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ライアン・ゴズリングはジェームズ・ディーンの再来? 『ラ・ラ・ランド』に見た神話的スターの面影

2017年03月12日 10:03  リアルサウンド

リアルサウンド

『ラ・ラ・ランド』

 恋の男優としてのライアン・ゴズリングのこれまでのキャリアを、大きな目でしっかりと受けとめ、スクリーンに投射してくれたのが『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンだ。彼女の大きな目は、まるでこの映画のラスト・シーンのために作られたかのようだ。みひらかれた彼女の目にうっすらと涙の膜が張り、みつめあうゴズリングの目に優しいほほえみが浮かぶ時、これまで彼が演じたいくつもの悲しい恋の男の記憶が押し寄せてくる。


参考:菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評 第二弾:米国アカデミー賞の授賞式を受けての追補


 『ラ・ラ・ランド』の悲しい恋が、真っ先に思い起こさせるのは『ブルーバレンタイン』(2010、デレク・シアンフランス)の破局の物語だ。前者のエマ・ストーンが、終わった恋を哀切さも含めてきれいな宝石箱にとっておけるのとちがって、後者での相手役ミシェル・ウィリアムズは、思い出に助けを借りる力もなくただ必死に彼──生活に張りを失って朝からビールを飲んでいる──との関係を断ち切りたいと願っており、映画はあまりにも厳しい別れの場面で終わる。


 『ラ・ラ・ランド』のゴズリングは、これまでになく陰惨な表情で画面に登場し、まったく愛嬌のない顔で中指を立て、すさんだピアノを弾き、女性(ストーン)にイヤな音を立ててぶつかって謝りもせず、ファンをひそかに動揺させる。過去の出演作を振り返ると、どんな「ダメ男」であろうと、けっしてがさつではなく、原則として女性や子供や犬に優しい──しかも、原則として下心なく──というのがゴズリングの最大の美点の一つであったはずだからだ。


 『ブルーバレンタイン』のゴズリングが、客観的には妻(ウィリアムズ)に去られても仕方がないと思わせながらも、どうしてもまだチャンスを与えてほしかった、ぜったいに彼を見捨てないでほしい……と最後の最後まで観客に願わせずにはおかなかったのは、上の美点も含めたゴズリングの恋の男優としてのすぐれた資質が、回想シーンの切なく瑞々しい青年期の彼のイメージを超えて、ふがいない中年となった今の姿にも細心の注意をはらってキープされているからだろう。


 ライアン・ゴズリングの美質が、『ラ・ラ・ランド』で十全に活かされているとはいいがたい。たんに、不本意な演奏活動を続けざるをえない鬱屈したミュージシャンというキャラクターゆえの魅力の乏しさというのではなくて、ピアノを弾き、歌を歌い、ミュージカルゆえダンスもせねばならないという過酷な要請にこたえるのに多くの労力をはらって、その分のびのびと自身の魅力を発揮することがむずかしくなっているというのが正直な印象だ。


 そうした印象は、とりわけこの映画に先立って公開された『ナイスガイズ!』(2016、シェーン・ブラック)のダメ探偵役の彼が、ひじょうに楽しげに生き生きとダメぶりを発揮しているのをみればいっそうはっきりしてくる。茶目っ気も、ところどころでは『ラ・ラ・ランド』で試みられるのだが、どうもうまく機能していないのだ(たとえば彼お得意の、何かにビックリしてみせる時のコミカルなアクション)。


 それでも、この映画の彼にけっきょくは恋の男優の称号(!)を捧げずにいられないのはなぜか。ラスト・シーンの最後で、一人小さくうなずく彼の横顔に涙せずにはいられないのはなぜか。それはおそらく、彼に恋したエマ・ストーンが、あの大きな目で、あまりにもすばらしく恋の感情を画面いっぱいに流れ込ませて、見るものの胸を満たしてくれたからにちがいない。エマ・ストーンがボーイフレンドらとの食事の席を抜けだして、本当の恋人が待つ映画館へと急ぐ夜のシーンは、この映画のもっとも切なく美しい場面だ。恋は必ず終わる。だからその始まりの高揚には喜びと悲しみがすでに一緒に含まれている。


 二人が初めてのデートで見る映画はジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』(1955、ニコラス・レイ)だ。この映画の公開1か月前、自動車事故によってわずか24歳で亡くなった神話的大スター、ジェームズ・ディーンの面影を、ほかならぬゴズリングが宿していることにデイミアン・チャゼル監督は気づいていたのだろうか。ゴズリングの初期出演作『完全犯罪クラブ』(2002、バーベット・シュローダー)では、理由なく殺人に手を染める裕福な高校生役でディーンを彷彿とさせる赤いジャケットを着ていた。同年の日本未公開作『The Slaughter Rule』(アレックス・スミス、アンドリュー・J・スミス)ではふしぎなことに顔までそっくりだ。


 さらに、『ブルーバレンタイン』のゴズリングの役名は「ディーン」だし(といってもファーストネームだが)、同じデレク・シアンフランス監督の『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』(2012)でも、赤いジャケットを着て、ディーンのようにバイクを飛ばし、スピードに取りつかれたように犯罪に走り、加速し、相棒にも愛想をつかされてこう言われる。「稲妻のように走り、雷のように死にたいか?」。作品のたった3分の1を過ぎた頃に彼は死んで、にもかかわらず彼の記憶は最後まで恋人のように私たちの心に残り続ける。


 「百歳まで生きても、まだ自分がやりたいことを全部やる時間はないだろう」──ディーンはこう言っていたという。ディーンがやり残したたくさんの仕事を、ゴズリングがこれから様々な作品で一つずつ実現していってくれる。彼はそういうスターなのだ。(田村千穂)


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Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND.Photo courtesy of Lionsgate.