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『はらはらなのか。』は映画にしかできない“嘘”をつくーー酒井麻衣監督のアイデア溢れる演出

2017年04月07日 17:53  リアルサウンド

リアルサウンド

『はらはらなのか。』(c)2017「はらはらなのか。」製作委員会

 日本映画のインディーズ界に活気があるというのは、それだけ映画界全体が良いムードになっているということでもある。とはいえ、ローバジェットで作られるインディーズ映画の多くは、作品全体の質よりもテーマ性に傾倒しやすく、ここ数年はどうにも暗い映画ばかりが頻発してきた印象を受けないでもない。


参考:酒井麻衣監督最新作『はらはらなのか。』、吉田凜音、おとぎ話、Vampilliaが劇中歌に参加


 そこに出現して異彩を放ったのは、昨秋に『溺れるナイフ』でメジャー作品デビューを果たした山戸結希にほかならない。社会全体という暗いマクロを無視して、登場人物の生きるミクロの世界に焦点を当てて、思春期の少女のリアリティを描き出す。周りの流れと足並みを揃えずに、作家性を強く主張する作品が受け入れられるあたり、まるで半世紀近く前に世界中の映画界を席巻した数々の映画的ムーブメントに似ている。


 そんな中、山戸結希がその実力に決め打ちを果たした『おとぎ話みたい』を発表した場でもある、インディーズ映画と音楽が融合した特集上映「MOOSIC LAB」から、すごい作家が出てきた。2015年の同上映でグランプリを含む6冠に輝いた『いいにおいのする映画』の酒井麻衣である。彼女もまた、思春期少女の内面的なリアリティを描き出すのであるが、アプローチの仕方が山戸とは180度異なるのだ。言葉ではなく、彼女は100%を映画で語る人だ。


 昨年ロードショーされた『いいにおいのする映画』は、ミスiD2015でグランプリに輝いた金子理江をヒロインに迎えた青春ファンタジー。光遊びが好きな少女が幼馴染と再会し、彼と共にライブハウスの照明技師を目指すという音楽青春映画に思わせておいて、中盤から突然、その幼馴染の少年が吸血鬼だという『トワイライト-初恋-』的な物語の転換を見せるのだ。これには驚かされた。


 しかも、スタンダードサイズの画面に白黒という基本フォーマットで、インディーズ映画らしい自由さを発揮しながらも、劇中でヒロインが照明を当てた先がカラーに変わるというパートカラーの演出。映像の遊び方が徹底している。それだけでなく、フィルムのネガにライトを当て、幻影を登場させるという現実を無視した映画にしかできない“嘘”をつくことによって、観客を魅了する。闇を抱えた少年の前に、少女が懐中電灯で世界を照らしてくれるというのは、『牯嶺街少年殺人事件』の小明の姿を思い出さずにはいられなかったのだが、その話をすると長くなるのでやめておこう。


 その酒井麻衣が商業デビューとなった『はらはらなのか。』が現在公開されている。子役として活動している少女が、亡き母の所属していた劇団に入り、13年前に母が演じた舞台の再演に臨む。現役の「おはガール」である原菜乃華を主人公に、2年前に彼女が主演した舞台の世界(と、その劇団)をそのまま映画に移行させるという、柔軟な発想によって作り出されているのだ。


 現在公開中の映画『3月のライオン』では有村架純の子供時代を演じ、棘のある芝居を見せてくれた原菜乃華が、こちらでは「演じる」ということの意味に葛藤しながら前に進んでいく純真な少女を演じている。“透明な友達”として一人二役で自分の分身を演じており、劇中劇としての二重の演技。水橋研二演じる怪しげなカメラマンとのシーンでの目線の切り替え方や、その後の泥まみれの場面、過呼吸に陥る場面など、たった1作の映画の中で様々な表情を見せてくれる。自分の名前を冠した作品で、自分の名前の役を演じきる、実に難しい役柄を13歳にして演じきった女優魂は計り知れないものがある。


 そこに酒井麻衣のアイデア溢れる演出が加わり、さらに大きな化学反応が生まれる。前述したヒロインの一人二役や、夢の中で始まるオープニングアクトから、随所で現れるミュージカルシーン。またしても映画にしかつけない“嘘”を巧みに操り、映画を観ているという気分を高めてくれる。さらに“第四の壁”を破って語りかけたり、母親の幻影を見つけたりと、これは前作でも見られた方法論だ。


 また、ミスiD出身の吉田凛音の圧倒的なパフォーマンスからも目が離せない。前作で中嶋春陽がヒロインを凌駕する存在感を見せ付けたように、今作でも“委員長”がヒロインと対照的かつ影響を与える存在として輝くわけだ。彼女の登場シーンのミュージカルパート、そして終盤の歌唱シーンは実に見事。音楽が見せ場となるだけあって、最近『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)で注目を集めるようになったチャラン・ポ・ランタンの楽曲も、おとぎ話が提供した楽曲も、映画の世界とマッチし、しっかりと耳に残る。


 前述したように、今のインディーズ映画の流れをフランスのヌーヴェルヴァーグに置き換えてみるなら、言葉を操り大胆なショットを重ねて鋭利な映画を作り出す山戸結希はジャン=リュック・ゴダールになるだろう。一方で、自然で滑らかな台詞回しで自由な物語を構築し、そこに音楽や演劇といった軽やかな芸術を掛け合わせ、ファンタジーの世界に落とし込む酒井麻衣は、ジャック・リヴェットといったところだろうか。


■久保田和馬
映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。