「努力は人を裏切らない」という言葉がある。しかし現実は、頑張っても報われないことの方が多いものだ。一方で、努力が全く無駄かというとそんなこともない。
先日、発言小町に「努力は実るものと思えなくなってきました。」という悩みが投稿された。おそらく高校生からで、
「私はいつもいつも最善を尽くすのですがいつも結果が報われないんです」
と嘆き、「もうこんな人生が嫌です」とまで書いている。(文:okei)
「私は努力しても無駄なんだなと思うようになりました」と告白
投稿者は中3の頃の敗北を思い出し、「人生で1番頑張った応援団長」や、「バレー部だったので誰よりも頑張ったクラスマッチのバレー」に勝てなかった、と振り返る。応援合戦だろうか、とくに応援団長で負けたことのショックは大きく、審査していた校長がちゃんと見てくれなかったことや、一部しかやる気のないクラスが勝ったことに、大きな不満が残っている。
「こんなに、どのクラスよりもまとまって頑張っていたのに、そういうクラスが勝ってしまったことに腹がたつし、私は努力しても無駄なんだなと思うようになりました」
負けず嫌いの投稿者は、それでも行事ごとに積極的に取り組んだ。中途半端が嫌いなため、頑張らないで挑もうとするのはプライドが許さないという。しかし結果はいつも報われず、心が折れかかっているようだ。叫ぶようにこう訴えていた。
「もうこんな人生が嫌です。これから受験などがあるのに、努力しても報われないなんて私はどうしたらいいんですか?ただ私が努力しているといった勘違いですか?助けてください」
「社会に出たら学生時代以上に『報われない』ことが多いです」
この若者の嘆きに、多くの大人たちが含蓄あるコメントを送っている。団体戦と個人戦では違うという指摘や、「努力の仕方を考えるべき」、「運も必要」とする人もいた。だが、一番多かったのが
「努力したら報われるというのがそもそもの間違い」「人生はそんなものです」
という冷静な意見だ。
「社会に出たら学生時代以上に『報われない』ことが多いです。一生懸命働いてたのに、社長がだめすぎて会社がつぶれるとか」
「努力が実るものという傲慢な考え方は小学校で終わりじゃないでしょうか。努力しないよりは努力した方が、確率が上がるだけで、結果は不確かなものです」
など、悩める若者には厳しいセリフが大半を占める。
だが、ほとんどの人たちは「それでも、努力は無駄じゃない」と続けていた。
「でも努力は必ず自分に返って来ます。それだけは本当。努力を怠っては絶対に結果は出ませんから。無駄には絶対にならないので、絶望しないでね」
「一見無駄のように思われる努力も後々になって思わぬ形で報われる場合があります。5年後、10年後とかね」
確かに、思うような結果がその時は出なくても、努力したことで確実に成長はしているはずだ。「努力もしない奴なんて誰も相手にしない」という人や、クラスがひとつになって頑張れたことも、大きな成果なのだと教える人もいる。
他人と比べる「相対評価」ではなく、自分の成長を「絶対評価」しよう
投稿者は若者らしく勝敗にこだわっていたが、そもそも「報われる」=「他人に勝つ」ことではないと諭す声も多い。ある人はこう説いている。
「(高校野球を例に)負けないチームは春夏連続優勝したチームだけで、99%以上が負けチームです。だからどういう負け方をしたかが大事なんです。相手チームがどうだったかは抜きで、自身の評価をしてください」
つまり、他人と比べて「相対評価」するのではなく、自分がどれだけ成長し目標に近づけたか「絶対評価」で考えようという助言だ。他にもこんな言葉があり、筆者は投稿者の心に響くことを願う。
「他人に勝てなくても自分に勝てばよいのです。他人に勝った負けたということを、自分を評価する際の尺度(基準)にしてしまうと、大変苦しい人生を歩むことになりますよ」