ウインターテストには、普段グランプリでは見かけない人々と出会うことが少なくない。そんな人たちに、「あなたは何しに、カタロニア・サーキットに来たのか?」を尋ねてみる特別企画。第3回はザウバーF1の開発ドライバーであるタチアナ・カルデロンにマイクを向けてみた。
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テスト真っ只中のカタロニア・サーキットのパドックに、昨年まで見かけなかったザウバーのチームウェアを着た女性がいた。テストが開始される直前に、ザウバーと開発ドライバーとして契約したタチアナ・カルデロンだ。
コロンピアの首都ボゴダ出身のカルデロンがカートを始めたのは9歳のとき。7歳年上のパウラ(写真の左)に連れられて行ったレンタルカート場でカートに乗った瞬間、カルデロンは「何かが自分の中で変わった」という。
当時、F1でコロンビア出身のファン・パブロ・モントーヤが活躍していたこともあり、カルデロンのモータースポーツへの情熱は日増しに高まり、F1を目指すようになる。
その後、カルデロンはモントーヤが歩んだように、渡欧し、本格的にフォーミュラ・カーのレースを開始。2013年はヨーロッパF3選手権に参戦し、最終戦で表彰台を獲得した。翌14年にはF3の3大レースのひとつであるマカオGPで女性レーサーとしては31年ぶりの出場を果たして話題を集めた。昨年から活躍の場をGP3シリーズに移し、今年はDAMSから2年目のシーズンを送る。
そんなカルデロンがザウバーと開発ドライバーの契約を結んだのは、もちろんF1ドライバーになるためだ。それにしても、コロンビア人のカルデロンがなぜ、スイスチームのザウバーを選んだのか。
「もちろん、F1の契約にはさまざまな条件が絡み合っているので、理由は一つだけではありませんが、じつは私、学生時代にドイツ語を習っていたので、スペイン語と英語のほかにドイツ語でもコミュニケーションが取れるんです」
スイスチームのザウバーでも、ドライバーとエンジニアとの無線は英語だが、モーターホームのケータリングスタッフやメカニック同士の会話はドイツ語で交わされることが多い。スペインチームが現在のF1ではドイツ語ができるカルデロンにとってザウバーはイギリス系のチームよりも溶け込みやすかったのかもしれない。
カルデロンは女性ドライバーだが、2014年にF1開発ドライバーだったスージー・ヴォルフが1992年にブラバムから参戦したジョバンナ・アマティ以来のF1公式セッションに出走を果たしたように、ザウバーでも走る機会があるかもしれない。
「ザウバーの代表であるモニシャは女性。さらにこのチームのレースストラテジストのルース(・バスクーム)も女性。ドライバーだって、女性が活躍できないわけないわ」
取材後、ホートレート写真を撮るために、ザウバーのトランスポーター脇に移動し、ザウバーの25周年を祝う「25 Years」とペイントされた文字をしばらく見ていたカルデロン。そして、こう言って笑った。
「ザウバーがF1に初めて参戦したのは、93年の3月14日。私が生まれたのはその4日前の3月10日。それって、運命じゃない?」