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生田斗真が演じる女性・りんこになぜ共感できる? 『彼らが本気で編むときは、』が描く優しい生活

2017年03月07日 13:32  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会

 荻上直子監督最新作の『彼らが本気で編むときは、』で、生田斗真がトランスジェンダーの女性・りんこという難しい役柄を演じたことが話題を呼んでいる。桐谷健太が演じたまきおとその恋人のりんこは、お互いの理解を深めつつ同棲生活を送るのだが、その生活はあまりにも優しさであふれた生活感を放つものであり、それはりんこが元々男性の身体を生まれ持ったことを忘れさせるほどであった。本作はセクシャルマイノリティという難しいテーマを扱っている。しかしながら、りんこが自己の性と向き合うシーンは幾つか描かれるものの、彼女の存在を巡って大きな事件が起きるわけでもなく、彼女が自己の性で葛藤する姿に焦点が置かれるわけでもない。周囲から理解を得て平穏に暮らすりんこという女性は、この物語においてどのような示唆を与えるのだろうか。


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 柿原りんか演じる11歳の少女トモが、二人で暮らしていた母親に突き放されたために叔父のまきおのもとを訪ねるところから物語は始まる。母親がトモの元を突然去るのは今回が初めてではなく、トモはまきおの世話になることに慣れていたのだが、今回は何かが違った。叔父が恋人との同棲を始めており、その相手がトランスジェンダーの女性・りんこであったのだ。彼女の姿を初めて見たトモは戸惑いを隠せないのだが、りんこはそれ以上の優しさでトモを受け入れようとする。りんこの周りには、彼女のことを一番に思うまきおはもちろん、トモに「りんこを傷つけたら誰であろうと容赦しない」と言う彼女の母のフミコなど、りんこのことを深く理解し、大切にする人物の姿が必ずそばにあった。トモは彼らと共同生活を送り、困惑を拭えずにいながらも、本当の母親よりも愛情を注ぐりんこに信頼を寄せるようになる。


 物語は主にトモの目線で進み、母親の代わりに優しさで包み込んでくれるりんこと本当の母親の間で複雑に揺れる彼女が成長していく様子に焦点がおかれる。そんなトモがまきおとりんこの生活を初めて垣間見た時、彼女と同じように観客も困惑するのだが、彼らの生活はごく普通の支え合って生きるパートナー同士のそれに他ならない。得意な料理と編み物をまきおのために振るい、彼に風呂を催促し、寝る時のだらしない格好を指摘するりんこと、その一方で、りんこのことを一番に考え思いやるまきおの生活は、非常に愛に溢れたものだ。そして、行く先を話しながらそれぞれのビール瓶を開けて飲む様子は、互いに理解を深め、愛し合うありふれたふたりの姿だ。


 三人で共同生活を送るうちに、いつしかトモの本当の母親になりたいと言うりんこと、落ち着いた物腰で彼女の真意を汲むまきお。整理整頓が施された印象を与えつつも、編みかけの毛糸や据えられたゲーム機、色褪せた本の詰まった棚、そして小さな和室に落ち着いた明かりに照らされて横たわる三枚の敷布団が優しさであふれた生活感を放つのは、そんな彼らが懸命に織りなす生活からではないだろうか。また、そんなありふれた生活の中でも、時より繰り広げられるちぐはぐな会話や奇妙な仕掛けが、より彼らの生活を魅力的なものにするのだ。


 生田斗真が演じるのは、女性の心を生まれ持ちながら男性の体で生まれたりんこという難しい役どころだが、彼の演技が提示するのは自分らしく生きるひとりの人間の姿である。生田斗真は、ハンディキャップを受け入れながらも、自身の趣向に沿った服装や化粧を施し、やさしく、そして強く生きる彼女を演じきった。彼の演技は存在感を放ちつつも、物語から浮くことなく、りんこという女性を見事に描いている。そして桐谷健太の演技は、そんなりんこをひとりの人間として支えるとても落ち着いたもので、彼なくしてりんこという存在は決して成り立たなかっただろう。


 トランスジェンダーという役柄は、自分らしく生きるりんこの姿をより印象的に描き、ひいては周りの登場人物それぞれに光を当てる。同様に自己の性に悩むトモの同級生の少年カイ、母親の愛情を知らないトモ、そしてりんことは対照的に描かれたトモの母親ヒロミ。物語の人々も、彼らと全く同じように複雑な人間関係の中からささやかな喜びや切なさを見出す。この映画の一番の見どころは、そんなりんこというひとりの存在によって、懸命に生きる彼らをひとりひとり、やさしく掬い上げるところにあるのではないだろうか。(井田悠太)