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『山田孝之のカンヌ映画祭』松江哲明監督インタビュー「映画界への“問い”になってくれれば」

2017年03月03日 18:03  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)「山田孝之のカンヌ映画祭」製作委員会

 2015年に放送された『山田孝之の東京都北区赤羽』(テレビ東京系)を手がけた松江哲明監督と山下敦弘監督が再びタッグを組んだ、“山田孝之”シリーズ第2弾『山田孝之のカンヌ映画祭』(テレビ東京系)が現在放映中だ(最新話は本日0時52分より)。


参考:芦田愛菜はやはり天才だったーー『山田孝之のカンヌ映画祭』で示す“子役”からの進化


 本作は、山田孝之が映画プロデューサーとなり、ゼロからカンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールを目指す模様が描かれるドキュメンタリードラマ。山田が手がける映画は、山下監督を迎えて芦田愛菜を主演にし、実在の大量殺人鬼・エド・ケンパーを題材にしている。番組中のナレーションを長澤まさみが務めるなど、毎週登場する豪華&意外なゲストで視聴者を驚かせているだけでなく、番組そのものがカンヌ映画祭、さらには日本映画界への“批評”にもなっているのが本作の面白さだ。


 この度、リアルサウンド映画部では山下敦弘監督と共同監督を務める松江哲明監督にインタビュー。山田孝之の魅力、映画界を舞台とすることへの覚悟まで、じっくりと語ってもらった。
 
■映画の作り手である自分にも跳ね返ってくる


--第1話で芦田愛菜さんが登場したのにはびっくりしました。各話ごとに驚きと発見があり毎週楽しんでいます。


松江哲明(以下、松江):芦田愛菜さんが1話で出てきて、出オチじゃないの?と思った方もいたみたいで(笑)。本作は、『山田孝之の東京都北区赤羽』『その「おこだわり」、私にもくれよ』の経験をさらに生かせるように意識しました。どうまとめて、毎週テレビ番組として見せていくか。1話ごとに見ても楽しんでいただけるようにはなっていますが、最後まで見たとき、初めて分かる伏線を随所に入れてあります。


--かなり細かく作られている印象があります。


松江:だからといって、これは“ドラマ”ではなく、あくまで“ドキュメンタリー”なので狙って伏線を作っているわけではありません。撮っている時には気付かなかった素材が、後に伏線となって生きてくる。編集をしている際に、「山田君ってこんなこと考えてたのか、芦田さんはこんなふうに大人を見ていたのか」、と気付き、それが不思議な繋がりとして浮かび上がってくる。これはドラマにはないドキュメンタリーの面白いところですね。


--そもそも、企画の立ち上げは?


松江:第1話の通りです。山田君が「カンヌを獲りたい」と言ったところから始まりました。僕は河瀨直美監督、園子温監督、カンパニー松尾監督をメイキングで撮ったことがあるのですが、現場にいる監督って、演者に負けないぐらい強烈な面白さがあります。だからこそ、山田君から「映画を作る」と言われたときに、絶対に面白くなるとは思いました。だけど……絶対にきついことも知っていました。番組の中で映画に対して、日本映画界に対して、批判をすればするほど、それは作り手でもある山下君と僕にも跳ね返ってきますから。


--“パロディ”ではないですからね。だから視聴者としてはドキドキしながら観てしまいます。


松江:『北区赤羽』でも、赤羽に住んでいる山田君を24時間撮影していたわけではないですけど、その“空気”は出ないと意味がない。『おこだわり』は、松岡茉優をあそこまで追い込んだ結果、彼女からは「殺人罪です」と言われちゃいましたけど(笑)。でも、監督としてはそれが嬉しいし、そこまでしないと面白くならない。
 今までは役者さんをドキュメントすることで、ある種、追い詰める側の立場だったんですが、本作では自分たちが追い込まれています。最近よくある“本人役”を演じるドラマではなく、あくまでドキュメンタリー作品です。本当にカンヌも行くし、関係者にも会うし、河瀨直美さんには怒られて泣かされる(笑)。そんな綱渡りのような題材を扱うことができるのも山田孝之だからです。


■山田孝之は何者なのか?


--だからこそ、山田孝之とは一体何者なんだ?と思ってしまいます。


松江:僕も分からないです(笑)。だから、撮り続けている。正直、『北区赤羽』だけでは「山田孝之を撮りきれた!」とは全然思えませんでした。2度目となった『カンヌ映画祭』では、今回は「撮りきったぞ!」と手応えがある一方で、「まだ足りないんじゃないか?」とも思ってしまう。1話で本人も気にしてましたが、山田君は日本アカデミー賞や、有名な映画祭の個人賞を受賞していない。要するに、評価の規定外の役者というか、「まだまだポテンシャルがあるんじゃないの?」と思わせてしまう器があるんですよね。


--山田さんは役者でありながら、作り手の意識が強い方なんですか。


松江:カメラがたくさんあって、監督がそのブースにいて、チーフ助監督が声をかけて……というメジャー作品のシステマチックな作り方以外のことを今回はしたかったんじゃないですか。かといって、その作り方を否定しているわけでもないし。瀬々(敬久)さんが「奇跡を摑まえるのが映画作りだ」とかつておっしゃっていました。大人数のプロフェッショナルが集まって掴む奇跡もあれば、少人数でしか摑まえることのできない奇跡もある。カメラマンひとりさえいれば撮れてしまう“その方法でなければ撮れないもの”を、山田君は肌感覚で分かっているんです。


--プライベートを映しているんですが、“オフショット”のようなユルさはありません。カメラがあるからこそ、そこで何をしたら一番面白いかを考えているようで。


松江:そういう意味では“全身役者”なんです。だからといって、「面白くしよう」「商売にしよう」と気張っているわけでもない。でも、そこに“何か”があるという“カン”で行動している。その“カン”の持ち方はまさにプロデューサーっぽいですね。ゴールが決まっているわけではないのに、自分の“カン”で企画をスタートさせてしまう。『北区赤羽』も、今考えればよく番組にできましたよ。赤羽のひとたちと「桃太郎」やっておしまいでしたから(笑)。


--それなのに最終話では、きちんとカタルシスが生まれているところがすごいです(笑)。『北区赤羽』に続き、山下さんとの共同監督はどうですか?


松江:山下君とは一回も揉めたこともありません。お互いの得意な領域が分かれているから。僕はテロップの書体や、どこで黒落とすかとか、フレーム単位のディテールを気にします。でも、山下君はドキュメンタリー的な見せ方には興味がないんです。全体を感覚で捉えている。山下君の映画って、“空気感”で伝わるものがあるじゃないですか。その空気は全体を包括して捉えているからこそ生み出されていると思います。


--確かに、山下さんの映画は“編集”の映画ではないですね。


松江:お互いの得意なものと苦手なものが分かれているからこそ、うまく合致しているんだと思います。あとはドキュメンタリーの方法論に関して、こちらに敬意を持って委ねてくれています。山下君自身は自分が被写体になるのは嫌みたいですが、僕は山下君が被写体として追い詰められていくのが大好きなので、そこは結構残しています(笑)。


■日本映画界への“問い”


--『北区赤羽』、『おこだわり』と手がけてきて気付いた、毎週放送のテレビ作品ならではの特色は?


松江:『北区赤羽』は4時間半の作品を分割して12話にしていました。そのため放送時は撮影からずいぶん間が空いていたのですが、「山田孝之を探しに赤羽に行きました」「赤羽に出てくる方に会いにきました」という声が多くて。視聴者の方々は毎週の放送を、リアルタイムの“現実”のように感じて見ていることが意外に感じました。


--毎週の放送を楽しみにすることも、視聴者の生活の一部になっていくから、そういう感覚を抱くのかもしれません。


松江:なので、『カンヌ映画祭』も“引っ張って見せる”ことが面白いのかなと。ドキュメンタリーってドラマ性がないと思われているからこそ、そこを描くことは意識しています。河瀬さんの「私と(映画を)やる?」って言葉でその回が終わったら、びっくりするじゃないですか。撮った映像を見てそういうシーンがあると「編集点が見えた!」と思って、そこに向けて構成したりします。編集点を“見つける”という作り方は、今までとは違いますね。会議のシーンなども、芦田さんが最後に言った言葉でシーンを切っておくと、CMにいけるし、その回のオチにもなる。


--“編集力”を駆使していると。ほかに工夫しているところは?


松江:ドキュメンタリーって、意味が分からない素材もあるんですが、それが編集の妙で重要なパーツになるときがあるんです。例えば、山田君と芦田さんが本屋に行って買い物をした後に公園で話しているシーン。あのシーンは何も考えずにふたりが仲良くなる過程を撮っておこう、というだけのものでした。でも、ああいった撮影時にはよく分からない素材を挿入すると、ドキュメンタリーって面白くなるんです。


--そういった遊びのシーンが入ると、作品の風通しがよくなりますよね。それはテレビドラマでも大事な要素だと感じます。


松江:当然、使ってないカットは数多くあるんですが、遊びが感じられるカットを選ぶのは大事なんです。不穏な回のエンディングロールには芦田さんの可愛いカットを選んだり(笑)。


--芦田さんはすごいですよね。男衆だけでやっていたら、もっと殺伐としたものになっていたと思います。


松江:芦田さんを呼ぼう、と考えた山田君の嗅覚はすごいです。「カンヌ」と「芦田愛菜」を組み合わせる、この発想、普通は思いつかないですよ。


--『カンヌ映画祭』を通して伝えたいことは?


松江:この題材は映画として作りたくないと、最初に思いました。山田君が「カンヌ」と言葉にした時点で、これは“テレビ”だと。映画の批評を映画でやっても、それは内輪ものにしかならない。映画の批評をテレビでやることによって、自分たちを俯瞰することもできる。去年、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』が大ヒットしましたが、どちらの作品もある意味では予算のある“自主映画”的な作り方でした。単館系作品では異例の大ヒットランを続けている『この世界の片隅に』においては、クラウドファンディングで資金を集めて制作した、まさに自主映画です。これらの作品を含めて、2016年は日本映画が面白いとされた1年でしたが、本来であればこういった作品が1億円規模のものから生まれるのが望ましいと僕は思います。だが、それは難しい。ならばどう戦うのか。『カンヌ』ではそういったことを意識せざるを得ないですね。
 デジタル技術の発達で、誰でも映画を撮れる時代です。かつて、映画を撮って劇場で公開する、そこには大きな覚悟と資金が必要でしたが、今は手軽な資金でずっと“自主映画”としてもやっていける。映画を作ることの不自由さと自由さを感じつつ、一方で、これからの映画作りは更に変わっていくという確信もあります。かといって、『カンヌ映画祭』の山田君の暴走こそが映画作りの理想というつもりは当然ありません。何を選ぶのか、なぜ作るのか。少しでも本作が映画界への“問い”になってくれればいいと思っています。


(取材・麦倉正樹、構成・石井達也)