元電通社員で、ブロガー・作家として活動するはあちゅうさんが3月27日、「私は作家を名乗っていて、肩書きがライターになってる時は全部修正してもらってる」「私はライターじゃなーーいっ!」とツイートして議論を巻き起こしている。
プロインタビュアーの吉田豪さんは、はあちゅうさんに「ライター枠の人だと思っています」と反論。はあちゅうさん自身も思うところがあるようで29日、自身のブログに「『肩書き』の意味のなさ」という記事が投稿された。
「私は『はあちゅう』だから好きな肩書きで呼んで、は傲慢」
はあちゅうさんはブログで、他人から見た自分の肩書きなんてどうでもいいと述べた上で「自分で名乗る肩書きを認めてもらえない世の中なんて息苦しすぎる」と肩書きへの執着を明かした。
はあちゅうさんが名乗る肩書きは「ブロガー・作家」。作家とライターの違いに関しては、ライターは「誰かの意見(自分以外に取材)を書く」、作家は「自分の意見を書く」と説明していた。しかしツイッターなどで批判的な意見が寄せられたことを受け、
「『世の中』を代表して私の肩書きを認定してくれる人は誰なのか」
と疑問を抱いているようだ。はあちゅうさんは執筆の他、オンラインサロンを経営するなども行っており月によって仕事内容や収入に差があるという。
「だから、肩書きというのは、あってないようなもの」
そうは言いつつも、自分が何者かうまく伝えるために「肩書き」はあると考えている。自身も、他人からは「作家」でも「ライター」でもなく、「はあちゅう」だと思われているのだろうと認識してはいるが、
「私は『はあちゅう』だから、みんなが私のことを調べて、好きな肩書きで呼んでね、というのも傲慢な気がします」
と胸中を吐露した。
「自称と実態が一致してないの『もやっ』としてる」
これについてはてなブックマークには多くのコメントが寄せられた。肩書に意味はないと言いながら「本人が一番こだわってんじゃん」と感じている人が多いようだ。中には、
「そりゃ自称は好きにしたらええがね。人もそう呼んでくれるとは限らないってだけの話じゃない」
「自称と実態が一致してないうえ有名なのでみんな『もやっ』としてる(略)はあちゅうさん自体がキッチリ姿勢をきめて自称と実態をあわせるよう取組めばいいだけ」
と手厳しい意見も見られた。またある人は、「ライターを作家より下に見ている(と感じられる)態度が批判の源だと思うのだが本人はその差別意識に気づいてないんだろうな」と指摘した。
肩書きは「自分がどうありたいかの決意表明」だと考えている人も多い。自称「青年失業家」の田中泰延さんはツイッターで、
「糸井重里さんは幅広く活躍されてるけど、肩書きは今でもコピーライター。それはコピーライターへの思いがあるから。はあちゅうさんは、『作家』を名乗り、『群像』に小説を持ち込み純文学デビューした。名乗ることは神々しい行為だと思っています。『青年失業家』もわりと本気です」
と表明した。
かつて歌人、詩人、俳人、劇作家、小説家、評論家、写真家など、幅広い分野で活動していた寺山修司は「僕の職業は寺山修司です」と答えていた。確かにこれだけ多くの「肩書き」を持ち、成果を上げているのであれば自身の名前を職業にした方が伝わりやすい。
しかしはあちゅうさんは、
「職業:はあちゅうでいいじゃないですかとも言われたけど、それ、人から言われるのはいいけど、自分から言うのは痛いと思いました」
と考えているようだ。今後、「作家」と名乗り続けるのか、それとも別の肩書きを名乗るのか。現在、はあちゅうさんのツイッターアカウントには、「ブロガー・作家」という肩書とともに、「作家になりたい」という文言が書き加えられている。