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CHEMISTRYがいま“再始動”を果たす意味 2人の軌跡とシーンの変化を読み解く

2017年03月31日 13:33  リアルサウンド

リアルサウンド

CHEMISTRY『CHEMISTRY 2001-2011』

 CHEMISTRYが、3月31日の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で約6年ぶりのテレビ出演を果たし、デビュー曲「PIECES OF A DREAM」を披露する。本稿では、彼らの軌跡を辿るとともに、2人がいま再始動する意味について紐解きたい。


 CHEMISTRYが再始動を発表したのは2016年12月8日。久しぶりに2人が肩を並べて話す映像そのものすら感慨深いものだったが、そこで彼らが話したのは「ソロ活動を経て強くなったCHEMISTRYを待ってくれているファンの皆さんに見せたい」という意思だった。では、CHEMISTRYは2人での活動とソロプロジェクト、それぞれでどのような経験値を積んできたのだろうか。


 あらためてその歴史を振り返ると、彼らの結成は2001年。テレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)の企画「男子ボーカリストオーディション」に参加し、2000年末には審査の過程で川畑要と堂珍嘉邦がユニットを組むことになり、その化学反応が凄まじかったことから合格時にCHEMISTRYという名がついた。このオーディション、開催時はいち番組の企画として進んでいたが、十数年後、まさかその参加者からEXILE NESMITH(EXILE THE SECOND)、EXILE ATSUSHI、清木場俊介、浦田直也 (AAA)らが排出されるとは思ってもいなかった。今にしてみれば相当レベルの高いオーディションだったということだろう。


(参考:「21世紀のR&Bバラードは90年代の余韻」松尾潔の考える、R&Bの変わらないスタイルと美学


 2001年3月7日にはシングル『PIECES OF A DREAM』でデビューし、6週目でオリコン週間シングルランキングで1位を獲得、15週目にはミリオンセラーを達成。同年11月にリリースしたアルバム『The Way We Are』はトリプルミリオンを記録し、『第52回NHK紅白歌合戦』に初出場するなどいくつもの快挙を成し遂げた。


 その後も連続してヒットを飛ばし続けた彼らだが、2003年からのセルフプロデュース期なども経て、2011年よりソロ活動が増加し、2012年には活動休止をアナウンス。発表時に堂珍は「お互いが成熟してきたからこそ、新しい音楽の扉を開き、自分一人でしかなし得ない音楽を追求するため」と宣言しており、それを体現するかのように、川畑はクラブミュージックへ接近、堂珍はアート・ロック的な方向性や、役者としての活動を始めるという、互いに真逆ともいえる道を選んだ。この選択に関しても、お互いが自分にとって興味・関心のある音楽ジャンルを経験していたと解釈できるだろう。2人に共通する部分として、どちらもダンサブルなビートの楽曲をリリースしていたことも興味深い。


 そして、川畑はカバーアルバムや鈴木雅之とのデュエット「Half Moon feat.鈴木雅之」などで、堂珍も次第にバラード楽曲でかつての自分たちから数倍にもアップグレードされた“らしさ”を見せるようになる。同時に、音楽シーンでは彼らに呼応するように、Little Glee MonsterやGoose Houseなど、コーラスを武器にする若手アーティストも次々と登場、LDH系アーティストのように“ハイレベルでメロディアス、かつクロめなボーカル”がJ-POPのスタンダードになっていったのがここ数年のことだ。


 そんななかでCHEMISTRYは再始動と新曲「ユメノツヅキ」を発表、楽曲はデビュー時と同じく松尾潔がプロデュースを担当している。ギターカッティングが心地よいメロウでアーバンなトラックは、国内外の音楽における今の時代を的確にとらえた楽曲だ。


 先日、東京国際フォーラム ホールAで行われた再始動ライブ『CHEMISTRY LIVE 2017 ‐TWO‐』。会場には、当時のファンに加え、その子供と思われる若い世代の観客も多く訪れていた。音楽的にも進化し、次世代のファンも増え、シーンも相性の良いタームへと移りゆく現在。まさに“機は熟した”といっていいだろう。(向原康太)