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宇多田ヒカル スタッフが語る、活動再開で得た実感「ポップミュージックの価値は目減りしていない」

2017年02月19日 18:03  リアルサウンド

リアルサウンド

左から沖田英宣氏、梶望氏

 2016年、8年ぶりのフルアルバム『Fantôme』のリリースで華麗なる復活を果たした宇多田ヒカル。今回リアルサウンドでは、1年を通して国内外の音楽シーンを賑わせた本作の誕生を支えたスタッフである、ユニバーサル ミュージック Virgin Music沖田英宣氏と梶望氏に取材を行った。邦楽アルバムとして“歌詞”と”声”を意識しながら制作され、その要素を確実に届けるための工夫が凝らされた今回の一連のリリースについて、制作面を支えた沖田氏と、プロモーションを担当した梶氏が、それぞれの立場から振り返った。なお、本取材後に宇多田ヒカルのレーベル移籍が発表されたが、彼らは引き続き彼女の音楽活動を支えていくという。(リアルサウンド編集部)


(関連:宇多田ヒカル『Fantôme』、国内外で大反響ーーグローバルな音楽シーンとの“同時代性”を読む


■宇多田ヒカルには「孤独」を「共感」にできる力がある(沖田)


ーー『Fantôme』は、宇多田ヒカルさんの声と言葉にフォーカスをあてて制作したと伝わっています。この発想はいつからあったのでしょうか。


沖田:2015年からデモを作りはじめていたのですが、その段階で一度再始動に関する打ち合わせがあり、邦楽にとって一番大事なのは“歌詞”と”声”だと思う、という発言がありました。だからその二つの要素には制作当初からとても自覚的だったのだと思います。宇多田ヒカルを宇多田ヒカルたらしめる要素はたくさんありますが、僕がはかねてから彼女の歌詞の独自性を感じていました。特にそれを強く意識したのは3枚目のアルバム『DEEP RIVER』の頃。J-POPで誰も使ってこなかった歌詞表現がどんどん顕になってきて、それは活動休止中にできた「桜流し」にも顕著に表れていました。次に完成した「花束を君に」でも使われているのは平易な言葉ですが、日本語がわかる人だったら誰もが“切ないボタン”をピッと押されるような、そんな鋭さがありました。


ーー仕上がってきた他の曲はどうでしたか?


沖田:予想を遥かに上回る鋭さと、ちゃんと「2016年にポップスのアルバムとして出すんだ」という目配せができていて。曲が完成するごとに興奮していた記憶があります。


ーー“言葉”と“声”のアルバムでありながら、サウンドがグローバルな仕上がりだったというのは、宇多田さんのクリエイティブがそこへ向かっていたということなのでしょうか。


沖田:彼女はロンドンに生活拠点を移し、まだ子供が小さいということもあって、制作は現地のミュージシャン、サウンドクリエイターと行っていくというのが前提としてありました。その中で素晴らしかったことのひとつが、ミックスエンジニアのスティーブ・フィッツモーリスとの出会いです。彼は宇多田ヒカルの音楽をとてもクリエイティブに捉えてくれました。『Fantôme』がJ-POPマーケットの作品とは違う肌触りを持っているとするならば、それが大きな要因のひとつだと思います。実際、僕らは奇をてらったことをやったつもりはなく、どこの国にでもあるような楽器や機材で作っていっただけなので、どちらかというと、オーソドックスなものを作ろうとしていた気持ちの方が強かったかもしれないです。


ーー梶さんはプロモーションを担当されていますが、まず本作をどのように届けていこうと考えましたか。


梶:宇多田ヒカルは老若男女、しかも国内外含め、とても幅広い層に支持いただいているアーティストなので、どこに届けるべきかということには悩みました。しかし、作品に明確なコンセプトがあったので、とにかく「声と歌詞にフォーカスする」展開を考えていったんです。まず一つは、タイアップでどことご一緒するか。そこで言葉の美しさ、日本語の良さが伝わるような、文学的な魅力を理解していただける層に届けるためのタイアップとして、朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(NHK総合)と『NEWS ZERO』(日本テレビ系)が候補として上がりました。


ーーなぜその2番組だったのですか。


梶:“言葉ファースト”で作品を受け取ってもらえる対象を考えた時、普段から文字に接している、新聞やニュースを見る人。そして、恋愛というよりは人の営みというテーマに対して興味を持っている人、小説を読んでる人というペルソナのイメージがあって。そういう人たちが見ているであろう番組として候補にあがってきました。また、この2番組のタイアップの魅力は、毎日楽曲がかかるということ。これはすごくいいなと思いましたね。さらに幸運なことに、どちらの番組のプロデューサーさんも宇多田ヒカルの大ファンだということで、話がよい形で進んでいきました。今の時代、取ってつけたようなタイアップはあまり効果が出ないんです。番組の作り手からもその曲が愛されないと視聴者には伝わらないし、広がらない。アーティスト、事務所および制作陣にも「こういうタイアップの話が具体的に決まるかもしれない」と提案したところ、タイミング的にもいいということで「花束を君に」「真夏の通り雨」でアーティスト活動の再始動が決まりました。


ーーその他に楽曲を届ける際に工夫されたことは?


梶:五感の中で一番強いのは視覚ですよね。今回インパクトの中心はあくまで声と歌詞にしたかったのと、アルバムレコーディング中だったこともあって、あえて本人をしばらく出さない戦略を考えました。9月28日が発売日だったんですが、4月4日に新しいアー写と楽曲を公開して、本人のMVを出したのは9月6日。完全に楽曲中心のプロモーションを5カ月間行いました。その間は歌詞サイトで歌詞に対する感想をファンから集めてウェブ上で本人とコミュニケーションしてもらったり、テキスト上で質疑応答コーナーを作ったりということをやっていきましたね。


沖田:焦らしましたね(笑)。


梶:(笑)。それで9月6日に初めて「花束を君に」のMVで本人を登場させたんです。宇多田ヒカルにはファンクラブもないので、初出しの本人映像で一気にファンとの6年間のブランクを縮めたかった。なので、MVも本人が目の前にいるかのような、セルフィーに近いクリエイティブにして。その後は椎名林檎さん、KOHHさん、小袋成彬さんとのフィーチャリングをギリギリで告知したり、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で歌う「桜流し」のMVを『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』制作チームに作ってもらって1日限定で公開するという話題づくりをしていき、サントリー「南アルプスの天然水」の大型タイアップを経て、最後に『SONGS』(NHK総合)で今作が「母親に捧げるアルバム」だということをテレビで初めて本人が伝えたわけです。実はこの順番がとても大事で。彼女の曲は100人が聴けば100の景色があることが、多くの方々に支持されている一つの理由でもあると思います。本人のイメージだけで最初からプッシュしてしまうと、曲やアルバムが持つポテンシャルを殺してしまうことになりかねない。なので、発売までにしっかり楽曲を浸透させて、リスナーそれぞれの景色が描かれたあとで作品テーマを伝えていきました。順を追って伝えたからこそ、今作のテーマにも共感していただけたのだと思います。


ーー『SONGS 』で最後に歌われた「道」も、エピソードを聞いてから聴くと違った印象を受けました。


梶:それが、結果SNS上での話題性にもつながっていきます。僕は「語らせてこそ情報として伝わる」ということをずっと説いていて。とにかく楽曲について絶え間なく語ってもらう。溢れる情報の中で情報を滞留させるためには、常に話題にしてもらうことが重要なんです。だからその会話のための慣らし期間とネタ期間と最後の大ネタという文脈を作り、その話題の流れを成立させていく仕組みを走りながらですが、丁寧に作っていきました。


ーー宇多田ヒカルさんの歌詞の特異性については、どうお考えですか。


沖田:僕は、ポップミュージックとは共感を生むための優れたメディアだと思っています。例えば松任谷由実さんだったら、聴き手はその歌詞の世界観に「憧れ」を抱いたり、忌野清志郎さんを筆頭とするロックンロールのアディテュードでは「長いものには巻かれないぜ」というシンパシーを生んでいたりすると思いますが、宇多田ヒカルにとってのそれは「孤独」しかないと思っていて。そして、その孤独を「私は寂しいんです」という旧来の歌謡曲的アプローチではなく、「誰しもが孤独を抱えているんだ」という、「孤独」を「共感」にできる力があった。だから、アーティストが発信する価値観に対して、「いいな」と思うのが今までの聴き手と歌詞の関係性だったとするならば、喩えるなら風邪をひいたかな、と気づいた時にはすでにひいていた、みたいな、宇多田ヒカルの歌詞をいいと思った時にはもう自分の中の孤独と呼応していたという、そんな特性があるのではないかなと思っています。


梶:彼女の作品のすごさは、主語が変わると景色が変わるところにあると思います。「花束を君に」にしても<普段からメイクしない君が薄化粧した朝>というフレーズで、リスナーはとと姉ちゃんやご自身の恋人や奥さんとのお出かけ前の景色を思い浮かべたかもしれない。でも、彼女の中では、母親が亡くなった時の死化粧なんです。これがヒットメーカーの言葉の選び方というか、誰にでもできることではないなと。だから僕も、伝え方は間違えちゃいけないと思いましたね。最初からお母さんのことを歌っているという共感で届けていくことをしていたら、完全に失敗していたでしょう。楽曲の持っているポテンシャルを最大限に引き出すための戦略を考えるのは、とってもシンプルだけど、とっても難しいことです。プッシュ型でやっていくほうが楽なんですよ。でも「こういうイメージだから、こういう共感を呼んでこういう風に受け取ってもらえればいい」とやってしまうと、今の世の中の人たちがNOなんですよね。イメージを決めて、大量露出を図れば右向け右となった時代も20年前ぐらいにあったのは事実ですが。今はそういったコミュニケーション、押し付けがましいものは途端にスルーされてしまう。ですから、受け取り側の気持ちに立ってどう我々は楽曲を届ける環境を作っていくかということを、とにかく考えていきましたね。


■ファンの方々の反応は間違いなく刺激に(梶)


ーーメディア展開は一つ大きな鍵になったと思うのですが、SNSと同時に大手マスメディアとも巧みに連動した印象があります。梶さんの中でそれぞれのメディアの位置付けはどうなっているんでしょうか?


梶:流行っている仕組みを使って何かをやるという発想は、結局手段が目的になってしまって目的を見失ってしまいがちです。なので、僕はまず戦略と文脈作りを明確にして、それを組み立てていきました。レガシーメディアはトリガーとして使い、そこから広がりやトレンドを作っていくのはSNS。テレビだけがトレンドを作れるかというとそうじゃなくて、それをきっかけにSNS上で会話を生んで、その会話の広がりがトレンドを生んでいくんです。一方で、SNSだけでトレンドが作れるのかというと、それも難しい。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・広告をトリガーとして、SNSでトレンドを作るということを複合的にやっていきました。今回はその流れがうまく作れたと思っています。


ーー宇多田さんは、『Fantôme』のタイミングでかなりの本数のテレビ番組にご出演されていましたが、一連のテレビ出演を振り返ってみていかがですか。


梶:彼女の人間としての成長、昔の宇多田ヒカルとはちょっと違うところを見せることができたかなと思います。見せ方に関しては、相当気を使いましたね。なんだかんだ言って、今、SNSのトレンドのほとんどはテレビがソースになっている。若者がテレビ離れしているとよく言われますけど、そんなことはないんですよね。見方が変わっただけ、リアルタイムで見ていないだけなんです。だから僕は若者に関してはリアルタイムの視聴率よりもSNSでシェアされたか、会話のトレンドにどれだけなったかということを重要視しています。視聴率はリアルタイムの指標としては大事ですが、我々がプロモーションとして考えた時にはトレンドの作り方やシェアされた量、語られている内容の質、そこがすごく大事だなと個人的には思っています。


ーー番組では宇多田さんがご自身の人生をかなり赤裸々に語っていました。ご本人のお考えもあるかと思いますが、これも言葉をどう届けるかという戦略の一つだったのでしょうか。


梶:まず4月4日に新曲を公開した時、宇多田ヒカルはかなりドキドキしているように見えました。なぜならば、彼女にとって母親は大切なリスナーの一人でしたが、母親というリスナーがいない初めての作品だったからです。その時はまだ公言していませんでしたが、今は亡き母親に捧げる作品ということもあり、どのように世間に受け止めてもらえるかということは気になっていたみたいですね。


沖田:「花束を君に」はもちろんドラマのために作った曲なんですよ。ただ、重層的に彼女のお母さんへの思いが織り込まれていた。それは「真夏の通り雨」もしかりです。聴き手によって様々に解釈されるというのは、ミルフィーユのようにいろんなものが織り込まれた構造の曲だということですね。


梶:お聴きいただいた中には、さっそく宇多田ヒカルの思いに気づかれた方もいて。ちゃんと思いを受け止めてくださったことが彼女的にはすごく救われたというか。それがあって実はこのアルバムの制作はどーんと進んだんですよね。


沖田:そうだね。フォーカスが合ってきたんだと思います。


梶:だってこんなに早く作れたの初めてじゃないですか(笑)?


沖田:きっとスター・ウォーズ的に言うと、「母」というフォースを得たんですよ(笑)。そこからは「二時間だけのバカンス」のような妖しげな恋を暗喩させる曲だったり、「ともだち」のようにストレートではない恋愛を想起させる世界に踏み込んでみたり。曲を作っていく中で作家として自由と勇気を得たんだと思いますね。


梶:彼女のクリエイティブの中で、今回のファンの方々の反応は間違いなく刺激になっていて。それで一気にアルバム制作を進めることができたんです。


沖田:実はテレビ番組の収録は『SONGS』が一番最初だったんですよ。『SONGS』が終わった後に本人と「かなりシリアスに喋ったね」と話していて。「次、タモリさんとはちょっと明るく行こう」「そうだね」と、世の中からの自分の見え方を冷静に捉えることができるようになったのも、この6年間の活動休止で得た彼女の新たなフォースだったんじゃないかなと思いますね(笑)。


梶:でも、それは元々ありましたけどね。ソーシャルリテラシーが高くて、空気の読み方が上手なので、相手を見て何を求められているのを瞬時に判断して出せる。今回はそういうことも含めて各番組でバランスのいい表現ができたのと、自分をさらけ出してもちゃんと受け止めてくれる人がいるという安心感があったからこそ、自分の中で一つ鎧が外れたというか。楽曲の広がり方とファンのみなさんの楽曲の受け取り方が彼女を開かれた状態にしていったんです。作品を作っている間も、SNS上のいろんな言葉や感想から刺激を受けていましたしね。


ーー作り途中の作品にファンの声がフィードバックされていくのは新しいですね。


梶:歌詞サイトでも、ハッシュタグを付けてみなさんの意見が一カ所に集まるような設計にしました。本人も全部チェックしていて、どういう風に自分の作品が受け取られているかを見て楽しんでましたね。僕はそういった場をとにかく作っていき、積み重ねていった感じです。あんまり複雑化しないでシンプルに展開していきましたね。


沖田:僕は、2014年に『宇多田ヒカルのうた』というカバーアルバムを出した時、宇多田ヒカルの曲が持つ「寛容性」というか、チャレンジができるなと感じたんです。今回のフィーチャリングゲストに関しても、今ならできるという確信が持てたからこそ実現できた部分もあって。今作で行った、情報を溜めて溜めて最後に弓矢のようにバンと引くという梶の手法も、この時すでに行っていたものなんですね。『宇多田ヒカルのうた』の時も参加アーティストを発表したのが発売の3週間前で(笑)、発表した瞬間に作品に対する注目度が一気に高まりました。この時に得たものは我々二人にとって大きかったですね。しかも本人不在の場で宇多田ヒカルの名前を使うという実験的な場でもあったので。彼女の音楽は本人だけのドキュメントではなく、図らずもその時代の音楽シーンにおいてのドキュメントになっていたり、聴く人たちのドキュメントにさえなっているという、すごく珍しいケースのアーティストなのだということにも気づけました。『Fantôme』はリリース前からいろんな方に注目していただいていて、宇多田ヒカルのオリジナルアルバムに何かを重ねていらっしゃるようで、その期待感はものすごく感じていました。結果として、しっかり2016年の音楽業界のドキュメントの一つになれたかなとは思います。とても幸せなことです。


■アーティストに対する揺るぎない信頼、それが僕と梶の根っこ(沖田)


ーー『Fantôme』は小袋さんやKOHHさんなどの若手がさらにジャンプアップしていく一つのきっかけにもなりました。


沖田:オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの豊かな交流という風に書いていただいたレビューもいくつか見かけました。まさしくそうやって、これからのポップミュージックのあり方を提示していけたらいいなと思っていましたし、そのように受け止めていただいたことが嬉しかった。これからも宇多田ヒカルは刺激的な作品を作り続けられるし、それを待っていらっしゃる方もいるんだということが実感できました。


梶:これが売れなかったら音楽業界が……ということも言われたりしましたね。


沖田:そうやって、いろいろなことを重ねられてしまう作品だった(笑)。


梶:しかも特典を全くつけずにCDだけで売ったということもあって。我々もレーベルの人間なので特典を否定するわけではないですけど、はっきり言うと僕らも他の作品では特典なしで売るのは難しいという現状はある。その中であえて特典なしにしたことが、ある意味今の音楽マーケットにおける試金石というか。「かつて日本記録を作ったアーティストの久々に出す作品が、今の音楽マーケットでどう通用するのか」を固唾を飲んで見守っている人たちが社内外にいっぱいいたわけです。なので、そのプレッシャーはかなりありましたね。もちろん本人もあったと思います。母親に捧げるアルバムであることと、それをしっかり売ることが天国の母親への一番のプレゼントという思いがあったので、初めて「本当に売れてほしい」と言う言葉を彼女から聞きましたね。逆に売れなかったら、母親の顔に泥を塗ってしまうことになりかねない、そのぐらいの思いでやっていたわけですから。それは我々としても絶対成功させなくてはいけないな、と。だから……本当にうまくいって良かった~(笑)!


ーーミリオンは最初から想定されていたんですか?


梶:目標にはしていましたが、想定はしていないです。想定以上ですね。


沖田:全く読めなかった、という方が正しいです。たしかにかつてミリオンアーティストでしたが、今のこの音楽業界の中で6年近く活動をしていなかったので……。「大スターだから売れるでしょう」なんていうほど僕らもウブではないので、本当にわからなかった。だから二重の怖さがありましたね。


梶:これまでのアルバム全作品で100万枚を出荷で超えてますからね。6年前から現在までの音楽マーケットのシュリンクももちろん見てきていますし、ベストはともかくオリジナルアルバムということもありましたので、フィジカルだけでは超えられなくてもデジタルと合わせて100万枚は超えたいという個人的な思いはありました。通常のリリースに比べたら格段に高い目標の数字に向かっていきましたが、そこはクリアできてよかったです。フィジカルも想定以上でしたが、デジタルはさらに想定以上でした。今までユニバーサル ミュージックが持っていた日本におけるダウンロード記録をプレオーダーの時点から抜いたのは大きかったですね。


ーーiTunes全米3位ランクインについてはいかがでしょうか。


梶:宇多田ヒカルは活動休止中、YouTubeでシングル曲全部をフルで公開していたんです。これはファンへの置き土産として彼女が決めたことだったんですけど、それから6年の間に世界では音楽のリスニング環境にパラダイムシフトが起きていて、ダウンロードやCDではなく、ストリーミングが主流になっていきました。コンテンツにおける国境、言語、宗教などを超越してYouTubeのような一つのプラットフォームで世界中のコンテンツと出会える場ができていたんです。そんな中、新曲ではYouTubeのプロモーションをほとんど行わず、MVも協力体制にあったGYAO!で公開していました。それに対して、海外のファンの方々からいろんなお叱りの言葉が寄せられて。その時はよくわかってなかったんですけど、実際にiTunesで全米3位に入ったところでそういうことかと。今までYouTubeで当たり前のように昔の楽曲を楽しんでいた海外ファンたちが、いざ新曲を聴こうとしたところYouTubeで観れない、Spotifyでも聴けない、結局iTunesでダウンロードしか選択肢がなかったわけです。つまり、6年間でいつの間にか育っていたファンが、突然飢餓感にさらされていたという。昔MTVが全米でMVのプロモーションカルチャーを作ったのと同じように、YouTubeなどが全世界にストリーミングにおけるカルチャーを作っているんだと感じましたね。今はいいコンテンツは言語を問われないし、国籍も問われないんですよ。ジャスティン・ビーバーのレコメンドひとつであれだけ広がってしまったピコ太郎の「PPAP」の例も含めて。ONE OK ROCKやBABYMETALなどのように海外に目をむけて一生懸命頑張ろうとする若いアーティストたちがたくさんいる中で、今回のようなひとつの知見を得られたというのは大きかったですね。さっそく先日発表した「光 –Ray Of Hope MIX–」では徹底的にYouTubeでプロモーションをしていき、全米2位という結果を残すことができたので、この考察は正しかったんだと思います。これは業界全体で見ても新たな気づきですし、リアルな反応を見ることができたのはとても面白かったですね。


ーー最後に一つ、今回の成功から、音楽に関わる若い世代にどのようなことを伝えていきたいですか。


沖田:ポップミュージックの価値は昔も今も全く目減りしていないということを伝えたいですね。ポップミュージックは、映画を1本観たり、もしくは長編小説を1冊読んだりしたのと同じくらいの感動を与えることができる。特にアルバムというフォーマットはそうであると僕は愚直にずっと信じているんです。宇多田ヒカルのこのアルバムもそう向き合って作りましたし、ポップミュージックの力を信じることを忘れないで欲しいということだけですかね。A&Rは常に、MVが何百万回再生とか派手な数字ばかりを求められたりしますけど、それよりも聴き手が何かを得ることができた作品であるかどうかの方が、僕らが大事にしなければいけないことなんじゃないかなと思っています。


梶:制作が作りたいもの、アーティストが作りたいものを正しく理解した上で僕は正しくコミュニケーションを作っていく。そしてただ作るんじゃなくて、ちゃんと受手に受け取ってもらえる可能性があるところに向けて作っていくっていうことですよね。そういったチームの役割分担・バランスがいいと成功するんだな、と今回改めて感じました。それぞれの人たちがそれぞれの持ち場でそれぞれの力を最大限に発揮できた結果なので。もちろん中心には求心力のある作品がないとここまで広がらないですけどね。


沖田:幸いなことに僕ら2人は宇多田ヒカルのデビューからずっと関わっているので、スタッフとして一番語らなくてはいけないポイント、「アーティストを信じよう」っていうことはもう言わなくていいんです。


梶:宇多田ヒカルは自己プロデュース能力がすこぶる高い。だからこそ、僕らは彼女がやりたいことを正しく世の中に伝えていくための環境を作っていくのが仕事になっていく。なので、アーティストを信じようなっていうこともそうだし、まずアーティストが発信したいことに対して「これどうしましょう?」っていう相談の方が多いんです。


沖田:アーティストに対する揺るぎない信頼、それが僕と梶の根っこ。そこからすべてが始まる。


梶:必ずや間違いのない作品を作ってきてくれると信じていますからね。それがたとえ問題作だったとしても。いい意味で裏切っていきたいということはずっとデビューから言ってたし、ジャンルに縛られたくないっていうこともずっと言ってましたから。ブレないですよね。本人がブレてないから、僕らもブレようがないんです。


沖田:そうだね、そこはラッキーだよね。