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異人種間結婚を認めさせた、一組の夫婦の実話ーー『ラビング』が描く“平穏な日常”の背景を読む

2017年03月17日 11:42  リアルサウンド

リアルサウンド

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■映画『ラビング 愛という名前のふたり』の背景にある10年弱の闘い


 1958年7月11日夜中2時ごろ、バージニア州セントラル・ポイントに住んでいたラビング夫妻の家に保安官が突入し、二人を逮捕した。ラビング夫妻の罪は異人種間結婚を結んだこと。というのは、当時のバージニア州では異人種間結婚が禁じられていたからだ。


 『MUD -マッド-』のジェフ・ニコルズ監督最新作『ラビング 愛という名前のふたり』は、リチャード・ラビングとミルドレッド・ラビングの実話に基づいた、彼らの長年の闘いを描いた映画だ。ラビング夫妻対バージニア州の裁判は、米国連邦最高裁判所まで上訴されたが、『ラビング』はその裁判に焦点を当てるよりも、リチャードとミルドレッドの日常に注目している。


 ニコルズ監督は本作で、ラビング夫婦が送っていた静かな日々を描き、二人はアメリカのヒーローではなく、「普通に」愛情で結ばれていた平凡な人だったことを強調しているといえよう。しかし、その背景には大文字の歴史が存在しており、ラビング夫妻対バージニア州裁判は、今日までのアメリカ社会に大きな影響を及ぼしている。


■ラビング夫妻の闘いを描くドキュメンタリー映画『The Loving Story』


 ラビング夫妻の物語を理解するには、ナンシー・バースキー監督の『The Loving Story』(2011年)というドキュメンタリー映画が重要だ。ニコルズ監督にも感銘を与えたこの映画では、ラビング夫妻と弁護士との対話を通じて二人の闘いが描かれ、『ラビング』の背景にある大文字の歴史が解釈されている。


 リチャードとミルドレッドは、1958年6月2日、当時既に異人種間結婚が認められていたワシントンD.C.で結婚し、セントラル・ポイントのミルドレッドの実家に移り住む。『The Loving Story』でリチャードが語るように、50年代ではセントラル・ポイントに白人と黒人が同じコミュニティーに住んでおり、異人種間のカップルがさほど珍しいことではなかった。しかし、ほとんどの人が自らの関係を公にせず隠していたのだ。というのは、人種差別がまだ根強かった上に、「Miscegenation」(異人種間混交)という概念も存在していたからだ。


 60年代のアメリカでは人種(白人)の純粋性と至高性を追求すべきという意識がまだ強かった。異人種間混交は、異人種間の結婚、同棲、性関係などを包含する概念であり、1924年の人種統合法によって禁じられていたのである。そのため、白人のリチャードとアフリカ系アメリカ人(先祖にはチェロキーとラッパハノックのアメリカ先住民もいた)ミルドレッドの結婚が違法とされ、二人は1年の刑を宣告された。離婚するかそれとも故郷を捨てるか、極端な選択を迫られたラビング夫妻は、最終的にバージニア州を離れ、最低25年間は一緒に戻ってこないという条件で、刑の執行が停止された。


 50年代から60年代前半にかけては、人種差別に基づく事件が相次いでいた中で公民権運動は絶頂を迎える。キング牧師らの呼びかけに応じて、人種差別や人種隔離の撤廃を求めるデモが行われ、1963年の「ワシントン大行進」に20万人以上の参加者が集まった。


 当時のワシントンD.C.をはじめ、アメリカにおいては公民権運動が積極的に行われていたが、ラビング夫妻はそれには参加しなかったので、「活動家」だったとは決して言えないだろう。しかし、二人の個人的な闘いがアメリカにおける人種差別の解消に大いに貢献し、6月12日が「ラヴィング・デイ」として祝われているほど、ラビング対バージニア州裁判はアメリカの歴史を大きく変えたのだ。


 1959年に「直ちにキャロライン郡とバージニア州を立ち去り、25年間、前記の郡及び州に一緒にまたは同時に戻らない」という条項に同意することで執行猶予となったリチャードとミルドレッドは、ワシントンD.C.に移住し、子ども3人とミルドレッドのいとこ夫妻と共に暮らすようになった。その後、都会の生活に馴染むことができず苦悩していたミルドレッドは、ケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ司法長官に手紙を送り、1963年にアメリカ自由人権協会(ACLU)に紹介されることになる。


 1964年、ボランティアの協力弁護士バーナード・S・コーエンとフィリップ・J・ハーシュコップがバージニア州キャロライン郡巡回裁判所にラビング夫妻の代理として申し立てを行った。そこでラビング対バージニア州裁判が始まり、当時のアフリカ系アメリカ人公民権運動とは縁がなかった、リチャードとミルドレッドが人種差別の解消の象徴となったのだ。


 1965年のバージニア州最高裁判を経て、1967年にラビング夫妻は引き続きACLUの支援を受けアメリカ合衆国最高裁判所に上訴した。6月12日に米国連邦最高裁判所はすべての異人種間結婚禁止法を違憲であると全員一致の判決を下した。


 ラビング夫妻対バージニア州裁判をもって、バージニア州をはじめ16の州で異人種間の結婚が合法化された。それにもかかわらず、最高裁判所の判決に反対していた州もあり、とうとう2000年にアラバマ州でも反異人種間混交法が無効となったのだ。


■「妻を愛していると伝えてくれ」ーー『ラビング』の中心にある愛の物語


 残念ながら『The Loving Story』は日本未公開のため、実際のラビング夫妻の姿が映る裁判前夜などの映像を簡単に手に入れることはできない。しかし、『ラビング』の制作にあたってニコルズ監督は、バースキー監督のドキュメンタリー映画をはじめとするラビング夫妻の裁判を語る資料を元に、リチャードとミルドレッドの闘いを丁寧にリサーチし、その大文字の歴史から日常における愛情を取り出した。


 また、リチャード役を演じたジョエル・エドガートンとミルドレッド役を演じたルース・ネッガは、『The Loving Story』の映像やラビング夫妻の写真から、二人の話し方や細かい仕草を習い、それを丁寧に画面に映した。そのおかげで、本作にはセックスシーンが一切ないにもかかわらず、リチャードとミルドレッドの親密さが日常生活の描写で明らかにされている。


 たとえば、セントラル・ポイントで楽しい日々を過ごすリチャードとミルドレッドは、人前で大げさに抱き合ったりキスをしたりすることはないが、リチャードがミルドレッドの肩を抱き寄せるシーンが多い。また、家でテレビを観ているリチャードがミルドレッドの膝に頭を乗せるというシーンも観客の目に焼き付くだろう。というのは、リチャードとミルドレッドが自然に身体を寄せ合うのだが、その自然さこそが二人にとって愛し合うことが当たり前だったことを語っていると同時に、禁じられた愛だったことも強調しているからだ。


 1967年に行われた米国連邦最高裁判にラビング夫妻は参加しなかった。それは、内向的でカメラの前で話すのが苦手だったリチャードと、「夫が行かなかったら私も行かない」と主張したミルドレッドの選択だった。そこで、最高裁に「何か言いたいことはあるか」と聞かれたリチャードは、「妻を愛していると伝えてくれ」と答えたそうだ。本作『ラビング』で描かれているのは、まさに大文字の歴史から取り出した人種差別に対するリチャードとミルドレッドの闘いであり、愛する人と「普通」の平穏な生活を送りたいという、誰もが共感できる感情が画面に映し出されているのだ。(グアリーニ・ レティツィア)