トップへ

下世話だけど胸に迫る! ジャド・アパトー『エイミー、エイミー、エイミー!』のコメディ術

2017年03月21日 10:52  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015 UNIVERSAL STUDIOS.ALL RIGHTS RESERVED.

「ちっとも思い通りにいかなかった」


 クライマックスの勢いに任せてヒロインの口から飛び出すこのセリフ。ある意味、この映画の重要なテーマを内包し、なおかつ人生の本質を鋭くつく言葉だ。


参考:恋愛恐怖症女子が覚醒! ジャド・アパトー監督作『エイミー、エイミー、エイミー!』予告編


 ジャド・アパトーの監督作はどれも、傍目には下世話でとっつきにくいものばかりだが、その皮膜を突き抜けると、決してお上品とは言えない“笑い”と共に、思いがけない人生の本音と出会える。冒頭のセリフはその最たるもの。おそらく30~40代の観客が2時間5分の旅路を終える時、「ああ本当にそうだよね・・・」という共感と、穏やかな諦念を持ってこの言葉を受け入れてしまうのではないか。単なるバカ笑いできるコメディとは違う、ある年齢層の心をピンポイントで射抜くような力が、アパトー作品には備わっている。


 今回、彼にとって従来とはやや異なる挑戦作となった。初監督作『40歳の童貞男』(05)、『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』(07)、『素敵な人生の終り方』(09)、『40歳からの家族ケーカク』(12)と全て脚本を兼任していたアパトーが、初めて他者の手に脚本を委ねたのだ。それも全米で絶大な人気を誇るコメディエンヌ、エイミー・シューマーに。このコメディ界のドリームチームと言っても過言ではないコラボレーションの結果、全米では1億ドル越えの大ヒットを記録したほか、ゴールデングローブ賞ではミュージカル・コメディ部門の作品賞と主演女優賞にノミネートを果たしている。


 そこで語られるのは、ニューヨークで繰り広げられる一人の女性のシングル・ライフ。幼い頃に父親から刷り込まれた「一夫一婦制は悪だ!」という謎の教えによって、恋人とのガッツリ系の交際ではなくむしろ一夜限りの関係を好んで送るようになったヒロインが、変わり者のスポーツ外科医との出会いによって、苦しみながら、時にてんやわんやになりながらも、少しずつこれまでの生き方を変えていこうとする。というか、変わりゆく自分を受け入れられるようになっていく。


■二つの才能の出会いがもたらしたもの


 アパトーとシューマー。そもそもの二人が出会った最初のきっかけは、アパトーが車の中で聞き流していたラジオ『ハワード・スターン・ショー』だったとか。その番組に出演中だったエイミー・シューマーが病気療養中の父親とのエピソードを面白おかしく話すのを聴き、アパトーは「なんてファニーなんだ」と大笑いしたのだそう。


 それからの行動は素早かった。彼はすぐにシューマーと会う約束を取り付けて、彼女の才能を見極めた上でさっそく映画作りへと移行していく。そこでシューマーが持ち出したのは、以前より温めていた大衆向けの脚本のアイディア。しかしアパトーは「それでは足りない」と応える。


 アパトーらしいなあと思うのは、ここで彼が「観客が観たいのは、もっとエイミー・シューマーという人間の内面を赤裸々にさらけ出したような作品なんだよ」と説得したところ。なるほど、この「赤裸々な自分を出す」という作業こそアパトー作品ならではの、グッとくる真骨頂だ。きっと彼はコメディの源泉はもっと生活や人生に密着したリアルな感情から迸るものと考えているのだろう(だから下世話にもなるわけだが)。いかに世間的にカッコつけた自分を突きくずして、ファニーで真っ正直な創造世界を作り上げるか。あるいは赤裸々になる勇気をいかにして手に入れるか。これらの試行錯誤を経て、エイミーが“エイミー”という名の主人公を描き、そして演じる、フィクションの中に自伝的要素を炸裂させたような脚本が出来上がっていった。


 歳を重ねることで変わりゆく価値や人生の尊さ、やり場のなさ、どん詰まり感。そこで必死になるからこそ生まれる、腹を抱えるほどの可笑しさ。その全てが本作にはてんこ盛りだ。シューマーは今をときめく売れっ子。アパトーは本来自らコメディアンを目指しながらも、いつしか作り手に回ることを決断した人物でもある。そんな裏と表の二人が切磋琢磨しあいながら作品を作り上げていくさまは、その過程そのものが一本の映画のようでもある。その情熱の香りに惹かれるように、今やオスカー女優となったブリー・ラーソンが妹役で登場したり、他にもティルダ・スウィントン、ダニエル・ラドクリフやマリサ・トメイ、エズラ・ミラーなど豪華な面々が、全くもってよく分からない役柄で顔を覗かせているのも驚きだ。みんなこの映画が持つ奇妙な磁力に惹かれたのだろう。


 ちなみに原題は『Trainwreck』。“大失敗”、あるいは“めちゃくちゃな状態”を表す言葉である。同じトレインという言葉と掛けたのか、終盤では目的地に向かう途中で地下鉄が止まってしまうシーンが映し出される。人生、何事もそう簡単にはいかない。冒頭の言葉に戻ろう。彼女はこう口にする。


「ちっとも思い通りにいかなかった。足も全然上がらなかった」


 歳を重ねると思い通りにならない自分に苛立ち、その原因を環境のせいにしたくなることだってある。だが、たとえ自分の生活や、才能、時には人生そのものがめちゃくちゃに思えて頭を抱えたとしても、それは決して絶望ではない。一歩引いてみると、それがむしろ新たな自分を受け入れる入り口に思えることだってある。クライマックスのシューマーは、無様でカッコ悪いが、でもなんだか輝いて見える。何かを受け入れた彼女はとても素敵だ。


ーーとはいえ、やっぱり相変わらず、下世話ではあるのだが。(牛津厚信)