岡山国際サーキットでのスーパーGT公式テストで速さをみせたVivaC 86 MC。17年仕様ができるまでには、多くのドラマがあった。 2016年、スーパーGT最終戦ツインリンクもてぎ。激戦のスーパーGT300クラスでチャンピオンを決めたVivaC 86 MCの活躍は、その劇的なドラマとともに多くの話題を呼んだ。あれから4ヶ月。ディフェンディングチャンピオンとして連覇を狙うVivaC team TSUCHIYAにとっては、激動のオフとなった。
■王座獲得から、10日もしないうちの事件
名メカニックである土屋春雄が興した国内屈指のレーシングガレージ、つちやエンジニアリング。リーマンショックのあおりを受けガレージは2009年に活動を休止したが、息子でありレーシングドライバーだった息子・土屋武士が“最強プライベーター”の復活を志し、2014年からの3カ年計画を立てた。
そして2015年にスーパーGTにGT300マザーシャシーを使って、VivaC team TSUCHIYAとして復活。初年度にはいきなり勝利を飾り、2年目となる2016年には、見事チャンピオンを獲得。その年限りでレギュラードライバーとしての参戦休止を表明していた武士は、自身にとってトップカテゴリーでの最後のレースで、チャンピオン獲得という最高の結果を得たのだった。
『技術とスピリットの伝承・継承』をテーマに掲げるVivaC team TSUCHIYAでは、チームがさらに力をつけるために、武士は2017年にトラックエンジニアに専念し、急速に力をつけた松井孝允と、2016年に全日本F3のチャンピオンを獲得した山下健太にステアリングを託そうと考えた。
しかし、チャンピオン獲得から10日も経たない、2016年11月22日。これまで監督を務め武士の活動を見守り、ガレージでは衰えぬ腕前を披露し続けていた、父・春雄が入院することになった。
病名は、口腔底がん。
「すぐに命の危険があるようなものではなかった」と武士は言うが、周囲がチャンピオン獲得の喜びに沸くなか、これまでガレージを支え続けていた大黒柱である春雄は、入院することになった。
■「土屋春雄になるしかなかった」
父であり、これまでガレージを支えてきた春雄が不在となり、武士は「えらいことになっていた」と当時を振り返る。2017年に向けてやることは満載だ。ただ、父の性格を良く知る武士は、「まず意識したのは、親父が心配しないようにガレージをやろうと思った」ことだという。
きっと生粋のメカニックである春雄は入院しながら、VivaC 86 MCはどうなっているのか常に気にするはずだ。そこで、帰ってきてから見舞いのたびに聞かれるであろうことを、武士は数字で答えられるように、すべて測定しておき安心させた。その仕事への打ち込み方は、春雄が入院していた3ヶ月以上の間、見舞いはわずか2回だけに留めたという徹底ぶりだ。その姿勢が一番の安心材料だったのだろう。
また、自らガレージに入り作業を行っていくかたわら、武士は“春雄の存在”に気づく。今季、VivaC team TSUCHIYAはレースメカニック1年目、2年目のスタッフが多く、ベテランスタッフがサポートするかたちをとっている。さらに春雄不在にともない、ガレージを良く知るメカにも来てもらったが、「逆に、自分がいないとダメだと気づいた」という。
「やっぱり土屋春雄があそこにいたから、ピーンと張り詰めた空気があったんです。いいスタッフがいくら来ても、土屋春雄がいないと、つちやエンジニアリングにならない」と武士。
「だから、『土屋武士が土屋春雄になる』しかなかったんです」
こうして武士は2017年の開幕に向け、つちやエンジニアリングの中心となって作業を行った。しかしこれは、思わぬ“副産物”を生んだ。
■「精度が上がった」2017年版VivaC 86 MC
武士はガレージで、VivaC 86 MCの細かなところまできっちりと計測して父に報告・相談するべく仕事を進めてきたが、「やり始めたら止まらなくなった(笑)」とさまざまなパーツのひとつひとつの“精度を上げる”ことに熱中していく。
「ダンパーやバンプラバーひとつ、取りつけのブラケットのカラーひとつだったりと、ビシッと出るように測定した。やればやるほどいろんなものが見えてくる。クルマはもうできあがっていると思っていたけど、このベースにもっと先があると思って見ていった。ちょっとずつやるとすべて数字でも反応してくれるから、メチャクチャ面白い」
さらに、「トラブルもいっぱいあるけど、『トラブルを直すのが楽しい』と思えるようなヤツが集まっている」という若手メカニックたちも奮闘をみせる。あるトラブルがVivaC 86 MCにはあったというが、それを見つけ対策したのだという。
「逆に、2年間“爆弾”がある状態で走ってたというね(苦笑)。あぶなかった若手のメカたちが発見してくれた」
幸い、父・春雄も無事に退院した。まだ流動食を食べていて、少しろれつが回っていない状態だったというが、すぐにガレージにやってきたのだとか。「まだフラフラしているのに、問題の検証をしていたら、いきなりパーツを組み始めちゃった。しゃべるのもうまく聞き取れないけど、『ここはこうだ!』って。やっぱり土屋春雄はバケモンだな……と痛感しました」
こうして、2017年バージョンのVivaC 86 MCは「つちやエンジニアリングで初めて土屋春雄がいないで作られたクルマ」となった。ただ、外観からのアップデートは、アルミ板で作られたサイドステップ部分のみだ。しかし、武士がこだわった精度向上により、「エンジニアとしては『今まで出たことがないような数字が出る』」クルマとなった。
そんなVivaC 86 MCは、得意のコースとは言え、岡山国際サーキットでの公式テストで、2日目のトップタイムをマークした。
■“3人目の若きサムライ”近藤翼
しかし、好調ぶりをみせつけた岡山公式テストから1週間後、富士スピードウェイでの公式テストには、なんと今季のレギュラーである松井孝允と山下健太のふたりが、ステアリングを握れないことになってしまった。松井はTOYOTA GAZOO Racingのドライバーとしてニュルブルクリンクへ、山下はGT500のWedsSport ADVAN LC500をドライブすることになったのだ。
「孝允と健太は、実力としてはすぐにでも500に出られるドライバー」と武士は言う。昨年からふたりが“上”に行ってしまうおそれはあったが、そのときのために、武士はこれまでもポルシェカレラカップ・ジャパン等で目をつけていた、近藤翼を「チームのために働いてくれるドライバー」として今季の第3ドライバーに起用した。
迎えた富士でのテストだが、シフトに不具合のおそれもあったことから、まずは武士がステアリングを握りコースインした。昨年のもてぎ以来となるレーシングカーのドライブだったが、なんとまさかのスピン。さらに5周程度でピットに戻った。
「GT500がブンブン来るから走るの怖い! それに出ていってすぐにスピンしたし(笑)。やっぱりダメだなと。タイムはいちおう出たけど、トレーニングも一切せずにここに来てしまったし、乗れる準備はできていなかった」と武士は苦笑いする。
そして、その後を引き継いだのは、昨年スーパーGTにデビューした近藤だ。VivaC 86 MCのドライブは、富士でのメーカーテストに続き2回目。富士公式テストが、本格走行2回目となった。
「力も入っていたので、かなり疲れてしまいましたね。今回たくさん走らせてもらったので、クルマのことも少し分かってきた気がします。武士さんのエンジニアリングもすごく的確で、セッション中もいろいろなことをトライしてくので、勉強になりますし、今後に活きると感じました」と近藤はテスト後、初めての本格的な走行について語った。
まだ正式にアナウンスされているわけではないが、これで今季のVivaC 86 MCは、レギュラーが松井と山下、そして山下が抜けたときと、鈴鹿の第3ドライバーとして近藤が起用されるのはほぼ確実だ。
ただし、ファンが望むであろう武士の“復帰”は残念ながらなさそう。「自分は富士に出るつもりはない」と武士は断言した。
■「“自分のステージ”が早回しで来ただけ」
父の突然の入院を乗り越え、VivaC team TSUCHIYAは目標である『技術とスピリットの伝承・継承』をさらに強化させ2017年のスーパーGTに臨む。ただでさえライバルにとっては「やっかいな存在」だったが、今年はさらにそれが強くなるかもしれない。ただ、その言葉は武士にとって“褒め言葉”にしかならない。
「親父がああなったけど、結果的に早回しで“自分のステージ”がやってきただけだと思う。親父がいたら親父に甘えてしまうし、親父も手を出してきちゃうし」と武士は言う。
「クルマのアップデートはサイドステップくらいだけど、ウチは“人間のアップデート”がとてつもなく為されている。活きのいい若いのが入ったし、孝允もどんどん速くなっているし、コメントも的確になっている。これで土屋春雄が復帰してくれたら、思い描いていた理想的体制に近づく」
「最初はドタバタするかもしれないけど、どんどん良くなるはず」
思わぬかたちで挑戦の“第二章”がスタートした最強プライベーターは、今年もいろいろなドラマを我々に提供してくれそうだ。