「余計なお世話だ」そんな怒りの声が各所から聞かれる。3月1日にスポーツ庁の諮問機関、スポーツ審議会が出した答申「一億総スポーツ社会」への、ネットでの反応である。2020年のオリンピック・パラリンピックを機にスポーツに親しむ人を増やしたいスポーツ庁だが、そのやり方に抵抗感を持つ人も多いようだ。
「運動神経ゼロの子どもに対する嫌がらせか」
答申には2021年度までに、週に1度スポーツをする大人の割合を現在の42%から65%に増やすこと、週に1度スポーツをする障害者の割合を19%から40%に増やすことなど、具体的な数値目標が明記されている。ネットでは
「体育な嫌いな中学生を半減させようとか、そういう『みんなでスポーツしようよ!』感が嫌いなんだってば。適度に歩いたりでほどほどに健康ならそれでいーじゃん」
「一億総スポーツ中身知らんけど名称やばいな。運動神経0の子供に対する嫌がらせかと。健康的な範囲で軽いものを含む運動を推奨するレベルだと別にいいと思うけど」
などと批判の声が相次いだ。スポーツはできれば楽しくやりたいもの。上から言われると確かに変な感じはする。他にも
「"スポーツによって『人生が変わる』『社会を変える』『世界とつながる』『未来を創る』" なんでこうスポーツがあらゆる問題を解決するみたいな脳の沸いたこと真顔でいえるんだろう」
と、あたかもスポーツが万能であるように書く答申に疑問を呈する人もいた。
「一億総」という言葉から感じる不寛容な強制感
また、内容もさることながら、文言そのものに抵抗感を持つ人も多いようだ。
「一億総活躍社会の時も思ったけど、なぜ『様々な事情で活躍出来ない人・しない人を支援する』じゃなくて『全員無理矢理にでも活躍させる』という画一的な方向に行ってしまうのか」
「一億総なんたら、『進め一億火の玉だ』しか思い出さないんだけど、なんでこう活躍やらスポーツやら躍進感のある単語ばっかり政府が率先して気軽にくっつけるかね…」
と、反発は根強い。
「女性の活躍」と言った際、仕事での活躍が家庭での活躍より価値あることのようなメッセージが含まれているのと同様、今回の答申にも「スポーツ嫌いは良くない」というメッセージが含まれているように感じるのは気のせいだろうか。健康に良いとされるスポーツを推奨するのは構わないが、一億総〇〇という表現から「強制・矯正」の意図が透けて見えた途端、スポーツへの興味が冷めてしまう人もいるだろう。
現在日本は過去と比べ、働き方や性別、文化の多様性を認める社会に変わりつつある。スポーツ一つとっても、好きな人と嫌いな人、それぞれの価値観を押し付けることなく暮らしていけたらよいのだが、ネットと審議会との温度差を見るに、その実現はまだまだ先のようだ。