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【特集:いま、F1に求められる大改革(1)】リバースグリッド方式を導入すべき理由

2017年03月18日 09:31  AUTOSPORT web

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2016年F1カナダGPスタート
F1では、この10年超で多くの変更があったが、レースそのもののフォーマットは手付かずのままだ。F1が近代の波に飲み込まれて沈むことなく、進み続けたいと願うのならば、この姿勢を変える必要がある。英AUTOSPORTの特集担当者スコット・ミッチェルは、F1はリバースグリッドなどの大胆な変更を取り入れるべきであると考えている。

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 スピードを競う競技において、レースそのものの進化が遅々として進まないというのは、なんとも皮肉だ。上層部の数人が自分たちのやり方に固執してきたために、モータースポーツは危機に瀕している。F1では、フォーマットへの固執が最も良い例だ。新たなテクノロジー、開催地、ポイントシステム、予選方式が採用されてチャンピオンシップは進化を遂げていったが、頑として変わらないものがふたつある。予選が存在することと、2時間に渡って行われるレースだ。

 67年間でF1がどれだけ変わったかを考えると、「ずっとこうだったから、こうしている」という主張は少々弱い。F1は常に競技とビジネスの複合体であったが、最近では以前にも増して後者に重きが置かれている。1950年のチャンピオンシップ初年度以来、プロフェッショナリズムの部分が拡大し続け、技術的進歩も相まって、エンターテインメント面での価値は減少していると言える。

 マシンが均質化されたことにより、イノベーションは絶えたかのように見えることもあるが、技術的には今のF1マシンは最新鋭のグランプリカーだ。だが残念ながら、空力分野での進化は、面白いレースを生み出していない。

 トップチームが大金を投じて、前のマシンにぴったりついて走り、もっと自由にレースができるようなマシン、つまり現状のシステムに合わないマシンを作るだろうか? メルセデス、フェラーリ、レッドブルは自分たちのマシンが速く、前列でスタートでき、さらに言えばレースをする必要もないことを分かっている。彼らとしては、空力モンスターのようなマシンを追求し続けるだけだ。

■リバースグリッド導入で簡単にエンターテインメント性が向上

 F1では常に最速のマシンをグリッド最前列に据える。ただし、これは信頼性が今よりも劣り、オーバーテイクが根本的に簡単だった時代に発祥した伝統だ。近代のグランプリレースが頼みの綱とする「偶発性」は、今の形式の予選がある限り、それほど高くない。従って、リバースグリッドへの反論の根拠に「伝統」を持ち出すのはナンセンスである。

 やっかいなのは、多くの人々はエンターテインメント性に欠けるレースに対して最も手っ取り早く前向きな影響を与えるであろう、シンプルなひとつの変更、つまり「リバースグリッド」を受け入れようとしないことだ。

 リバースグリッドを導入したとしても、F1は大きな変更を要求されるわけではないし、レースの根本的な部分は実質的には維持される。最も簡単なやり方は、レースごとに選手権順位を逆にしてグリッドを決定することだ。開幕戦については、前シーズンのドライバーズ選手権を逆にすればいい(ルーキーは最後尾スタート)。これによって、予選でベストなグリッド位置を得るために、ドライバーが手加減するようなことはなくなる。

 序盤戦には多少の混乱が見られるかもしれないが、最終的には落ち着くはずだ。そしてシーズン開幕戦は、いつもと異なるグリッドとなる。たとえばメルセデスは初戦は後方につく。しかしレース中に少々前に出る程度で、それほどの得点をあげなければ、次のレースではより前方のグリッドにつくことができる。

 一方、昨シーズンのマノーでの成績により、エステバン・オコンはポールからのスタートとなる。しかし今季の彼はフォース・インディアの一員であるため、開幕戦はいつもとは異なる状況を楽しめる可能性がある。ただし2戦目には選手権順位に従って、後方からのスタートになるかもしれない。

■バトルが可能なマシンが必要に

 シーズン序盤に予想不可能なグリッドになることを考えれば、マシンはダーティエアの中を走れるものでなくてはならないだろう。その部分にある程度の重点を置いて設計する必要が出てくる。また、ドライバーのレース運びの腕も試される。たとえばセバスチャン・ベッテルは、いまだに持ち上がる「接近戦が不得手」という批判を、ようやく封じ込めることができるかもしれない。

 グランプリレースの予想しづらい部分も維持される。戦略や、ピット内でのメカニックによる作業が重要であることに変わりはない。ただレース全体を見渡すと、ドライバーにとっての難易度は明らかに上がる。

 リバースグリッドによるレースが、毎回2005年の日本GPのように運ぶわけではないことは、理解しておくべきだ(このレースはリバースグリッドがF1でどう機能するかの究極的な例として、たびたび引き合いに出されている)。しかし、メルセデス、フェラーリ、レッドブルが、毎戦を制する方策を編み出すことはおそらく不可能だ。もしそれができたなら、レースは毎回エンターテインメント性に満ちたものになるし、できなかった場合にはリザルトにバリエーションが増えることになる。


■レースの興奮を生み出すためには“人為的”な策が必要

 リバースグリッドは人為的すぎると言われてもかまわない。だとしてもそれが大きな問題になるだろうか。ここ数十年の間で最高と称されてきたレースの中にも、通常ならあり得ない状況で実現したものがいくつもある。

 2012年のスペインGPでは、絶好調だったウイリアムズのマシンを生かし切ったパストール・マルドナドが優勝した。彼は、真っ向勝負でルイス・ハミルトンを破ったのではない。ハミルトンはレギュレーション違反により予選タイムを抹消され、最後尾からスタートしたのだ。

 ベッテルがトロロッソで初勝利を挙げた2008年イタリアGPは、勝ち目のなかったドライバーによる偉業と見なされている。けれども予選、決勝とコンディションはウエット、マクラーレンのハミルトンはグリッド後方に沈み、チームメイトのヘイキ・コバライネンのペースは悪く、ベッテルを脅かさなかった。

 マックス・フェルスタッペンはレッドブルでのデビューウインを飾ったが、メルセデスの2台が同士討ちによって消えたがゆえに手にした勝利だ。加えてチームメイトのダニエル・リカルドもお粗末な戦略に足を引っ張られた。これは誰もが認めるところだろう。

 これらは、幸運な出来事によってドライバーがチャンスをフルに生かし、番狂わせを起こした好例である。自然な流れによって、普通ではあり得ない状況が発生した。

 リバースグリッドの場合はそうではなく、イレギュラーな状況を故意に作り上げるものだ。しかし、スタードライバーらが列をなしている現状で、何か違うことが起きるという事態は非常に稀だ。多額のチケット代を支払ってコースサイドにいる観客たちや、テレビ視聴者らのために面白いレースを見せるという部分が運任せになっている。そんなことがいまだに競技(そうは見えなくても)において許されている現状は、ばかげている。

※「【特集:いま、F1に求められる大改革(2)】大胆変更の予選システムをシミュレーション」は後日公開いたします。