トップへ

sympathy 柴田ゆうが語る、“バンドの音楽”に対する考え方の変化「未完成な部分も出していい」

2017年02月22日 16:13  リアルサウンド

リアルサウンド

sympathy

 高知出身の4人組女性ロックバンド、sympathyが1stアルバム『海鳴りと絶景』をリリースする。これまでに発表された2作(1stミニアルバム『カーテンコールの街』、2ndミニアルバム『トランス状態』)には“オルタナ感覚に溢れたギターポップ”という印象があったが、メジャーデビュー作となる本作は、20代を迎えたばかりのメンバーの感情が生々しく表現された「息づかいが伝わるようなアルバム」(柴田ゆう/Vo、Gu)に仕上がっている。


 今回はボーカルの柴田ゆうにインタビュー。前作『トランス状態』からの約1年半のなかで起きたバンドの変化、アルバム『海鳴りと絶景』の制作、そして、さらに切実さを増しているという音楽との関わり方などについて語ってもらった。リアルサウンドでは『トランス状態』リリース時以来のインタビューとなるが、いまの彼女が持っているストイックな姿勢、クリエイティブに向かう覚悟の強さには本当に驚かされた。10代から20代に移り変わる繊細な時期をそのまま作品に投影できるところも、このバンドの強味なのだと思う。(森朋之)


・「生きていくなかで隠しきれない人間らしさを表現するバンドになりたい」


ーー前作『トランス状態』は2015年夏のリリース。その後の1年半はsympathyにとってどんな時期だったんですか?


柴田ゆう(以下、柴田):「音楽をする」ということに向かう体制を整える1年半だったと思います。私たちはバンド仲間がいなくて、「バンドって何ぞや?」ということもわかってなかったし、ライブもまったく出来ていなかったんです。『トランス状態』をリリースした後はツアーも経験して、自分たちなりの活動のやり方、メンバーの意志を共有する方法を少しずつ整えていった感じですね。


ーーバンドの土台をゼロから積み重ねていた、と。


柴田:ホントにそうですね。よくわからないことも多かったんですよ。対バン相手とどう接していいかもわからなかったし……。最近は知り合いのバンドも増えてきて「またよろしくお願いします」みたいな挨拶も出来るようになりましたけど。せっかくこうやって音楽をやっているんだから、憧れていたバンドのメンバーがどういう人たちで、どんなふうに音楽を作っているかも知りたいんですよね。そのなかで自分が「いいな」と感じることだったり、音楽に対する考え方も取り入れたいので。


ーーライブのやり方自体も変化しました?


柴田:すごく変わったと思います。以前はもっと内側にこもっていたというか、コール&レスポンスなんてまったくなくて、「こっちは勝手にやるから、みなさんも勝手に楽しんでください」という感じだったんです。ライブそのものもあまり好きじゃなくて、「出来ればやりたくない」と思ってたし(笑)。それが変わったのは、やっぱりツアーがきっかけですね。ライブは発表会ではなくて、来てくれたみなさんと一緒にひとつの空間を作るものだっていうのが身に沁みてわかったというか。作品を世に出して自分たちの才能みたいなもの示すだけではなく、その場にいる人たちとの一体感を生み出して、身体と心を揺らすツールとしても使えるんだなって。音源を作るときは違う熱量でライブをやれるようになったし、こちらの考え方次第でみんながついて来てくれるかどうかが決まるっていう……。他のバンドのライブもよく見るようになりましたね。人が多い場所が苦手なので、前はライブハウスがあまり好きじゃなくて。スタッフの方から「勉強になるから見たほうがいい」と言われても「今日はちょっと……」みたいな感じだったんです。いまは積極的に見に行くようにしているし、そこで感じたことをメンバー同士で共有するようにしていて。「こういうことをやってみたいけど、どう思う?」という話をして、同じ方向を向いていないとバラバラになっちゃいますからね。もともと友達同士で始まってるバンドなんですけど、いまはそれだけじゃなくて、音楽を一緒にやる仕事仲間でもあって。いい関係だと思います。


ーーそういう意識の変化、活動に対するスタンスの変化は、アルバム『海鳴りと絶景』の新しい楽曲にも反映されているんでしょうか?


柴田:そうだと思います。以前よりももっと生々しくなっているし、大人になってるなって、自分でも感じるので。今回のアルバムに関しては、全体を通して「人間味を忘れたくない」と思ってたんですよ。メンバーともよく話してるんですけど、いま流行ってる洗練されたシティポップみたいな音楽は私たちにはやれないと思っていて。そうじゃなくて、私たち自身が感じている痛々しさだったり、生きていくなかで隠しきれない人間らしさを表現するバンドになりたいんですよね。(リスナーから)届きそうで届かない距離にいることも大事だと思いますけど、あまりにも完璧なものを見せられても、誰も救われない気がしていて。私自身が「救われる」と感じるのも、ちゃんと生きていることが見えるようなバンドの音楽なんですよ。そのためには未完成な部分も出していいんじゃないかなって。


ーーメンバーのみなさんとも、そういう話をしているんですか?


柴田:そうですね。新しい曲がいくつか出来た段階で「これをどう伝えるか? どういうアルバムにしたらいいか?」ということもしっかり話したので。これまでの作品はとにかく出来た曲を入れるというか、初期衝動だけで作っていた感じもあって。今回は衝動だけではなくて「どういうふうに届けるか?」という話し合いもしてました。


ーー良い意味で欲が出てきてるんでしょうね。ただ、未完成な部分を含めて、生々しい自分を見せるのは、かなり勇気が必要じゃないですか?


柴田:そうなんですよ。今回のアルバムはギターの田口(かやな)が作詞・作曲した曲が多いんですけど、彼女が「音楽をやるということは、自分の中身をひとつひとつ商品化すること」と言っていて。「それを続けるためは擦り切れてしまってはダメだし、自分の中身が品切れになってもいけない」っていうのは、私もその通りだなって思うんです。


ーーすごい覚悟ですね。


柴田:せっかくメジャーという場所でやれるんだし、気負いみたいなものもあると思います。いろいろなアーティストがいるし、飽和状態だなって感じることもあるんですけど「そのなかで私たちがやれることは何だろう?」ということもすごく考えていて。ずっと周りの人に敷いてもらったレールを進んできたんですけど、自分たちで選択できる立ち位置にいるし、それをやっていかないといけないなって。以前、取材で「sympathyらしさとは何ですか?」と聞かれたとき、10分くらい考えても言葉が出て来なかったことがあったんですけど、いまはもっと明確になってると思います。


ーーわずか1年半で凄まじい変化ですね。アーティストとしての自我が芽生えるスピードもめちゃくちゃ速いし。


柴田:そんなことないです(笑)。何て言うか、自分に足りないところが見つかるともどかしくなるんですよ。成人してから、未成年のアーティストにもすごく嫉妬するようになってきて……。10代でいろいろなものが揃っているアーティストもいるじゃないですか? そういう人を見ると焦ってしまうというか。生き急いでますね、いまは。


ーー貪欲になっている証拠だし、いいことじゃないですか? 


柴田:ホントはもっと貪欲なところがあるので、それを前に出せるようになりたいです。音楽を仕事にするって、普通の仕事とは違う世界だと思うんですよ。さっきの田口の言葉もそうですけど、私もこの世界でお金を得るためには、自分を切り売りしないといけないと思っていて。つらいこと、苦しい思いを含めて、痛みに触りながら作品にしていかないとなって。


・「いまは音楽と切っても切れない関係になっている」


ーーアルバムの収録曲についても聞かせてください。まず「泣いちゃった(4人ver.)」は『トランス状態』に収録されていた弾き語りの楽曲「泣いちゃった」のバンド・バージョン。


柴田:曲を作ったのは高校を卒業したばかりの頃で、ごちゃ混ぜになってた気持ちを整理するつもりで書いたんですけど、いまはもっと客観的に捉えられるようになってますね。時間が経ってしまうことの残酷さ、切なさを表現したかったんだなって。自分のなかではバンドアレンジがなかなかイメージできなかったんですけど、スタッフの人から「いい曲だから、アレンジしてもらおう」という言葉をもらって、アレンジャーのakkinさんにお願いして。青春時代の痛々しさを優しく表現してくれているし、すごくキラキラした曲になりましたね。こういう歌詞の届け方もあるんだなって勉強になりました。


ーーakkinさんとの出会いも大きかった?


柴田:すごく大きかったです。私たちでは手が届かないところまで表現してくれたというか、いい意味で背伸びできたなって。作詞・作曲、ギターのフレーズは私と田口が作ってるんですけど、それをakkinさんに渡して、「リズムはこんな感じで、こんなアレンジにしたくて」というイメージを伝えて。私たちが想像している以上のものを返してくれることも多くて、おもしろかったし、感動しましたね。たとえば「ドロップキック・ミッドタウン」はもっとシットリした感じの曲だったんですけど、ガールズバンドらしいポップな曲に仕上がって。私たち以上に私たちの音楽を理解してくれて、それを汲み取ってくれるんですよね。


ーー「ドロップキック・ミッドタウン」からは「自分が輝ける場所に行こう」というメッセージが感じられて。アルバムのなかでももっともポジティブな楽曲かなと。


柴田:私たちにとってはレア・キャラですね(笑)。でも、ただポップなだけの曲ではないんです。やっぱり私たちは、いちいち繊細なところがあるんですよね。毎日いろんなことを感じているし、過ぎ去ったことはもっと敏感になってしまうし。そこから突き抜けて、明るさが空回りしているような曲なんですよね、「ドロップキック・ミッドタウン」は。だから、聴く人によって受け止め方が違うと思うんです。「ガールズバンドらしい明るい曲だな」と思う人もいるだろうし、失恋の経験を思い出す人もいるだろうなって。


ーーなるほど。「深海」はタイトル通り、深い海の底に引きずり込まれるような手触りの楽曲ですね。


柴田:そうですね。この曲もakkinさんのアレンジのおかげで空間が広がって、すごく立体的になって。「深海」というタイトルにぴったりだなって思います。この曲は、日々のなかで無視できない虚無感、違和感を表現していて。落ちるところまで落としてくれるような曲にしたかったんですよね。何かに怒ってるわけでもないし、主張しているわけでもなく、ただ寄り添ってくれる曲というか。自分の根っこには虚無とか違和感とか、そういうマイナスの部分があるのかもしれないですね。


ーーそういう人のほうが表現者には向いていると思いますけどね。


柴田:そうなのかな……? でも、私は息をするように曲を作ってるし、それって普通のことじゃないですよね。自分と向き合いながら曲を作って、それが形になることでやっと落ち着ける感じがあるというか。音楽とは切っても切れない関係になってますね、いまは。以前は好きな音楽を聴いて「こういう感じで自分もやってみたい」ということが多かったから、そこはぜんぜん違うと思います。


ーー「海辺のカフェ」は東京に対する愛憎をアグレッシブに描き出したナンバーですね。


柴田:田口が東京に対する思いを書いた曲なんですけど、東京って消費される街だなって思うんですよ。地方から来た人たちが集まっているはずなのに、なぜか風が冷たいというか、虚しさを感じることもめちゃくちゃ多くて。私たちはのんびりと育ってきたので、東京には地元にはなかった鋭いものに触れる機会もたくさんあって、それはすごくいいなと思いますけどね。同じ21歳でも、東京で育って色々なものに触れてきた人はやっぱり違うんだろうなって。もっと早く東京に来て、刺激を受けたり、傷ついたりしたかったなと思うこともあります。


ーー「海辺のカフェ」の歌の表情からも、内面の葛藤が伝わってきました。


柴田:ふてくされてる感じですよね(笑)。歌の表情についてはそれほど考えたことがなくて、この歌詞がすべて表していると思ってるんですよ。私は勝手に入り込んで歌っているだけというか。映画を観ているときもそうなんですけど、私、感情移入がひどいんです。主人公の気持ちに入り込み過ぎてしまって、落ち込むし、すぐ泣いちゃうので。


ーー柴田さんの作詞・作曲による「SNS」もめちゃくちゃリアルな気持ちが反映されていますね。


柴田:私、SNSがあまり好きじゃないんですよ。「SNSのなかでだけ、つながったフリして」みたいなことではなくて、本物を見てほしいって言いたかったんですよね。カップルの「(付き合って)○周年記念です」とか、イルカショーの動画をアップしたりとか、そんなの必要かな? って。それよりも、いま目の前にある本物をしっかり見ながら生きてほしいんですよ。写真に残すのも大事ですけど、それを第三者に見せるために生活してるような感じもするし……。そんなことしなくても、個人個人、絶対に素晴らしいと思うんですよね。それを歌詞にするって自分でも「誰目線?」って思うけど(笑)、そんな虚しいことがあっていいのか! っていう。ライブもそうですけど、刹那的なものも愛してほしいなって。


・「承認欲求が強くなってる」


ーー「二十路」も現在のsympathyを象徴する楽曲だと思います。20代になったことに対する気持ちを歌った曲ですが、田口さんは「これまでの十代の自分を殺すつもりで作りました」とコメントしてますね。


柴田:20歳って、もっとお祝い事のイメージですよね(笑)。〈まだ やれそうかい?〉という歌詞もあるんですけど、自分を試すような感覚もあるというか。20歳になると(法律的に)やれることはめちゃくちゃ増えるじゃないですか。でも、「だから何?」という気持ちもあるんですよね。「二十路」にも、そのアンバランスさが出てるんじゃないかなって。やっぱり私たちは、何事に対しても過敏なんだと思います。もうちょっと鈍感なほうが生きやすいだろうけど、鋭くて傷つきやすくて脆いところがある人たちがバンドメンバーで良かったなって思ってますね。


ーー20歳になって、柴田さん自身にも変化があったんですか?


柴田:「ここからどうしていくか?」ということは考えるようになりましたね。“若い”って財産だし、重宝されることもあるじゃないですか。これからはそうじゃないし、私たち自身が何をしていくかが大事なので。ここからどんどん年を取っていきますからね。


ーーまだめちゃくちゃ若いと思いますが(笑)。じゃあ、30歳になった自分たちはまったく想像できない?


柴田:できないですね。その頃には丸くなれてるのかな……。私、NICO Touches the Wallsが大好きなんですけど、最初の頃に比べると、いい意味で丸くなってると思うんですよ。年齢を重ねるなかで音楽の表現も変わっていって、それがすごく愛しいなって。私たちも年相応の表現をしていきたいし、それに抵抗したくないんですよね。いろいろなことを知って、音楽も自然と変化して。そういう年齢の重ね方ができたらいいなと思います。


ーー最後に収録されている「魔法が使えたら」はアルバムのなかでもっとも穏やかなイメージの楽曲ですね。


柴田:すごく純粋だし、優しい気持ちの曲だと思います。私たちはずっと自分たちの為だけに音楽をやってきたんですけど、この曲で初めて誰かのために歌えたんじゃないかなって。生きづらさだったり、切なさ、虚しさに寄り添える曲になりましたね。


ーー春には高知、大阪、東京で『海鳴りのはじまり ~駐輪場で待ち合わせツアー~』が開催されます。メジャーデビューをきっかけにして、活動のビジョンも広がっていきそうですね。


柴田:自分たちの表現をしっかりやることを前提にして、もっともっとたくさんの人にsympathyの音楽を聴いてほしいと思いますね。売れたいという気持ちもあります。承認欲求が強くなってるし、売れるということは認められるということでもあると思うので。いままでのsympathyを知っている人も“初めまして”の人も、このアルバムにどう反応してくれるのかがすごく楽しみだし、ワクワクしてます。いろんな人の意見を聴いてみたいんですよね、まずは。


ーーリスナーの反応によって、また新しい音楽が生まれるかもしれないし。


柴田:そうですね。聴いてくれる人に寄り添えるのが、邦楽ロックの良さだと思うんですよ。ライブハウスに通ってる人たちは“バンドは裏切らない”と思ってるだろうし、身近に感じてるんじゃないかなって。そういう日本のバンドの良さを持ったバンドになりたいんですよね、私たちも。
(取材・文=森朋之)