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朝ドラの“お約束”崩す『ひよっこ』、脚本家・岡田惠和の狙いは?

2017年04月10日 11:13  リアルサウンド

リアルサウンド

「おはようございます。増田明美です。今日から半年間、声のおつきあいよろしくお願いします」


参考:有村架純、“色っぽい”義姉に


 連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『ひよっこ』(NHK)は、この人を食ったナレーションでスタートした。普通、朝ドラのナレーションは劇中人物が担当するものだが、元マラソンランナーで現在解説者の増田明美がわざわざ名前を名乗ってから語り出すなんて前代未聞である。もしかしたら本人役で今後登場するのか? 脚本は岡田惠和。朝ドラ登板は2001年の『ちゅらさん』、2011年の『おひさま』に続いて三度目だ。


 物語の舞台は東京オリンピックを目前に控えた1964年。主人公は奥茨城の農村で暮らす高校生・谷田部みね子(有村架純)。第一週では東京で出稼ぎをしていた父親の実(沢村一樹)が帰省し、家族総出で稲刈りをする場面が描かれた。


 一週目を見終わって思ったのは「自由だなぁ」ということ。エピソードやキャラクターは歴代の朝ドラを踏襲しているのだが、ひとつひとつの見せ方は斬新である。その最たるものが増田明美のナレーションだろう。第二回の冒頭では「今日からでも大丈夫ですよ」、みね子の叔父・小祝宗男(峯田和伸)が登場する際に「朝ドラには変なおじさんがよく出てきますよね」。なんというかナレーションというよりは、Twitterで増田明美が、朝ドラを見ながらつぶやいているみたいな感じだ。


 このナレーションが顕著だが、岡田惠和のドラマには、常に物語を外側から見ているような距離感が存在する。おそらく自分の書いている物語が、作り物であることに対して自覚的なのだろう。自著『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)でインタビューした際に「現実に近づけようという考えがあまりないんです。リアリティという言葉もそんなに好きではない」と語っていたのを、よく覚えている。おそらく「こうあるべき」みたいな「お約束」が好きではないのだろう。だから岡田作品は「恋愛ドラマだったら普通はこうなるけど~」みたいな物語のお約束をわざわざ登場人物に喋らせてからドラマを展開するというメタ・フィクション的な構造になりやすい。


 その意味においても『ひよっこ』は、朝ドラであることに対してとても自覚的な作品で、だからこそ壊そうとしている部分も見え隠れする。雑誌『NHKウィークリーステラ・4/14号』(NHKサービスセンター)のインタビューで岡田は、今回の朝ドラは「週単位で物語を区切らない」「“一話入魂”、一日一日が違うドラマだから、どの曜日に何が起こるかわかりません(笑)」と語っている。


 第一週だけ見ても、近年の朝ドラの定番であるヒロインの幼少期の話は無し。第4回にいたっては、みね子の父・実が主役と言ってもいい回となっており、近年の朝ドラが作ってきた基本的なフォーマットをかなり崩しにかかっている。その意味でも、リアリティを担保としないフィクションであることに居直った作品とも言える。本作も含めて岡田惠和の世界観は「悪い人が出てこない」「ファンタジー」「ユートピア」と言われがちだ。しかし、こういう虚構性の高い作品だからこそ、浮き彫りとなる現実がある。


 わかりやすいのは、峯田和伸が演じる宗男おじさんの存在だろう。『奇跡の人』(NHK-BS)から引き続き岡田作品登板となる峯田は、岡田惠和の世界観に違和感なく馴染んでいる。素朴な喋り方のせいか、民話の登場人物のような存在である。しかし、明るい変なオジサンに見える宗男だが、背中には(おそらく戦争で負っただろう)痛々しい傷痕がある。その傷については、みね子のモノローグで「戦争から帰ってきて人が変わった」と父から聞かされたとしか、今は語られていない。『ステラ』の同インタビューで岡田惠和は「時代の光と影」を描きたいと語っている。この一見優しい世界の裏側には宗男の背中の傷のように残酷な現実が常に張り付いている。だからこそ一見絵空事めいた世界が切実に響いてくるのだ。


 岡田惠和はドラマから現実を排除しようとする。しかし、排除した空白に、より過酷な現実が映りこんでしまうことがある。それは朝ドラにおいて特に顕著だ。2001年の『ちゅらさん』の時には放送終盤で9.11ニューヨークの同時多発テロ(9.11)が、2011年の『おひさま』の時には放送直前に東日本大震災(3.11)が起きている。 『ちゅらさん』では9.11が起きたことで、劇中ではあえて描かれなかった沖縄の米軍基地の問題を意識せざるを得なくなってしまった。また、3.11の時は疎開という言葉がリアリティのあるものとして浮上し、戦時下に例えられたが『おひさま』で防空壕に避難する姿は、計画停電を連想させた。


 今回の『ひよっこ』は、高度経済成長と東京オリンピックの時代を描くことで3.11を経て、2020年の東京オリンピックへと向かう現在の日本と重ね合わようという意図を感じるが、もしかしたら作り手が想定した以上の現実が、映りこんでしまうかもしれない。(成馬零一)