GP2チャンピオンの肩書きを引っさげて、今季スーパーフォーミュラへの参戦を発表したピエール・ガスリー。フランス、そしてレッドブルの育成システム、親友のジュール・ビアンキ、そして師匠となるジャン・アレジなど、自らのルーツを語ったインタビューシリーズの最終回。
1996年生まれのピエール・ガスリ―は、2月7日に21歳になったばかり。13歳のときに生まれ故郷のルーアンを離れ、FFSA(フランスモータースポーツ連盟)による育成プログラムに参加するため、ル・マンに移り住んだ。
「18歳までの5年間はル・マンに住んで、ル・マンの学校に通った。おかげで勉強とスポーツを両立させることができるようになったし、バカロレア(大学入学資格)試験に通ったのもル・マンだった」
FFSAのオートスポーツアカデミーは、若い才能を見出し、エリート教育を行い、トップレベルで活躍する選手を生み出すことによってモータースポーツのすそ野を広げることを目標とする。近年、F1に到達したフランス人ドライバーたちは、例外なくこの“アカデミー”の出身で、キャリアの最初の段階で連盟のサポートを受けてきた。
ガスリ―の場合、少数精鋭の“エキップ・ド・フランス”の一員に選ばれたのはカート時代、13歳のときだった。そこからフランス・フォーミュラ4、フォーミュラ・ルノー2.0とステップアップしてきたが、連盟のシステムではトップカテゴリーに至るまでの道筋が敷かれていたり、大きな資金援助があるわけではない。
フォーミュラ・ルノー2.0のタイトルを獲得し、FFSAの紹介によってレッドブルの育成メンバーに加わったのは18歳のとき。そこから1年半はミルトンキーンズに住み、シミュレーターを操縦するためファクトリーに通い、フォーミュラ・ルノー3.5を戦った。
「ミルトンキーンズ……ほんと、何もないところだよね(笑)。フィッシュ・アンド・チップスばっかり食べてると、肥満に直行しそうで」
■レッドブル育成システム内でのドライバーの関係
GP2にステップアップし、F1チームのリザーブドライバーを務めるようになってからは、拠点をフランスに戻した――家族や友達と過ごす時間を、少しでも確保するために。
エキップ・ド・フランスでもレッドブルでも、ライバルたちは常に身近にいた。そこで勝ち抜いていくために必要なのは、常日頃から競争を意識しつつ、過剰なライバル意識で自らを追い詰めないことだ。誰かに追い越されてもそれを良い刺激と捉えて冷静に思考できる、精神的な強さが必須だ。ライバル=仲間。その存在を自らの成長に活かす構図は、オリンピックスポーツのナショナルチームに似ている。
「トロロッソがダニール(クビアト)の残留を決めたときにはショックだったよ。でも、僕らはみんな同世代だし、けっこう仲がいいんだ。カルロス(サインツ)やダニールとは09年に、マックス(フェルスタッペン)とも10年にカートで一緒に走った。だから彼らのことはよく知っているし、友達だよ。もちろん、レッドブルの中ではダニールやカルロスとの間に小さなライバル意識がある。でも、彼らもF1に進む前には“誰かのポジションを奪わなきゃいけない”という、今の僕の立場にいたわけだから。ライバル意識があるのは当然。でも、いい関係を築けていると思う」
サーキットだけではない。トレーニングや合宿でも、一緒に過ごすのが育成プログラム――その仲間を、ガスリーは迷わず“友達”と表現する。
「FFSAのみんなとも、すごく仲がいい。ノルマン・ナトー、アルチュール・ピック、アントワーヌ・ユベール……」
サーキットレースの“エキップ・ド・フランス”の仲間の名前が次々に挙がった。
カートにはイバン・ミューラー、サーキットレースにはジャン・アレジ、ラリーにはセバスチャン・ローブという“キャプテン”がいて、トレーニングを共にしたり、的確なアドバイスを与えてくれる。
「僕のキャプテンはジャンだ。トレーニングも一緒にするし、すごくいい関係だよ。息子のジュリアーノがGP3で走っているから、去年はサーキットでも頻繁に会うことができた。ジャンが僕にくれたアドバイスは『今のままの努力を続けて、自分自身に集中しろ』ってことだったね。『F1は簡単な世界じゃないし、受け入れがたいことだってしばしば起こる。でも戦い続けなきゃいけない。このまま続ければ、到達できる大きなチャンスがあるんだから』って。ジャンはいつも、こんなふうに僕を励ましてくれるんだ」
■親友のビアンキ、師匠のアレジ、そして憧れのドライバー
そんなガスリ―が誰よりも尊敬したチーム・フランスの先輩が、ジュール・ビアンキだった。
「ジュールとは親友だったし、僕はカートを始めたときから彼が成長していく様子を間近に見ることができた。ジュールはすでに自動車レースで走っていて、僕は彼の才能、彼が行った仕事にとても敬意を抱いていた。だから今年、鈴鹿で――彼が事故に遭った場所を――走るのは、僕にとってとても大切で、とてもエモーショナルなことなんだよ」
F1を見始めた頃の記憶は、ミハエル・シューマッハーと赤いフェラーリが毎レースのように勝っていたこと。日曜日になればモータースポーツ好きの家族と一緒にテレビの前に座るのが習慣だった。
「でも……僕が誰よりも憧れているのは、アイルトン・セナだと思う。いろんな記事を読んで、映画も見て、彼に関する話もたくさん聞いて、速さも人間性も本当に信じられない、他のドライバーとは違う特別な存在だったと想像できるから」
さまざまな思いとリスペクトを胸に、未知の日本で走る。F1チームに帯同し、ヨーロッパとの往復を繰り返すシーズンは多忙を極めるけれど、日本を知りたい気持ちももちろん。
「大阪で勉強してる友達がひとりいるんだ。だから彼と一緒に、東京、京都、富士山……というふうに、時間を取って観光しようって計画してるんだ。3月と4月には日本を旅行するチャンスがあると思う」
日本での1年が、F1への通過点になればと願う。でも、新しいページを真っ白なままにするつもりはない――たくさんの経験を積んで、鮮やかな色で、自らの成長を記していきたい。