スズキで開発ライダーを務め、日本最大の二輪レースイベント、鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦する青木宣篤が、世界最高峰のロードレースであるMotoGPをわかりやすくお届け。第1回は、最近話題のMotoGPマシンとダウンフォースの関係について語る。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
バイクレースの世界最高峰、MotoGP。レース専用に作られたプロトタイプマシンに、各メーカーが最新・最高の技術を投入し、激しいつばぜり合いを繰り広げている。
……なんて言う割には、結構フツーっぽく見えてしまうのがMotoGPマシンである。街を行くスーパースポーツモデルと、パッと見たところでは大きな違いが分からない。せいぜい「ライトやウインカーがないな」、「タイヤがツルツルだな」、「スポンサーロゴがいっぱいだな」ぐらいでフォルムそのものは大差ない。
レース専用マシンで世界最高峰なら、四輪で言えばF1のようなもの。そして、街を行くクルマとF1では、見た目からして明らかに違う。「フォーミュラマシンだから当たり前だろう」という話だが、この「見た目からして明らかに市販車とは違う」というのは、モータースポーツの大きな魅力のひとつだとワタシは思っている。
F1と比べ、市販車と大差ないように見えてしまうMotoGPマシンではあるが、それはそれは高度なテクノロジーがふんだんに投入されている。スズキのMotoGPマシン、GSX-RRの開発ライダーを務め、毎週のようにMotoGPマシンのテスト走行をしているワタシが言うのだから間違いない。
ただ、基本的にはシンプルかつ保守的なコンポーネントで、軽量コンパクトを突き詰めるのが二輪のマシン開発の常。ライダーがまたがり、かなり体を動かして操るという制約もあって、「見た目からして明らかに市販車とは違うマシン」はそうそう出てこない。……はずだったのだが、2016年のMotoGPマシンは見た目からして明らかに市販車とは違っていた。それは、ウイングレットの存在だ。ほとんどすべてのファクトリーマシンは大小さまざな形状のウイングレットを装着していた。
もっとも、「空力のバケモノ」であるF1のエアロパーツに比べたら、それはヒジョーに慎ましやかなモノだった。F1マシンに見慣れた方からしたら、「え? どこにウイングがあるの?」と思うかもしれない。だが、突起物に関して法律で厳しく制限されている市販車では、あり得ないパーツだった。
■なぜバイクにダウンフォースが必要になったのか?
ちなみに、なぜ2016年にウイングレットが大流行したのか。これにはふたつの理由がある。ひとつは、MotoGPで使われるワンメイクタイヤのメーカーがブリヂストンからミシュランに代わったこと。そしてもうひとつは、ウイリーを抑止することだ。
まず、タイヤの話。2015年までタイヤサプライヤーを務めたブリヂストンタイヤは、特にフロントタイヤのデキが素晴らしく、MotoGPライダーは安心し切って「フロント任せ」の走りをしていた。
ところが2016年からタイヤサプライヤーがミシュランに代わった途端、各ライダーは「グリップが足りない!」と、一斉にフロントタイヤへの不満を訴えた。そして実際に、テストやレース中にフロントからパタパタと転ぶライダーが多くいた。
開発ライダーであるワタシからしても、確かにフロントタイヤのグリップはブリヂストンより減ったように感じた。でもその差はわずか。「問題の根っこはそこじゃないな」と思った。
ミシュランは、リヤタイヤのグリップレベルがかなり高い。だから相対的にフロントに不満を感じてしまうのだ。……まずこのことを覚えておいていただきたい。
そして、ウイリーの話。最近のMotoGPは開発コスト削減や安全性確保のために、ギチギチに厳しい制約が課せられている。エンジンでいえば、燃料タンク容量が最大22リットルと決められているため燃費に相当な配慮をしなければならず(MotoGPマシンの燃費はおおよそ5km/リットル前後。これって市販スーパースポーツマシンでサーキット走行した時と同等レベルか、より低燃費なぐらいだ!)、なおかつシーズン通しての使用基数が定められているため、信頼性も高めなければいけない。
つまり、闇雲にパワーを追求できないようになっているのだ。
その『限りあるパワー』を、0.1馬力でもムダにしないよう、最新MotoGPマシンは超高効率に作られている。だから、無闇にウイリーなんかしている場合じゃない。見た目にはカッコいいウイリーだけど、フロントが浮くとライダーはわずかにアクセルを戻し、浮きすぎを防止する。
「それってパワーロスなんじゃないの?」ということで、各メーカーはこぞってウイリーコントロールシステムを開発した。電子制御のチカラでウイリー角度を絶妙にコントロールして、パワーロスなく加速できるようにしていたのだ。
ところがどっこい、最近は電子制御開発に莫大なコストがかかっていたものだから、ここにも制約のメスが入った。
電子制御の核であるECU(エンジンコントロールユニット。エンジン制御を司るコンピュータ)が、2016年にハードウェア、ソフトウェアともに全メーカー共通化されてしまったのだ。そして、ハッキリ言ってしまえば大幅に性能ダウンした。
影響はかなり大きくて、共通ECU導入2年目となる2017年も苦労しているワケだが、ウイリーコントロールシステムの制御レベルも相当ステップダウンしてしまった。
さてさて、“ふたつの理由”を整理しますと、ひとつはフロントタイヤへの不満感、そしてもうひとつはウイリーコントロールシステムのレベルダウンだ。お気付きの通り、いずれもフロントまわりに発生した由々しき問題なのだ。
これらを解消するために、どうしたらいいか。F1好きのアナタならすぐに気付くはず。そう、ダウンフォースだ。エアロパーツでフロントを路面に押し付けることができれば、フロントタイヤへの不満感も、ウイリーの抑止も、同時に実現できるんじゃないか……? と。
それを実現したのがウイングレット。イタリアのバイクメーカー、ドゥカティを先頭にしてウイングレットを装着し始めると、フロントまわりの問題はわずかながら明らかに好転した。本当に“わずか”ではあるけど、ウイングレットのアリ・ナシで比較テスト走行すると、確実に効果はある。そして超高効率化をめざすMotoGPでは、いかなる“わずか”も見逃せない──。
長くなりましたが、これが昨年、瞬く間にウイングレットが大流行した理由。「見た目からして明らかに市販車とは違う」MotoGPマシンの登場に、ワタシとしては大いに満足していたし、「素晴らしい!」と思っていた。『バイクレースの世界最高峰』を謳うからには、これぐらい見た目の違いがあった方が良いというのが、ワタシの見解だ。「もっとやれ~」とさえ思っていた……のだが……。
<<後編に続く>>
ーーーーーーーーーーーーーーーー
■青木宣篤
1971年生まれ。群馬県出身。全日本ロードレース選手権を経て、1993~2004年までロードレース世界選手権に参戦し活躍。現在は豊富な経験を生かしてスズキ・MotoGPマシンの開発ライダーを務めながら、日本最大の二輪レースイベント・鈴鹿8時間耐久で上位につけるなど、レーサーとしても「現役」。