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伝統を守り、伝統を壊していくーー『モアナと伝説の海』が伝える作り手のメッセージ

2017年03月20日 11:33  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2017 Disney. All Rights Reserved.

 「レジェンド」の復活である。『リトル・マーメイド』、『アラジン』、『ヘラクレス』などで、ディズニー第二次黄金期を支えた、ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督コンビが、このほどディズニーのアニメーション作品に、ついに監督として戻ってきた。とくに『リトル・マーメイド』の成功というのは、その後のプリンセス路線を復活させる「ディズニー・ルネッサンス」のきっかけをつくり、ウォルト・ディズニー亡き後、長らく低迷していたディズニー・アニメーションの息を吹き返させた偉大な功績だといえる。その彼らが、本作『モアナと伝説の海』で、はじめての長編CGアニメーションに挑んだ。


参考:『モアナと伝説の海』監督が明かす、モアナ誕生の秘密 「最初の主人公はマウイだった」


 基本的にディズニーの長編アニメーション映画は、すでに手描きの製作ではなくなっている。現在、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは表現の可能性がより豊かだと考えられている3DCGの製作手法を選択しており、伝統的な手法の製作部門を大幅に縮小してしまっているのだ。日本では2010年に公開されたジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督の前作、『プリンセスと魔法のキス』は、その後にスタッフをかき集め、かつての手描きの手法を甦らせて作った奇跡のような映画だった。だが、時代は進む。3DCGが主流となったいま、伝統にこだわるだけでなく、あたらしいスタッフたちに、彼らの作家性や魂を伝えることも重要なことだろう。そもそも、『リトル・マーメイド』や『アラジン』にも、部分的にCG技術は導入されていた。そのことによって彼らは新しい表現を生み出してもきたのだ。彼らにとってCGは「敵」ではない。ちなみに、本作のキャラクター、マウイが全身に彫っているタトゥーは、意志を持って動き、歌い踊るが、この箇所については伝統的な手描き技術が導入されている。


 『モアナと伝説の海』は、『ロード・オブ・ザ・リング』の原作である『指輪物語』を思い起こさせる、古典的な冒険物語である。その根底にあるのは、『指輪物語』同様に、新しい冒険を求め、自分の可能性を試すことへの熱い想いである。主題歌「どこまでも ~How Far I'll Go~」は、まだ見ぬ世界へのあこがれをまっすぐな歌詞と歌声、楽曲によって表現し、観客の心を震わせる。生まれ育った島を後にして、少女モアナは危険と希望に満ちた外洋に漕ぎ出していく。その姿には、あたらしいCGの世界に突き進んでいく監督の心情が重ねられているようにも見える。


 近年、ディズニーやピクサーでは人種的に非・白人系のキャラクターを主人公に迎えることが増えている。プリンセスをめぐる、いわば保守的な価値観に、ときに回帰しながらも、一方では多様性を重視してもいるのだ。心優しく活発な面を持ち合わせる少女モアナは、小さな島で村長(むらおさ)の地位に就くが、これに対して、従来のディズニー作品ではありがちだった、村の男と結婚するなどの条件が提示されていないというのが面白い。女と男の様々な差異などはじめから無かったといわんばかりに、女であること特有の葛藤や苦しみ、またはよろこびや恋愛などというものが全く描かれないのである。ここまで社会的な「女」という概念に縛られていない女性の主人公というのは画期的である。さらに、モデルのように痩せ過ぎた体型でなく、よりナチュラルなバランスにデザインされているという点もあたらしい。これはやはりいつか作られなければならなかった作品だろう。そして、このあたらしい価値観を業界最大手であるディズニーが行っているという意味は大きいはずである。


 本作で生み出される葛藤は、女であることに起因するものでなく、彼女を村という枠に押しとどめようとする力と、彼女自身のなかにある、外へ向かおうとする力である。伝統を守っていくことが重要だとする劇中歌「いるべき場所」では、自分たちのいま住んでいる場所こそが最高だとする保守的な価値観が示されている。この考え方に共鳴しながらも、それを打ち破っていきたいという気持ちが抑えきれないモアナの姿は、政治的な保守と革新の対立構造とも重なり、ドメスティックな方向に向かおうとするアメリカや世界的な潮流の風刺表現でもあるはずだ。しかし、モアナの行動の規範になるのは、また別の民族的歴史であり、本作は伝統の全てを批判しているわけではなく、むしろ良いと思える部分に関しては尊重し敬意を払っていることが分かる。この作品世界を説得力を持って作り上げるため、監督たちはポリネシアに出向き、現地の潮風を感じながら、神話や島々の文化を研究したという。


 外へ向かおうとするモアナに味方してくれるのは唯一、島の中で「変わり者」と考えられている、モアナのおばあちゃんである。彼女の名前「タラ」は、現地の言葉で「物語」を意味する言葉だ。彼女はモアナに「物語」を語り、島の外にも世界があるということを教え、また外に向かおうとするモアナの心を鼓舞する。ここから感じるのは、本作の作り手による「物語の力」を信じる心である。映画を作り観客に見せるということは、物語を紡ぎ伝えるという行為に他ならない。作り手たちは、この物語によって世界を少しでも良くできると信じ、子どもたちにあたらしい価値観と勇気を与えようとするのである。


 この世界に陸地と生命を生み出したといわれる、女神テフィティの心を取り戻そうとするモアナの旅に同行するのは、頭が空っぽのニワトリ、ヘイヘイと、あらゆる動物に姿を変えることができる半神マウイである。彼らもまた、いままでにないキャラクターである。神話という伝統に敬意を払いながらも、そのイメージをあたらしいものに変えていく。自身がすでに「レジェンド」的存在であるジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督は、彼ら自身の挑戦によって、また本作の設定や演出によって、さらに製作手法においてもその姿勢を徹底することで、あらたな道を切り拓いてきた「魂」を、観客のみならずディズニーの後進たちに伝えているのである。(小野寺系)