「つらみがある」「わかりみが深い」
ここ最近、SNSなどで度々見られる、「○○み」という言葉。違和感を覚えながらもなんとなく使ってしまう人もいるのではないだろうか。この言葉づかいについて、はてな匿名ダイアリーに3月4日、「『○○み』っていう表現ヤメロ」という投稿が寄せられた。
この「○○み」とは、「分かる」や「つらい」といった動詞や形容詞などの後に「み」をつけて名詞にし、「わかりみが深い」「つらみがある」として、独特のニュアンスを感じさせる表現のことを指す。2016年ごろ一気にツイッター上に広がった。
これに関して投稿者は、なんでもかんでも「○○み」と使うのは日本語の乱れでだと感じているようだ。
「それは元来『○○さ』が担ってきた役割だ。『さ』の仕事を奪うな!」
「知的レベルが大変残念感がある表現」「たしかに気持ち悪い」
ブックマークやトラバで寄せられた意見の中には「○○み」という言葉を知らない、という人も多かった。
「こんな表現初めて聞いた! そしてリアルタイム検索したらゴロゴロ出てきた!」
「『こんばんみ』とかいうやつかとおもた(編注:お笑い芸人ビビる大木さんのギャグ)」
しかし、この言葉に嫌悪感を覚えたという人も多い。日本語として間違っているとは断定できないが「たしかに気持ち悪い言葉なんだよなぁ」というのだ。
「知的レベルが大変残念感がある表現」
「『バブみ』という言い方が苦手(編注:自分が幼児化してその対象に甘えたい「バブバブ言いたい」から)」
ある人は「『辛味・甘味・苦味・旨味』と『辛み・甘み・苦み・旨み』はどう違うか。『酸味』とは言うけど『酸み』とは言わないな」と使用・活用方法が分からないという人も見られた。中には、
「『○○さ』は客観の表現で、『○○み』は観測者の感性というか主観が混じっている感じ」
「『○○さ』は自分が受け取った感覚、『○○み』は対象の性質に重点を置いた表現」
と相対する意見も出ており、まさにニュアンスで使われる表現ということなのだろう。「バブみの超越したイメージに比べて、つらみとかのニワカ感は思う」という感想もある。
「○○み」は自分から感情の責任を引き離そうとする戦略?
実際、「○○み」は、どのような背景から使われるようになったのだろうか。作家であり心理カウンセラーでもある五百田達成さんは2016年4月11日に公開した、「『"眠さ"しかない』『"わかりみ"が深い』→なんでも名詞に、どうして?」という記事の中で「○○み」は「『主語の意志』が欠けている」と述べている。
「『行きたい』と言っただけで『(私は)行きたい』ということが伝わります。しかし『行きたみ』とすると、『行きたい』という感情が主体を離れ、ふわふわと浮いているようなイメージになります」
確かに、「めっちゃ行きたい」よりも「行きたみがある」の方が、感情の温度が低く感じられる。むしろ他人事のように思えてしまう。五百田さんは「感情の所在を曖昧にすることで、感情の責任を自分から引き離そうとする賢い戦略」であるとして、
「『○○み』は、自己を隠して他人に同化しようとする、きわめて日本人的な言い回しであり、現代的なコミュニケーショントレンド」
だと指摘。共感しやすさを狙うあまり、個人的な感情や自己主張が失われるのは残念な兆候だという。五百田さんはこの状況を危惧し、こう締めくくった。
「一過性のトレンドと見過ごすにはあまりに特徴的すぎる、日本語のゆらぎがそこにはあります。危なさしか感じないし、心配みが深まるいっぽうです」