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ねごとは“自由”を志向し続けるーーバンドの今を体現した『ETERNALBEAT』ツアー

2017年04月06日 15:13  リアルサウンド

リアルサウンド

ねごと(写真=AZUSA TAKADA)

 ねごとが、2月に発売したニューアルバム『ETERNALBEAT』のリリースツアーが全国10カ所で開催され、3月24日の東京・Zepp DiverCity公演でファイナルを迎えた。『ETERNALBEAT』と『アシンメトリ e.p.』の収録曲13曲に、既発4曲を加える形で組まれたこの日のセットリストは、まさに「今」のねごとを体現するもので、「完全『ETERNALBEAT』仕様」のライブだったと言えよう。


 最も注目すべきポイントは、何と言っても楽曲の再現度の高さ。『ETERNALBEAT』という作品は、「ねごとなりのダンスミュージック」を追求すべく、ひとまずライブでの再現性は度外視し、打ち込みと生演奏を融合させて、一曲一曲の世界観を可能な限り研ぎ澄ませた、純度の高い作品であった。それがゆえに、「はたしてこのアルバムをどうステージで再現するのか?」ということに関しては、期待と不安の両方があったわけだが、彼女たちは新たな機材を駆使して、見事期待に応えてみせた。


 ライブのオープニングは、アルバムでは終盤に配置されていた「PLANET」。この曲で澤村小夜子はSPD-SXを使って打ち込み風のビートを叩き出し、早速バンドのニューモードを印象付ける。藤咲佑はいつものようにステージ上を動き回る一方で、「school out」や「mellow」などではシンセベースを演奏し、楽曲のスクウェアなビートに対応。沙田瑞紀もまたアグレッシブなギタープレイの一方で、曲によっては脇に置かれたシンセサイザーやミキサーを用い、蒼山幸子は「アシンメトリ」のミュージックビデオでも見られたMIDIコントローラーを使って、カラフルなサウンドを自在に操っていた。


 ある意味では、4人それぞれが「パーツ」になることで楽曲を再現しつつ、そこにバンドならではのフィジカルと、さらにはライブアレンジも加わって展開される『ETERNALBEAT』の世界。曲間のつなぎも周到に練られていて、『VISION』収録の「シンクロマニカ」から、スピード感のあるリズムがライブ映えする「cross motion」、初期曲の「メルシールー」から「君の夢」など、既発曲もこの日のセットリストに自然と溶け込んでいたのは、4つ打ちを基調とする選曲自体はもちろん、つなぎの工夫ゆえだろう。最大のクライマックスはラスト3曲で、現在の方向性の呼び水になったとも言える「endless」で複数のミラーボールが会場を照らし出すと、「アシンメトリ」「ETERNALBEAT」というねごとの“今”を象徴する2曲を続けて本編を締め括った。


 中野雅之が手掛けた「アシンメトリ」のサイケデリックな高揚感から、直接的にBOOM BOOM SATELLITESを連想した人は多いだろうし、この曲の演出でレーザー光線が使われたときに、サカナクションの「ルーキー」を思い出した人もいるかもしれない。また、中野と共に『ETERNALBEAT』に大きく貢献した益子樹が手掛けた『HIGHVISION』時代のSUPERCARを彷彿とさせる部分もあった。この3バンドはブレイク時期こそ数多くのフォロワーを生んだものの、そのオリジナリティがゆえに模倣によって消費されることなく、その後唯一無二の立ち位置を確立していったわけだが、今のねごとのライブはそんな先人たちとの比較も可能なくらいのクオリティがあると言っていいだろう。


 しかし、これまでのヒストリーが表しているように、彼女たちは特定のアーティストの影響下や、決められたジャンルの枠に簡単に当てはめられるようなバンドではない。本人たちもMCで語っていたが、おそらくはこれからも変化をし続けるだろうし、そのフリーフォームな在り方こそがねごとらしさなのである。デビューが早かった分、ステージでの立ち姿は「男前」という言葉が似合うほどに堂々としたものだが、とはいえ、彼女たちはまだ20代半ばのバンド。カテゴライズに捉われない姿勢は、YouTube世代と呼ばれる後続のバンドたちにも通じるものであり、その世代のバンドがオーバーグラウンドに浮上することで、改めて問われる「ライブの画一的な盛り上がり」に対しても、彼女たちはあくまで自由であることを志向している。


 アンコールでは今年が結成10周年イヤーであることを語り、始まりの曲である「ループ」をプレイすると、最後に届けられたのは、アルバムでもラストに収録されている「凛夜」。〈当たり前だった今日も そのままを全部愛して 理想ではない未来でも そのままをきっと信じて〉と歌うこの曲の「あなたらしくあればいい」というメッセージこそが、楽曲や、立ち姿や、言葉を通じて、彼女たちがこの日体現していたことだったと言えるはずだ。(文=金子厚武)