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フェス至上主義は終わりを迎えるか? パスピエ、SHISHAMOが挑む“フェスの外”へのアプローチ

2017年03月04日 18:03  リアルサウンド

リアルサウンド

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・『&DNA』が示すパスピエの真の姿


 活況だった2016年の日本の音楽シーンのムードを引き継ぐかのように、2017年に入ってからも刺激的な動きが各所で勃発している。昨年からブレイクの兆しのあったSuchmosが新作『THE KIDS』で派手なチャートアクションを見せたかと思えば、一方では小沢健二の19年ぶりのシングルリリースという歴史的と呼んでも大げさでないような出来事もあった。そんな流れの中のトピックの一つとしてピックアップしたいのが、1月25日にリリースされたパスピエの4枚目となるフルアルバム『&DNA』である。


「アルバムの制作では、ライブでは再現できないこともたくさん出来るじゃないですか。いままでのアルバムはそういう“実体かどうかわからないおもしろさ”を意識して制作してきたんですけど、今回は“バンド・パスピエ”が出来る、いちばんソリッドな音作りを意識して。このメンバーで出し得る、いちばん新しくて、いちばん良いものが今回のアルバムだと思います」(インタビュー:パスピエが表現した、バンドとしての“最新バージョン” 「5年間の遺伝子が形になってきた」


 成田ハネダのこのコメントにもある通り、『&DNA』は「5人のロックバンド」として表現できる範囲を押し広げていくような素晴らしい作品である。ループするタッピングが不思議な浮遊感を生む「DISTANCE」や細かなドラムフレーズと鍵盤による奥行きのあるイントロから8ビートのサビに向かっていく「スーパーカー」では、バンドサウンドとエレクトロやニューウェーブ的なサウンドを自在に行き来するパスピエならではの質感が堪能できる。他にも、今まで意外と取り組んでこなかった王道ガールポップ調のアレンジにジャジーなピアノソロがアクセントになっている「マイ・フィクション」、バンドのキッチュな側面を思いっきり押し出した「おいしい関係」など、「バラエティに富んだ」という表現では言い尽くせないような様々な楽曲が並んでいるこのアルバム。「印象派×ポップロック」という今までにない組み合わせで新しいサウンドを生み出そう、というバンド結成のきっかけとなった音楽的な探究心がそのままピュアに表現された作品になっている。


 アルバムタイトルの『&DNA』は書き下すと「ANDDNA」という回文調の表記となる。かつては『わたし開花したわ』『ONOMIMONO』『演出家出演』と定番になっていた回文タイトルを久々に解禁したところにバンドとしての原点回帰への気概を感じるが、さらにそこで使われているのが「DNA」という人や組織の本質的な特徴を表す単語だというのも示唆的である。また、そんなタイトルが冠せられたこのアルバムは、<永すぎた春が終わりを告げたの><等身大の自分なんて何処にも居なかった>などここまでのキャリアを総括する言葉が並ぶ「永すぎた春」で始まって<正しい夜明けを迎えませんか>と次なるステージを見据える「ヨアケマエ」で終わるという構成になっている。これらの事実は、『&DNA』こそがパスピエというバンドの真の姿であり、それと同時に今作がこの先の活動の基点になっていくということを示しているのではないだろうか。ロックバンドというフォーマットを維持しながら「あらゆる音を鳴らせるバンド」としての立ち位置をより盤石なものにしたパスピエが、今作以降どんな場所に音楽を届けていくのか非常に楽しみである。


・「フェス至上主義」の次を見据えて


 『&DNA』に至るまでパスピエは時期に応じてオーディエンスとの向き合い方を細かに調整しており、『わたし開花したわ』のリリースあたりでは「ポスト相対性理論」と解説されることもあった(今となってはだいぶ距離があるが)。そんな彼らの足跡を振り返った時、現状のロックシーンにおけるポジションを確保するきっかけになったと言えるのが2013年のフルアルバム『演出家出演』である。「ライブ」「フェス」における「盛り上がり」を明確に意識したこのアルバムと、それまでよりも派手なアクションを取り入れるようになったライブパフォーマンスによって、パスピエは一躍ロックファンの注目を集める存在となった。


 『演出家出演』がリリースされた2013年と言えば、ちょうど「四つ打ちロック」というような呼称が使われ始めたタイミングでもある。音楽産業全体のライブへのシフト、フェス型興行の隆盛、ロックフェスを「(音楽をじっくり聴きに行くというよりは)音楽を介して友達と盛り上がれる場所」と捉える音楽ファンの拡大、バンドの人気を表すバロメーターとしての「夏フェスでは入場規制!」というキャッチコピーの定着……様々な要素が絡み合う中でロックバンドにとって「フェスで支持を得ること」が必須となり、それぞれのバンドがフェスという場への適応を進めていった。その結果として、「速いBPM」「バスドラムの四つ打ちとハイハットの組み合わせ」といった特徴に代表される「ロックフェスで機能するバンドサウンド」のテイストが形成されていった。


 こういった「四つ打ちロック」は、2017年前半時点でもいまだ健在である。一方で、一時はシーン全体の潮流のように語られていたこのムーブメントは、あくまでも「バンドの一つのあり方」として再定義されてきている印象がある。たとえば、前述のパスピエやUNISON SQUARE GARDENなどが「盛り上がりを重視するライブやフェスの場」に対して明確な懸念を表明するなど、シーンの内部からの批評的なアクションが活発になった(実際にこれらのバンドはサウンド面でも「盛り上げるための音楽」という流れに回収されないようなトライを継続的に行っている)。また、お茶の間での知名度と人気を得た2015年のゲスの極み乙女。やオリコン1位を昨年初めて獲得した[Alexandros]など、「フェスの人気者」を飛び越えていくロックバンドの存在がシーン全体に多様性の風を吹かせた。さらに、今年に入って「フェス」「四つ打ち」といった流れとは何ら関係のないところからSuchmosが大きなヒットを飛ばした。こういった動きが各所で進む中で、「四つ打ちロック」というものの立ち位置は徐々に相対化されていっているように思える。


 2017年以降も「ライブ」や「フェス」がロックを楽しむ空間として重要な場所であることは間違いない。また、そこに「みんなで盛り上がりたい」人たちが集う構造も当面は変わらないと想定される。ただ、久々に多くのヒット曲が生まれた2016年を経て、音楽というエンターテインメントはフェスの場に閉じないレベルで世の中に波及する力を持ったものであることが改めて証明された。「四つ打ちでフェスを盛り上げる」ことはロックバンドの人気の獲得方法の一つではあるが、そこに必ずしも拘泥しなくても良い時代がもうまもなく訪れるはずである。「フェスでオーディエンスを盛り上げる」以外のルートの顕在化は、「盛り上げる」とは異なることをやりたいロックバンドに対して大きな希望を与えるかもしれない。


・普遍的なポップスにアプローチするSHISHAMO


 「ライブキッズ」以外にもロックバンドの音楽が届きそうなムードが少しずつ生まれつつある昨今の空気と合致する取り組みを行っているのがSHISHAMOである。


 アコースティックギターやホーンの大胆な導入、ダンサブルに跳ねるビートへの接近など新たなトライに取り組んだ『SHISHAMO 3』。そして、その路線をさらに推し進めてaikoにも連なるリリシズムと歌謡性に接近した「夏の恋人」。これらの作品を通じてバンドがネクストステージに進んだ2016年の活動を経て今年2月に発表された『SHISHAMO 4』は、「若者向けのロックバンド」という説明では語りつくせないような深みを持ったアルバムになっている。恋愛を軸にした歌詞の描写はさらに研ぎ澄まされ、サウンドの幅はさらに広がった。歌詞とリンクして流麗なピアノが挿入される「音楽室は秘密基地」、カップルのすれ違いを残酷に描き出す歌詞と楽しげにスイングするビートのギャップが印象的な「すれちがいのデート」、イントロのホーンが曲の景色を変える「メトロ」など、バンドサウンドにとらわれずに楽曲の魅力を最大限に活かすアレンジが随所に施されている。そういったアプローチの一方で、「終わり」「きっとあの漫画のせい」など3ピースバンドらしいドライブ感や隙間のある音遣いもより的確になった。自然な発声でトラックと調和しながらときおりアクセントとなる歌唱表現を盛り込んでくる宮崎朝子のボーカルにも女優のような迫力を感じる。


 彼女たちが『SHISHAMO 4』で見せた「恋愛のリアルを描く普遍的なポップス」という方向性は、「バンド」「ライブ」といったものには必ずしも馴染みのない人たちにも伝わるものである。今作の出来ばえからはバンドシーンという範疇にとどまらない射程の広い層に向けた存在になり得る可能性が感じられるし、たとえばaikoや西野カナと同等の文脈で語った方がしっくりくるような未来を期待させてくれる。


 パスピエとSHISHAMO、ともに「フェスの時代」のロックバンドとして支持を得た存在がキャリアを経て「フェスの外」に届く音を志向しているのはとても興味深い。こういったことができるのは豊富な音楽的バックグラウンドをベースに試行錯誤を続けてきた彼らだからこそであり、フェスブームを経ての次の一手として誰もが真似できるわけではないが、逆に言えばこういったチャレンジができるかどうかがこの先のバンドのスケールに影響していくということかもしれない。


 今の時代においてもロックバンドの鳴らす音がきっかけを掴めば「国民的」なものになることは、去年のRADWIMPSがこの上ない形で証明した。あの出来事が単なる偶然だったということにならないよう、ぜひとも彼らに続く存在が登場することを期待したい。(文=レジー)