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なぜ人は歳をとると「謝ったら死ぬ病」になるのか! 「謝ったヤツ殺す病」マンの存在も要因か

2017年03月02日 07:12  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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最近、というかここ10年。誰かに謝ったという記憶が、とんとない。10年の間に、一切誰にも謝罪をしなくて済むはずがないんだけど、困ったことに、とんとない。

もしかすると僕は、何かこう、「今は絶対にごめんなさいって言わないとダメだろ!」という状況に直面したのに、無理に謝罪を拒んだことがあったのかもしれない。だとすると、本当にめんどくさいおっさんになってしまったものだ。寝起きは息が臭い上に、謝ることすらできなくなってしまったんだから。(文:松本ミゾレ)

「謝ったら死ぬ病」は歳を取ると誰もが患うもので、しかも発症しても自覚なし!


先日、はてな匿名ダイアリーで、短いながらも強烈なインパクトのエントリーがあった。タイトルは「謝ったら死ぬ病」。

本文には短く、「歳を取ると誰でも謝ったら死ぬ病にかかる可能性がある。自分がかかっていることに気が付きにくいので注意」とだけある。

僕は冒頭で書いたとおり、ここ10年で誰かに謝罪をした記憶がない。残念ながら、既に些細なことでも謝罪をして頭を下げるのに抵抗を抱く、「謝ったら死ぬ病」の初期症状が出てしまっている可能性を否定できない。

どうしてここまで意固地な人間に、無意識のうちになってしまったのか。思い返すと、一度謝罪をしたことで周囲に弱みを付け込まれ、立場が全く弱くなってしまった知人がいるということが、自分の中で大きな影響を与えているように思える。

当事者間で「謝罪をする・しない」で済めばいいんだけど、微妙に人が見ている場所で謝罪をするという状況に迫られたら、無関係の人にまで謝罪をしているような錯覚を感じることもあるし。

「謝ったら死ぬ病」VS「謝らせて殺す病」

ここで、このエントリーに寄せられた意見をいくつか紹介していきたい。今回は、はたと考えさせられる声がかなり多い。

「これ気をつけないといけないのは、『謝っても許さない病』の人が近くにいる場合だと『謝ってるうちに死んじゃう病』にかかってしまうことがあるってことなんだよね」

「『謝ったら死ぬ病』って『謝らせたら殺してもいい権利』の放棄とセットで考えないといけない気がするな。些細なことで生存本能剥き出しの野獣になるのはそこが問題」

些細な問題なら、謝って流すのも手。だけどコトがコトになってしまうと、容易な謝罪が命取りになるなんてことは、世間では珍しくない。そうこうしているうちに「謝ったら死ぬ病」と「謝らせて殺す病」の壮絶な闘争がスタートするなんてこともある。

余計なものを背負いすぎて身動きがとれなくなる?

本来謝罪とは、どちらかと言えば自分の罪を認めて行うという"善なる行為"だったはず。だけど、近頃では謝罪すると袋叩きに遭うため、謝罪は悪と考える人も増えているということだろう。

立場的に、容易な謝罪は絶対に認められないという人もあるだろう。しかも、謝罪したらしたで「誠意が~」と言われる場合も考えられるし、そうなるともう、リスクを考慮した上で、下手に謝罪なんかしない方が損が少ないと考える人が増えても仕方ない。

「謝ったら死ぬ病」と言うよりも、死なないために謝らないというワクチンを接種したと考える方が、個人的にはすんなりと納得してしまえる。

もちろん、場合によっては「ただ謝罪してもらうだけでいい」とする側と、「本心では謝罪したいが、それでもするわけにならない」というジレンマに葛藤をする側が存在する場合もあるだろう。色んな意味で、人は余計なものを背負い過ぎて、身動きができなくなってきたということではないだろうか。