「趣味は野球やサッカーです」と言う人と、「趣味はアニメとゲームです」と言う人。あなたはこの言葉から、発言者にどんなイメージを持つだろうか。もし、両者に異なるイメージを持ったなら、自分の中の偏見に無自覚な可能性がある。
4月4日、ツイッターで、ある呟きが話題になっていた。入社式の自己紹介で「趣味はアニメとゲームです」と話した社員が、その後上司から苦言を呈されたというものだ。
「昨日入社式の自己紹介で新人の子が、趣味はアニメとゲームです!って発言してたんだけどその後上司が、入社式の自己紹介でアニメやゲームって…こういう場で言う趣味って野球とかサッカーじゃないの?ちょっと場違いだよね。とか言われたんだけど前者と後者で何の違いがあるのか私にはわからなかった」
「普通の意味が不明過ぎ」「趣味って場所によって変わるものなの?」
この呟きを受けてネットには、
「とりあえず、皆の前で『趣味はゲームとアニメです』と言う人間がいたら全力で止めたくなるフレンズ」
「音楽鑑賞(アニソン)とか言っとけばいいのに」
「社会での趣味は読書と料理以外認められません」
など、アニメやゲームと公言しないほうが良いという声も見られた。しかしやはり圧倒的に多かったのは上司の発言への批判だ。
「普通の意味が不明過ぎ」
「人の趣味にケチつけるのがよい上司だとは思えないなあ」
「場違い……って言葉がねぇ。趣味って、場所によって変わるものなのでしょうか? それとも場所に合わせて、その表現を変えるべきなのでしょうか?」
アニメやゲームは、公的な場で言うのが憚られる趣味なのだろうか。確かにかつては、子供のもの、大人のたしなむものではないと見る目もあった。犯罪者の育成を助長するといった誤ったイメージも広まり、眉をひそめる人もいた。
しかし今では違う。「今やオタク文化なんて日陰者どころか消費メジャーど真ん中だし、アニメ好きゲーム好きアイドル好きを公言する若者なんて珍しくないどころか没個性といっていいほど溢れかえってるというのに」というコメントの通り、メインストリームの文化として根付き始めている。
経済紙「週刊東洋経済」の4月1日号では「熱狂!アニメ経済圏」と特集が組まれ、教養として見ておくべきアニメ一覧なども記されているほどだ。件の上司は、こうした実態を知らず、旧来のイメージに囚われたままだったのだろうか。
「20年くらい前だと口が裂けても言えなかった」上司が当事者だった可能性も
もう1つ別の見方もできる。実はその上司もアニメやゲームが好きなのに、周りの目を気にして言い出せなかった、もしくは公言して諫められた経験がある、という可能性だ。
だとしたら、この上司も新入社員と同じように価値観の押し付けに苦しんだ被害者のひとりである。ツイッターで寄せられた「20年くらい前だと口が裂けても言えなかったよ」というコメントのように、好きなものを好きと言えない空気の中で生きてきた可能性もある。するとどうだろう、今回の発言で責めるべき相手は、上司ではなく、アニメやゲームは人前で言うのが憚られる趣味だとする社会の風潮ではないだろうか。
アニメ「ばらかもん」の主題歌に、こうした一節がある。
「僕らは変わってく 守りたいものが変わっていく 理解されない宝物から 理解されるための建前へ」
大人になるにつれ、好きなものを好きと言いにくい空気を感じ始める。しかし、趣味に建前が必要な社会なんて窮屈ではないだろうか。
自分に相容れない趣味を好きと言われて素直に受け入れられない気持ちも分かる。ただ、そこで相手の趣味を否定するのではなく、一呼吸置き、関心を持って対話することを積み重ねなければ、誰もが好きなものを好きと言える社会はやってこない。
一人ひとりが自分の内側にある偏見に気付き、理性で是正してくこと。それが、いらない建前を壊すきっかけになるはずだ。