒息させられそうになっている流行音楽を蘇生させるパワーがここにはある。
個人的には、それほど好きでなかったデヴィッド・ボウイ&クイーンの「アンダー・プレッシャー」が、まさに的を射たプレッシャー場面に使われ「こんなに泣ける曲だったんだ!」とその良さに気づかされた。
監督ガース・ジェニングスが中心になって選曲したとのこと。きゃりーぱみゅぱみゅについては「キラキラしていて、パワフルな、き、きゃるぃ……うまく発音できないが、彼女の映像を見て、ぜひとも登場させたくなったんだ」という。昨年12月LAにおけるレッド・カーペットで、きゃりー本人が登場すると、監督は「会えるとは思わなかった!」と喜んだという。この監督の数少ない作品に、マニアの間では神格化されている『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!』(出演)があることは特筆すべきだろう。
さて、冒頭に述べたようにサエキは3D表現について「ノッペリしていて内面性に欠ける」と仇のように思っていた。トラウマになるきっかけはツルンとした映像が自分には退屈きわまりなかった2002年『アイス・エイジ』だった。『SING』の制作について調べてビックリ。プロデューサーのクリス・メレダンドリは、僕がクソだと思った『アイス・エイジ』が最初の制作だった。その後2007年にイルミネーション・エンターテインメントを立ち上げる。『怪盗グルーの月泥棒』『怪盗グルーのミニオン危機一発』を大ヒットさせ、この『SING』のメガヒットによって、イルミネーション・エンターテインメントは、ピクサー、ドリームワークスに続くアニメーションの第三勢力となった。
3Dアニメが抱える「立体である必然性の難しさ」という問題は『SING』では完膚無きまでにない。
まず、背景描写が2D,2.5D,3Dとキメ細かく要所で使われる。この場合の2.5Dとは、実写を微妙にアニメ線描でトレースした表現。特に本物の街の息づかいを伝えようとする冒頭では、風景の実写映像、実写トレース、アニメ描写が、躍動する小楽曲群と連動してクルクルと入れ替わっていく。その繊細さはちょっと凄い。
そしてなんといっても動物たちの表情の豊かさだ。特に興奮すると、ハリの毛が飛び散るヤマアラシの女性パンクロッカー・アッシュ。動画サイトでも抜群の人気の彼女の秘密は、ロック・シンガーの表情を研究しつくした表情筋の動き。特にツラそうなほど歌に酔う時の眉と閉じた目尻、あのロック歌手独特の法悦の表情を信じられないほど上手に再現している。
ぬいぐるみで表現されると顔に触りたくなる。2Dアニメとの違いは、触感に訴えてくるところ。心臓がバクバクしそうな可愛いエピソードが沢山用意された。主婦ブタ、ロジータが面倒を見る25匹の子ブタ達も、画面いっぱいに25の表情をぶつけてくるのでたまらない。なんといっても可愛さのクライマックスは、主人公のコアラ、バスター・ムーンが金に困って、自動車洗車のモップになってしまうところ。そのモフモフ感は、アニメ技術の細かさだけではなく、困り果て、人生を半分投げた人間が発する「祈るような脱力感」が下味になっている。オーディション物語ということで、様々な人生がオムニバスで畳み込まれたこのミュージカルの凄さは、多数のユニークな登場人物(動物)の匂いを3Dアニメで発させたからなのだ。
さて、チビのネズミ、やたらプライドが高く歌唱力のあるマイクがクライマックスでとんでもない逆境をハネ返しながら熱唱する「マイ・ウェイ」。その歌の真価が日本人には伝わらないことを述べておこう。
「船出の歌」として映画中でもおなじみの訳詞で歌われる「マイ・ウェイ」。残念ながら原詞とはまるで内容が違う。原詞の直訳内容をサエキが綴ってみる。「今、人生が最後に近づく。友達に囲まれていて、心に嘘はない。もめごとばかり起こしてきたけれど、思うように生きてきた俺の道。身のさだめを逃げないで進んだ。思うまま生きよう、自分の道。手に余ることならだれにだってある。いいあいや、どなりあい、遠慮せずしよう 心の思うまま生きよう自分の道。自分のすべてを、裸でさらそう。自分がもし自分でなくなったらどうする? 他人の人生は、借りることができない!そう心の思うまま生きようマイウェイ」
どうだろう? アメリカの肉体労働者なら、だれもが泣いて合唱しそうな「マイ・ウェイ」の歌詞の真実。それは身分や人種を問わずに心をとらえる飾り気のないアメリカン・ポップスのパワーを現している。素晴らしいポップスは新旧問わず、歌詞もカッコいい。この歌詞の内容で、あの生意気なネズミ君に捨て身で熱唱されたら、グっと来るだろう?(サエキけんぞう)