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MIYAVIが挑み続ける、新たな表現へのアプローチ「ギターという“刀”を持って乗り込んでいきたい」

2017年04月05日 16:03  リアルサウンド

リアルサウンド

MIYAVI

 今年デビュー15周年を迎えるギタリストMIYAVIが、キャリア集大成となるベストアルバム『ALL TIME BEST “DAY 2”』を4月5日にリリースする。CD2枚組となる本作の初回限定盤には、「Survive」や「TORTURE」といった既発のシングル曲18曲に加え、「What's My Name?」や「Universe」など代表曲5曲を新たにリアレンジして再録、さらにはインディーズ時代の楽曲「Girls, be ambitious.」、三池崇史監督/木村拓哉主演の映画『無限の住人』のために書き下ろした主題歌「Live to Die Another Day -存在証明-」も収録。バンド解散後にソロとしてのキャリアをスタートさせた彼が、エレキギターをピックではなく全て指で弾く独自の“スラップ奏法”で世界的な注目を集め、朋友BOBOとのタッグにより唯一無二の存在へと進化していく、その軌跡を網羅できる貴重な内容となっている。


 そこで今回リアルサウンドでは、MIYAVIのキャリアを本人とともに振り返った。ルーツとなる音楽についてや、海外生活で受けた衝撃、家族を持つ彼の「教育」に対する考え方など話題は多岐にわたり、その全てを率直に語ってくれた。(黒田隆憲)


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■過去の作品を「懐かしい」で終わらせたくなかった


ーーまずは、今回ベストアルバムをリリースすることになった経緯を教えてください。
 
MIYAVI:個人的には、過去を振り返っている暇はなく、常に前を向いて進んでいる中で、気づけばもう15年経っていて。MIYAVIの歴史の中でも色々な節目というかチャプターがあり、その都度関わってくれた全ての方たち、応援してくれた全てのファンに支えられてきたからこそ、今のMIYAVIがあるんですね。その道のりを一つの形として残すことで、感謝の気持ちを伝えられたら、と。
 
ーー既発のシングルをただカタログ的に並べるのではなく、代表曲の再録や、書き下ろしの新曲なども含まれています。
 
MIYAVI:本音を言えば、もう全部録り直したいくらいだったんですけど、それをやるとベスト盤として出す意味がないらしく(笑)今、ライブでも演っている5曲だけ再録させてもらいました。あと、ちょうど映画主題歌のオファーがあり、新曲を録り終えたばかりだったので、それもコンパイルして。そうすることで、ベストアルバムでありながらも過去と現在、そして未来をも繋げられる作品になったと思います。「次のチャプターへ進んで行こうぜ」というアティテュードとメッセージも込めることができたんですよね。それで、タイトルを “DAY2”とさせてもらいました。
 
ーー「新録」には、「過去の自分をアップデートする」という思いも込められていたわけですね。
 
MIYAVI:音楽というのは目に見えないものですから、思い出や景色とリンクするんですよね。匂いを嗅いで、何かを思い出したりするのと同じで、音楽を聴くことで記憶が蘇る。そういう意味では、オリジナルを超えるものってないんですよ。ただ、やはりアーティストとしては、「そうだね、こんなことがあったよね、懐かしい」で終わらせたくないというか。今は今の景色を見ているし、明日になれば明日の景色を見ている。常に未来への道の途中なので、どうやって過去を否定せず「今この瞬間を生きている」ということを示せるか? と考えたら「再録」というのが一つのかたちなのかなと。
 
ーーそれと、最近MIYAVIさんを知った人が、これまでの軌跡を俯瞰するという意味でも、ベストアルバムには大きな意義がありますよね。
 
MIYAVI:確かにそうですね。ぶっちゃけ、自分では過去の曲はもう聴けないですけど(笑)。例えばゴッホだと、印象派の影響を受けたパリ時代があり、その後アルル地方に移り住んで大きく作風が変わるなど、生涯にわたる彼の軌跡を現代の我々は俯瞰して見ることができるわけじゃないですか。そうすると、一人のアーティストの「アートワーク」っていうのは、その人が死んだ時に初めて完成するのではないか? と思うわけです。自分をゴッホと並べるのはおこがましいですが、僕自身、この15年だけでも作風に物凄く振り幅がある。じゃあ、ここからのMIYAVIの15年は、一体どうなっていくんだろう? っていうワクワクを、今はみんなと共有したいですね。


ーーまだキャリアを俯瞰したり、総括したりするには早すぎると。
 
MIYAVI:だって、15年前の自分が今の自分を想像できたかというと、見据えている未来は今も昔も一緒ですが、今の自分は想像していませんでした。「世界各地の大きな会場でコンサートをする」というのも「成功」の基準の一つなのかもしれないけど、その一方で、自腹で難民キャンプへ行って、アコギとマイク、カホン(ペルー発祥の箱型パーカッション)だけで、子供達の前で演奏するのも、今の自分には同じくらい大きな価値があります。そんな自分の姿は想像もしなかったですね。これまで沢山の失敗もしてきたし、今でもしますけど(笑)、全部ひっくるめて今の自分がいて。それを肯定していたいし、15年後もそれを貫いていてほしいですしね。
 
ーー本作だと、一番古い音源はインディーズ時代の「Girls, be ambitious.」ですよね。当時はどんな気持ちで作りましたか?
 
MIYAVI:もう忘れちゃったけど、うーん……やっぱり初期衝動ですかね。「自分はここにいるんだ!」っていう叫びと、それから目の前で聴いてくれている人たちに向けてのメッセージ。その両方が込められていると思う。しかも、その濃度がものすごく濃いなあと思います。目の前の「あなた」に向けて発信するメッセージと、世界に向けて発信するメッセージ。当時の楽曲から学ぶことは、今もきっとあるでしょうね。
 
ーーバンド活動を経て、2002年10月31日に「雅-miyavi-」名義でソロアルバム『雅楽-gagaku』をリリースし、本格的なソロ活動がスタートするわけですが、当時の心境はどんなものだったのですか?
 
MIYAVI:まさか自分が歌うなんて思ってもみなかった。でも応援してくれている人たちのためにも、とにかく「転がり続けるしかない」ただただ、進もうという気持ちだけでした。
 
ーーDISC 2の「-DAY 0-」に収められた楽曲には、MIYAVIさんのルーツを伺わせる楽曲が多く並んでいます。「結婚式の唄-with BAND ver.-」にはフォークミュージックからの影響を感じるし、「セニョール セニョーラ セニョリータ」は南米音楽を取り入れた歌謡曲にも通じるものがある。「Selfish love -愛してくれ、愛してるから-」はブルースへの憧憬を感じます。実際、MIYAVIさんの血肉になっている音楽っていうと何でしょう?
 
MIYAVI:ほんと雑食というか、多岐に渡るというか。ギタリストとしては、例えばロバート・ジョンソンやバディ・ガイ、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ジミ・ヘンドリクスなど、たくさんの素晴らしいギタリストに影響を受けてきました。ダンスミュージックでいうと、Basement JaxxやDaft Punk。ロックだとNine Inch Nailsや、RAMMSTEINなんかも聴いてきましたし、デヴィッド・ボウイ、T.Rex、Bauhausの影響も大きいですね。もちろん、マイケル・ジャクソンやエルヴィス・プレスリーといったロックスターの存在も欠かせない要素です。


ーー元々は、どんなきっかけで音楽を始めたのですか?
 
MIYAVI:15歳の時にサッカー選手になるという夢を諦めて、そのあとギターに出会って。何というか、導かれたんですよね。ギターを弾いているとき、「自由」になれると思った。それでバンドを組み解散し、ソロアーティストとして転がり続けていく中で、19歳の時に初めて海外公演を行ったんですけど、その時「自分って一体何なんだろう」という壁にぶち当たった。「アジア人である自分に、ギターを弾く意義って何だろう」と。ジミヘンやクラプトンもいる中、どうやったらオリジナルな存在になれるか試行錯誤していく過程で、三味線からヒントを得た「スラップ奏法」を編み出したんです。
 
ーー三味線がヒントだったのですね。「ギターを弾いていると『自由』になれる」とおっしゃいましたが、それは、「自分」というものを表現するのに最も適したツールだということ?
 
MIYAVI:そうですね。サッカー時代はボランチをしていたので、ゲームを作るのが好きだったんですけど、そのフィールドがギターでは指板に変わって、その上で自分はどんなものが創れるんだろう? って常に考えています。人はいつか死ぬし、死ぬからこそ何かを残したい。人によってはそれが「子供」であり、「生きてきた証」なんですよね。「ここにいたぞ、俺たちここにいたぞ」を、次の世代につないでいくというか。何かを残したいという本能的な「承認欲求」があるんですよね。それを僕は、ギターに見い出すことができた。それは僕にとって「自由」を手にしたということでした。


■「俺たちにしかできない音楽」を常に模索していたい


ーー単身ロサンゼルスに渡り、3カ月の留学を経て帰国後はKAVKI BOIZを結成しましたよね。そこではラップ、タップ、和太鼓やボディペイントなど様々なジャンルのパフォーマーと共演し、活動の幅を広げていました。そうした活動を始めたのはやはり、海外から日本を見たことが大きかったのでしょうか。
 
MIYAVI:そう思います。日本という殻に閉じこもったままだったら、見えなかった景色が広がったのは確かですね。やっぱ人って、「ワクワク」してナンボなんですよ。それを人と共有し、世界に与え続けたい。そのためのツールが今はギターであり、もしかしたらそれがギターじゃなくなる日も来るのかもしれない。ただ、当時の僕は。色んなジャンルの人たちとコラボして、そこで生まれるケミストリーに「ワクワク」していたいんです。自分がワクワクできていなければ、人に伝えることなんて出来ないし、そういう意味でもたくさんのセッションをしていました。
 
ーーDISC 1には、BOBOさんと2人体制になってからの楽曲が並んでいます。現在のMIYAVIさんの音楽スタイルは、そこで確立された部分が大きいと思うのですが、そもそもBOBOさんとの出会いはどのようにして生まれたのでしょうか。
 
MIYAVI:アルバム『WHAT'S MY NAME?』のプロデューサーだった、ヨシオカトシカズさんに紹介されました。僕のギタースタイルを見て、「絶対BOBOだよ!」と。
 
ーー今につながるMIYAVIさんのスタイルは、どんな音楽から影響を受けたものなんでしょうか。
 
MIYAVI:僕の場合、「インプット」している状態と「アウトプット」している状態というのが結構ハッキリと分かれていて。楽曲を作ったり演奏したりしているときは「アウトプット」の状態なので、あまり影響とか意識していないんですよね。
 
ーーなるほど。
 
MIYAVI:日本という国では、「こんなバンドになりたい」「こんな風なサウンドを鳴らしたい」と思って、そこに近づいていけばいくほどステータスが上がっていくでしょ。海外とはあべこべなんですよね。「こんなバンドになりたい」なんて考えているアーティストはどこにもいない。ラスベガスのものまねショーを観に行けばいるかもしれないけど。もちろん過去の音楽から影響は受けるし、インスパイアされるけど、「じゃあ、俺たちはどうするのか?」「お前はどんな音楽が作りたいんだ?」って。そこと向き合えない限り、世界とは絶対に対峙できないし、そんな音楽にはあまり魅力を感じないですね。「俺たちにしかできない音楽」というのを常に模索していたい。
 
ーー曲の作り方も、最初の頃と今とでは変わってきていますか?
 
MIYAVI:今は、たくさんの人とチームを組んで作っています。やっぱりそれもセッションと一緒で、相手がどう来ても「自分」でいられるというか。ちゃんと「自分」が見えていれば、色んな人とやれるし、そこで幅も広がっていく。毎日が発見の連続ですね。
 
ーーそういう作り方ができるようになったのは、いつでもブレない「自分」があるからこそでしょうね。2011年には、トータル・プロデューサーに亀田誠治さんを迎え、ジャンルの異なるアーティストたちとセッションするプロジェクト「SAMURAI SESSIONS」を始動します。HIFANAさんやH ZETT Mさん、上妻宏光さん、坂本美雨さんと、びっくりするくらい異色コラボです。そういう人たちと「斬り合う」ことで、MIYAVIさんの音楽性も変わっていったんでしょうか?
 
MIYAVI:それはありますね。例えば上妻さんのように、伝統を壊そうとしている人との「斬り合い」はとてもスリリングです。三味線というのは、いわば「日本のギター」じゃないですか。その音色や独特のプレイスタイルを目の当たりにした時、自分自身の音色やプレイスタイルがどう変化していくのか、自分でもワクワクしていました。
 
ーー以前、上妻さんに取材したとき、「伝統」だけでは文化は衰退していくし、「革新」だけでは破綻してしまう。「伝統」と「革新」の両輪があってこそ、その時代の「生きた文化」になるとおっしゃっていました。
 
MIYAVI:上妻さんのおっしゃる通りですね。やっぱり、このアルバムのテーマとも重なりますけど、「過去」と「未来」を繋げるっていうことでもあるのかなと。
 
ーー確かに。それと、MIYAVIさんもブルースという「伝統」を継承しつつ、例えば EDMのような新しい音楽を取り込み、ケミストリーを生み出すことでギターの新たな可能性を探っているのかなと。
 
MIYAVI:そうですね。僕はやっぱりギタリストとして、ギターミュージックの持つ「衝動」と「興奮」を、この時代に伝えたい。例えばクラブミュージックやダンスミュージックというフィールドにも、ギターという「刀」を持って乗り込んでいきたい。それが自分の役割だと思っています。
 
ーー2014年に活動拠点をL.A.に移したのはなぜですか?
 
MIYAVI:二つ理由があって、一つは「教育」です。僕には2人の娘がいるんですけど、僕自身が英語で苦労したというのもあって、彼女たちにちゃんと英語含めグローバルな感覚を身につけさせたい。もちろん、日本人として日本文化は伝えていきますが、当たり前のようにグローバルなコミットができるスキルを学んで欲しい。「英語を話す」ということは世界のマナーなんですよね。英語が話せずにグローバルな場に出るというのは、「燃えるゴミは月曜日に出しなさい」と言われているのに、火曜日に出すようなもの。そこは当たり前に与えてあげたかったし、そういう意味で「教育」は、日本という国にとっても大事だと思うんですよね。
 
ーーもう一つは?
 
MIYAVI:自分自身の「創作活動」のためです。世界で勝負したいと思っているのに日本に住んでいたのでは、何かが起こっている瞬間に立ち会えない。おおかた「海の向こうの出来事」じゃないですか。音楽業界に限らず「時代」を作って来た人たちと仕事をしながら、やはり現地に住んで「肌感覚」も含めて感じないとダメだろうと。
 
ーー「肌感覚」は、実際に住んでみると違いますか?
 
MIYAVI:違いますね。言葉も慣習も、教育環境も全く違う。アメリカで創作していると日本のそれに比べてもっと「自然」だなって思うんですよ。例えば、日々の暮らしの中で辛いことも悲しいこともあって、でもハッピーなこともあって、何か言いたくて、言葉にできなくて、だから音楽にして作って、歌って聴かせて、誰かが感動して、もっと広めたくてインターネットで世界に発信して。「感情」という入口があって、「音楽」という出口につながっている。元々はとても自然な行為だったはずなんですよね。なのに、いつの間にかビジネスが大きくなって、出口があるから入口を作るみたいな「ねじれ現象」が起きているじゃないですか。もちろん世界中どこにでもそういうケースはありますが、クリエイティブの順序は、健全である方が良いものも生まれますよね。
 
ーー今回のベストアルバムで、MIYAVIさんの過去・現在・未来が繋がったわけですが、その「未来」のビジョンはどのようなものですか?
 
MIYAVI:今また、次のフェーズに来ています。このベストアルバムと同じタイミングで、新しいアルバムも作っているので、それを今はかたちにすべく日々試行錯誤しているところです。どんな風になっていくか、今はまだ言えないですけど、ただ、ギタリストとしては、もっともっとギターで「歌い」たい。手塚治虫さんの『火の鳥』とコラボした楽曲「Fire Bird」で、ギターは僕を「自由」にしてくれる「翼」であると改めて気づいたんです。その「翼」を使って、もっともっと高く羽ばたきたいです。