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『オズの魔法使い』を危険な“大人向けドラマ”に 『エメラルドシティ』異才ターセム・シンの作家性

2017年03月27日 16:03  リアルサウンド

リアルサウンド

『エメラルドシティ』(c)2015 Universal Television LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 アメリカで生まれた初のおとぎ話といわれる児童文学『オズの魔法使い』。竜巻に巻き込まれ、不思議なオズの国まで飛ばされてしまった少女ドロシーと犬のトトが、カンザス州の我が家へ帰るため、頭がからっぽのカカシ、心のないブリキの木こり、臆病なライオンを仲間にして、強大な力を持つ魔法使いが住むという、エメラルドシティへと続く黄色いレンガの道を旅していく。


参考:『オズの魔法使い』が新たなファンタジーに 『エメラルドシティ』Huluにて3月より配信


 この誰もが一度は聞いたことのある有名な物語を、現代の「大人向けドラマ」として、映画界の異才であるターセム・シン監督が大胆な映像で甦らせたのが、本作『エメラルドシティ』(全10話)だ。ターセム・シンといえば、強烈な色彩あふれるアーティスティックな美的センスで、圧倒的なヴィジュアルを作りだす映像作家である。彼の手によって、この有名なおとぎ話はどのように変貌したのか。Huluによる配信が始まって、まだまだ謎に包まれた本作。ここでは作品の特徴を見ながら、本作の見どころと、ターセム・シン監督の作家性について、できるだけ深く考察していきたい。


■最も危険な『オズの魔法使い』
 1900年に発表された、ライマン・フランク・ボームによる児童文学『オズの魔法使い』は、何度も実写映画化されており、ボーム自身が製作した初期の自主映画を合わせると、今までに10作ほど作られている。なかでも最も有名なのは、当時珍しかったテクニカラーを駆使した鮮やかな色彩が話題となり、劇中歌「Somewhere Over The Rainbow / 虹の彼方へ」などの名曲が印象深い、ヴィクター・フレミング監督、ジュディ・ガーランド主演のミュージカル映画『オズの魔法使』(1939)である。この作品を経て、アメリカ人の意識の中に、『オズの魔法使い』という物語は、さらに広く知れ渡り、深く理解され、一種の神格化された存在に成長していったといえるだろう。


 決定版といえる1939年版が公開された後、ダイアナ・ロスが主人公ドロシー、マイケル・ジャクソンが歌って踊るカカシを演じるなど、登場人物がアフリカ系の人種に置き換えられた、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品『ウィズ』(1978)、ドロシーの冒険のその後の物語を描いたディズニーの実写映画『オズ』(1985)、サム・ライミ監督による、同じくディズニー製作のオズを主人公とした『オズ はじまりの戦い』(2013)など、変化を加え新味を取り入れた『オズの魔法使い』が作られている。


 今回、ドラマとして作られた『エメラルドシティ』の大きな特徴は、もともとのファンタジックな要素に加え、大人向けな残酷さや過激さが追加されているという点である。その意味では、やはり大人向けのファンタジー作品として大ヒットを果たした『ゲーム・オブ・スローンズ』からの影響も感じるところだ。本作は主人公ドロシーを、病院に勤務する大人の女性として設定を変更し、登場人物が命を奪われる直接的な表現や、都市に巣食う売春組織の実態など、原作にはあり得なかった危険な世界を描いていく。


 原作が有名だからこそ、新解釈された意外な設定を楽しむことができる。原作のカカシを、路上で磔(はりつけ)にされ記憶を失った男として登場させ、ドロシーと親密な関係になっていくなど、本作では恋愛の要素も登場する。最高なのは、エメラルドシティに続くという「黄色いレンガの道」の描き方だ。この道の色が黄色いのは、ケシの花粉がばら撒かれているからであり、そこを長く歩くと、空気中に舞うアヘンの効果によって異常な状態に陥ってしまうというのだ。このように児童文学を邪悪な方向に解釈するという一種の背徳感が、本作の大きな魅力となっている。


■現代的な世界、現代的なドロシー
 『オズの魔法使い』のドロシーといえば、おさげ髪でブルーのドレスを着た可憐な少女をイメージする。だが、本作のドロシーは、革のジャケットを着た、バリバリ働く20歳の女性だ。さらに、連れている愛犬・トトは小型犬から大型の警察犬になっており、かなり硬質なイメージへと変貌している。


 ドロシーを演じる主演のアドリア・アルホナ(『パシフィック・リム』続編にも出演予定)が、プエルトリコ出身のヒスパニックだというのも、今までの映像化作品にないユニークな点である。アルホナは女優になるために、ニューヨークでレストランなどアルバイトをしながらオーディションを受け続けていた、芯の強さが見た目にも表れている、実際にバイタリティあふれる女性であり、「現代」のドロシーにふさわしいように思える。危険なオズの国で生き延びるためには、ドロシーも清楚なままではいられない。彼女は身を守るために、ときに嘘をつき、自らの手を汚さなければならない。ドロシーや他のキャラクターを含め、善と悪の境界がハッキリと分かれていないように見えるのも、本作の面白いところだ。


 現代的になっているのは、キャラクターの描写だけではない。物語の舞台ともなるエメラルドシティの美術は、原作の雰囲気に近いファンタジックな可愛さに、スチーム・パンク風のテクノロジーや、東洋趣味などが加えられることで、複雑で混沌としたものとなっており、そこにはアメリカ社会の実相が反映されているように見える。撮影では、俳優たちが細部まで意匠が凝らされたセットの完成度を絶賛している。


 ターセム・シン監督の作品といえば、俳優たちが着る服装も、その価値を左右する重要な要素となる。今回は『スター・ウォーズ』エピソード1~3(新三部作)も担当した、トリシャ・ビガーが衣装を手がけている。ナタリー・ポートマンが演じたアミダラ女王の衣装が印象深い『スター・ウォーズ』新三部作では、銀河の広大な世界観にリアリティを与えるため、世界の各地域の民族衣装のニュアンスが用いられ、とくにアジア圏の要素が効果的に使用されていた。コンセプトが近い今回のマッチングは的確だといえるだろう。


■ターセム・シンの才能はどう活かされるか
 ターセム・シンは、初めて映画監督としてデビューした『ザ・セル』(2000)で、はやくも映画業界に衝撃を与えた映像作家である。もともとコマーシャル映像やヴァネッサ・パラディ、R.E.M.、ディープ・フォレストなどのミュージック・ビデオで活躍していたこともあり、彼の最も得意とするところは、観客にビジュアル・ショックを与えるという点である。セット撮影、ロケ撮影、CGや合成など決まった方法にこだわらず、あらゆる手法を駆使して、彼は観客の息を一瞬止まらせるような映像を作り出すことができるのだ。


 『ザ・セル』は、ジェニファー・ロペスが演じる精神科医が、行方不明になった女性の手がかりを捜すため、未来的な装置によって、究極的に異常な快楽殺人犯の狂った精神世界にもぐり込み、血なまぐさくグロテスクな、しかし妖しい美しさに満ちた恐怖体験をするという内容だった。現実ばなれした雄大な砂漠のロケ撮影や、石岡瑛子による華美で奇妙な衣装、そしてその衣装が精神世界の部屋に接合され姿を変えていくという斬新な光景、また、切断した動物の死体を使用した現代美術家ダミアン・ハーストや、ノルウェーの画家オッド・ネルドルム、さらにアニメーション作家ブラザーズ・クエイなど、ダークな作品のアイディアを取り入れた背徳的なヴィジュアルは話題を呼び、映画を中心とするクリエイターたちに、さらなるインスピレーションを与えることになった。この作品で異常な殺人犯を、撮影中に気絶するまで熱演したというヴィンセント・ドノフリオは、『エメラルドシティ』の重要な登場人物である「魔法使い」を演じている。


 ターセム・シン監督は、その後、ハリウッドの黄金時代への郷愁を大スケールで表現した意欲作『落下の王国』(2008)、ギリシア神話を基に壮絶な戦闘を描く『インモータルズ -神々の戦い-』(2011)、コメディー色を強めた『白雪姫と鏡の女王』(2012)など、娯楽作のなかで、やはり印象的な絵づくりへのこだわりを継続している。


 このような尖った映像は、どのようにもたらされるのか。CMやミュージック・ビデオで頭角を現したターセム・シン監督の映像世界は、他の多くの監督がこだわるような「意味性」や「哲学性」などに、あまり縛られていないように見える。それが美しいものであれ怖ろしいものであれ、無意識下に訴えかけるような、力強いビジュアルを生み出すことが何よりも優先されているのだ。


 思想や建設的な概念から距離をとる、このような試みは、美術の世界では、理性や知識よりも、深層意識や直感を重視するダダイズムやシュールレアリスムに通じるところがある。そのように「感覚的」な作品というのは、サイレント映画の時代、マルセル・デュシャンやジャン・コクトー、ルイス・ブニュエルやサルバドール・ダリなどの先鋭的な作家によって、一時期は盛んに作られたが、登場人物への共感を重視する演劇的な映画が次第に主流となっていき、この手の映画は姿を消していった。しかし、このような表現に、劇映画としての意味を与えるような映画も現れた。サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の『白い恐怖』(1945)は、ダリの創造したシュールな絵画表現を、個人の精神世界を暗示するものとして利用した作品である。これはまさに『ザ・セル』の原型であり、意味から逃れようとするアーティスティックな表現を、娯楽表現のなかにつなぎとめ機能させる試みである。これこそがターセム・シン監督の作家性の核心部分だといえよう。


 ターセム・シン監督の映画作品のなかで『ザ・セル』が内容的に最も成功しているというのは、彼の資質と題材がガッチリとかみ合っていることの証左である。そして、アメリカで最も愛される「物語」である『オズの魔法使い』は、その幻想的世界が、やはりドロシーの内面の投影になっている。その意味において『エメラルドシティ』は、ターセム・シンの真価が発揮できる題材だといえるだろう。これから配信されていく『エメラルドシティ』のエピソードのなかで、かつて多くのクリエイターに衝撃を与えたような、新たなターセム・シン伝説が生まれるのかどうか、それを楽しみにしながら、視聴者を危険な旅へといざなう全10話を観ていきたい。


■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。