トップへ

『カルテット』家森諭高(高橋一生)には大きな謎が残っている? 初回からの“伏線”を考える

2017年03月16日 06:03  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)TBS

 火曜ドラマ『カルテット』(TBS系)が、次回で最終回だなんて信じられない。こんなにラストがどうなるのか予想がつかないドラマも珍しい。このドラマの最大の魅力は、徹底して作り込まれた世界観にある。登場人物の何気ない会話や所作が、ストーリー展開を示唆していたり、メタファーとなっていることに気づいたときの快感がやみつきになるのだ。ネットやSNSで盛り上がっているのは、「こういうことなのでは?」「たしかに!」と、自分ひとりでは気づかなかった部分も共有できる面白さにある。そこで今回は、筆者もその輪に入れてもらいたい。筆者がどうしても気になるのは、ヴィオラ奏者の家森諭高(高橋一生)についてなのだ。


参考:『カルテット』4人の“最後の夜”に感動! “全員片思い”から“全員両思い”へ


■1人で泣いていた姿は、友情? 私情?


 3月14日放送の第9話では、早乙女真紀(松たか子)が過去に他人の戸籍を購入した過去が明らかになる。「ニモではなくカクレクマノミでしょ」「バンドエイドではなく絆創膏ね」など、ちょっとめんどくさい男・家森の言動から今回のテーマが“本当の名前“であることは、もはや『カルテット』ファンならばピンときたはず。真紀は、早乙女真紀ではなく山本彰子だった。読み方は違えど、彰子といえば紫式部だ。紫式部? 家森が隠し持っていた高級ティッシュの名前もたしか……。これは、何かつながっているのではないか。


 思い返してみれば、真紀が離婚をして名字が“巻”から“早乙女”に戻ったと話したとき、すずめ(満島ひかり)と別府(松田龍平)のふたりは、ポカンとしていたにもかかわらず、家森だけチラッとすずめの表情を確認していた。まるでその名字を知っていて、周りの反応のほうに興味を示しているかのように。


 そういえば、時間は不可逆であることを示す“唐揚げにレモン”や、人は口に出していることと本音は同じではない“行間案件”、想いをなかったことにして大人としてうまくやっていく“SAJの3段活用”、そして今回の“本当の名前”など、振り返ればテーマはいつも家森から発信されていた。


 地下アイドルをしていた有朱(吉岡里帆)の「不思議の国に~連れてっちゃうぞ」という掛け声にも、家森ひとりだけが反応しかけていたのも気になるところ。ひょっとしたら家森はカルテットメンバーの過去をすべて知ってた?……なんて深読みもしたくなってくる。


 そして、真紀が警察に向かったあと、ひとり部屋で泣いていた家森。その涙の意味は、純粋に仲間を失った悲しみなのか。それとも、まだ私たちが知らない思いがあってのことなのだろうか。


■冗談みたいな経歴は、嘘? 本音?


 家森は以前、自分の経歴を早口で説明したことがあった。小学生のころ“自転車”で日本一周。“お金がなくて”Vシネに出演……と。真紀の母親を死に至らしめた自転車事故で、2億円もの賠償金を支払い続けた加害者家族を連想させる。


 自分の子どもと別れたときのあの涙も、もしかしたら過去の一家離散を繰り返している感覚に陥っていたのではないか、ともとれるのだ。“青いふぐり”の猿を探しに行くとき「戸籍は売りません」と話していた会話も、伏線なのではないか。


 以前、家森は真紀に近づいた理由を、“大怪我をして入院中に真紀の夫だった幹生(宮藤官九郎)と話し、その内容で脅迫しようとしていた”と、すずめに話したことがあったが、それも本当かはわからない。もしかしたら、真紀を脅迫しようとしていたのは、幹生を突き落としたネタではなく、“戸籍の売買”の件だったら? “事件後の被害者家族の悲惨さ”についてだったら?“ 義理父の死”だったら? と、想像は膨らむばかり。


 入院時の回想シーンが冗談のように顔面を包帯グルグル巻きにしていたのも、事件関係者として顔バレを恐れたのではないか……と、もう深読みが止まらない。「知っています」「あなただったんですか」「冗談ですよ」の、狂気の“SAJ3段活用”だってありえる。ああ、みぞみぞする。


■家森の心の穴は、埋まる? 広がる?


 そもそも家森が初登場したシーンは、かなり強烈だった。道を訊かれただけの女性に対してキスをする、チャラい男だと印象づけられた。だが詳細に描かれる家森のキャラクターは、ゴミ出しの際に息子を彷彿とさせる小学生に目を奪われたり、すずめに恋心を抱きながらもその想いを胸に秘めて支え続けるなど、かなり繊細なイメージにすり替わっている。ならば、なぜあんな登場の仕方をしたのだろう。


 「人生のリセットボタンを押さない」と、別府に伝えながらタンタンタンッと腕をたたくときも、真紀を見送り泣き崩れるすずめの背中に添える手も、慎重さを感じさせる。Vシネ時代のキャラクターだという『千と千尋の神隠し』(あ、これも名前が奪われるテーマの映画ですね)の青蛙のような声で「ワシを倒してから行けー」とふざけるシーンでさえ、直接触れない。まるで壊れないように、恐る恐る触れるような、その距離感はまだ明かされていない過去に紐付いているのではと思えてならないのだ。


 「そういえば、あのシーンって……」と思うところは無数にあって、何度でも反すうできるのが、『カルテット』の面白いところ。最終回では、こうした違和感や疑問が全てクリアになるかもしれないし、ならないかもしれない。なぜなら、そんな白・黒はっきりできないのが、おとなの掟なのだから。人生はちょっとしたキッカケで大きく変わるし、見方によって加害者にも被害者にもなるし、本当の名前よりも愛称が実態となることもある。真実は、今自分が見ている一面にすぎない、だからそれぞれの真実をすり合わせることが大事なのだということがわかるドラマ。最終回を見終わったあとも、「あのシーンって、こうなのでは?」とファン同士で話し合えたら、こんなにテーマが視聴者に伝わる素晴らしいドラマはないだろう。(佐藤結衣)