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『君の名は。』は映画市場をどう変えたか? GEM Partners梅津氏が読む、2016年の興行データ

2017年02月18日 12:32  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「君の名は。」製作委員会

 日本映画製作者連盟が1月末に発表した2016年度の映画興行データによると、全体の興行収入は約2,355億円で、好調だと言われた2015年の108.5%という結果になった。中でも『君の名は。』の興行成績が235億円を越える大ヒットとなったことは、連日さまざまなメディアで報道され、大きな話題となった。このデータを、映画マーケティングのプロフェッショナルはどう読み解くのか? 映画・映像業界に特化した分析サービスを行っているGEM Partners株式会社の代表取締役/CEOの梅津 文氏に、2016年の映画興行を振り返ってもらうとともに、映画マーケティングの意義や、今後の映画業界への展望について、インタビューを行った。(メイン写真は『君の名は。』より。(c)2016「君の名は。」製作委員会)


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■「意欲度」が予測した『君の名は。』の大ヒット


ーー先日、日本映画製作者連盟が発表した2016年度の映画興行データでは、『君の名は。』の235.6億円(1月22日時点/150日間成績)をはじめ、アニメが豊作でした。大ヒットの予兆は、公開前からあったのですか?


梅津:アニメ作品は『君の名は。』『名探偵コナン 純黒の悪夢』『映画 聲の形』など、目立つ作品が多かったですね。中でも『君の名は。』の興行成績については、弊社の映画宣伝トラッキングレポートのCATS(Cinema Analytical Tracking Survey/キャッツ)内の事前のシミュレーションで、高めの数値が出ていました。公開8週前から一貫して公開週末土日で約5~7億円というシミュレーション値で業界関係者の中にはいくらなんでもその数値は高すぎないかという声もあったのですが、実際に蓋を開けてみたら約9億3,000万円でした。


ーーそのシミュレーションは、具体的にどんな風に行うのでしょう?


梅津:「意欲度」と興行収入の関係をモデル化して予測しています。弊社では、ユーザーが映画のタイトルを知っていること、つまり「認知度」と、実際に映画を観ようという「意欲度」を調査しています。さらに「意欲度」が上がったのであれば、その要因はテレビCMなのか、はたまたニュースサイトの特集記事なのか、判断できる状態にまで整理していきます。「認知度」を上げるにはテレビの効率に勝るものはないですが、「意欲度」はYouTubeの動画再生やTwitterでのツイート件数と連動することが多いです。ただ、YouTube動画は意欲が上がったから再生回数が上がったのか、それとも再生回数が上がったから意欲が上がったのか、判断するのが難しいところもあります。『君の名は。』の場合、公開前からYouTubeでの予告動画の再生回数が非常に多かったですね。人気歌手のミュージックビデオということでもなく、大量の広告があったわけでもなさそうな中、おそらく、新海誠監督の元々のファンが強く勧めていったのでしょう。加えて宣伝の仕方も良くて、劇場の予告も効果的だったと思います。


ーー劇場の予告編もやはり、意欲度を上げるのに重要ですか。


梅津:映画予告編に勝る宣伝はないと思います。映画が一番素敵に見える場所は、やはり映画館ですから。それに、ユーザーが「映画を観よう」という気分が高まっているタイミングで流されるので、とても効果的です。弊社では毎週の調査の中で、1週間以内に映画を鑑賞した方に対して、なんの映画を見て、その前にどんな予告編を見たのかを聞いているのですが、『君の名は。』の数字もやはり高かったです。


ーー『君の名は。』以外のアニメ作品も、良い成績を収めていましたね。


梅津:ヒットの要因は作品ごとに違うと思いますが、「最近はアニメ映画がヒットしてるらしいね」という“空気”はすごく大事だったと思います。たとえばニュースでよくアニメが取り上げられていたり、業界全体がポジティブな見方をしていたり。全体的な空気感は、作品のヒットに影響を与える効果があったと思います。ただ『君の名は。』は、実は『アナと雪の女王』ほどに全世代のヒットにはなっていなくて、若者の間で爆発的にヒットした作品でした。『アナと雪の女王』の場合は、ディズニーブランドの強さもあって、女性の中では幅広い年代に訴求できます。20代の女性も来るけれどもお母さんと子供も来ていた。年齢層の分布が全然違うんです。


ーー『君の名は。』が若者の間でヒットしたことで、どんな影響がありますか?


梅津:『魔法少女まどか☆マギカ』もそうだったんですけれど、アニメの大ヒットが出ると、10代の方たちの映画鑑賞率がぐっと上がります。『君の名は。』は前例がないほど多くの若者に観られた作品で、これは前例がないほど多くの若者が劇場予告を観たということでもあります。これはとても素晴らしい資産だと思っていて。映画は習慣化しやすい娯楽で、予告編を観て「次はこれを観よう」ってなる可能性が高いんです。年に一本以上映画館で映画を観る人を、若い層に増やしたことも『君の名は。』の大きな功績といえるでしょう。


ーー邦画で3位にランクインした『名探偵コナン 純黒の悪夢』の63.3億円も、特筆すべき数字ですね。


梅津:『君の名は。』ほどには世間的にはあまり語られませんでしたが、『名探偵コナン 純黒の悪夢』はものすごい快挙を成し遂げたといえます。というのも、同作は連続もののアニメ映画に付きものである“卒業問題”を解消しているんです。通常、こうした映画は10代が観るものと思われがちですが、同作は20代の意欲度も非常に高かった。つまり、はじめてシリーズを観る人にとって興味深い作品であるだけではなく、昔からのファンが変わらずに観ようと思える内容作りをして、それが成功した素晴らしい一例だったのではないかと。データでも、そのことが如実にわかります。


ーー認知度に対して意欲度が特に高かった作品は?


梅津:認知度の割に意欲度が高く、スマッシュヒットとなった作品としては『デッドプール』ですね。認知度は低かったにもかかわらず、意欲度も非常に高くて大ヒットとなりました。また、意欲度に対する興行収入も高めで、「絶対に見る」意欲の高さがうかがえます。アメリカでも同じような広がり方をしたんですけれど、You Tubeでファンが動画を見つけて、自主的に拡散していく現象が起こりました。観たい人たちによるコミュニティが形成されていて、製作者や宣伝側もそこに適した展開を行ったことが成功の一因ではないかと。アニメなどの世界でもコアなコミュニティがすでに形成されて認知よりも意欲の高さ・強さが力強い動員につながっている例が多いですが、こういった事例が増えていく可能性がありますね。また、いまはネットの検索履歴や行動履歴からユーザーが次にどの映画をどのくらいの確率で観るか、ある程度はわかるのではないかと考えています。ターゲティングの精度が上がっていけば、より一層、観たい人に認知してもらえる確率も高まるし、映画業界全体のベースアップに繋がるかもしれません。


ーーPCやスマートフォンが普及したことで、デジタル広告の効果はやはり高まっていますか。


梅津:SNSやモバイルPCで認知した方の割合は、洋邦に関係なく、近年最も増加しています。一方でテレビで認知した方の割合はじわじわと低下傾向にあるのですが、いかんせんもともとの数値に大きな差があるため、依然としてテレビの効果は大きいです。ただ、認知度が上がっても意欲度が伸びないといけないし、最後には劇場に運びチケットを買っていただかなければいけない。その展開としてデジタル広告が重要性を帯びてきます。メディア環境の変化の中でどうやって映画を伝えていくのが最も効果的なのかは、非常に興味深いですね。iPhoneが登場した当時、今のような状況になるとはまったく想像できなかったので、パラダイムが一気に変わる瞬間はあるかもしれません。


■2008年頃にデータ分析の世界ではイノベーションが起こった


ーー映画・映像業界に特化した分析サービスの会社を立ち上げたきっかけは?


梅津:映画業界に入りたいと考えた時、多くの方は「映画を作りたい」という発想の方が多いと思うのですが、私はどちらかというと映画ビジネス全体に興味があって、プロデューサーというより経営者の視点から世の人がもっと映画を見るようになる仕組みを作りたいと考えて、2008年に会社を立ち上げました。とはいえ、当初から具体的なプランがあったわけではなく、映画業界のクリエイターや宣伝担当のトップの話しを聞いているうちに、 前職がコンサルタントだったこともあり、データの分析に基づいた宣伝のやり方を考えることで貢献できるのではないかと考えるようになりました。業界の方々の間では、「あの作品って客層はどんな感じだったの?」「けっこう女性が多かったみたいですよ」みたいな会話が日常的に行われているんですね。でも、女性が多かったとしても、6:4と9:1では全然違います。そこでデータを基に「実際は8:2でしたよ」と提示できると、その方々は判断の精度が上がり、作品のコンセプトと目標興収から、ターゲットをどう設定してどんなタッチで映画を伝えていくのがより効果的かを計画できます。最初のお客様は映画配給会社のギャガで、当時の宣伝のトップだった星野有香氏が私の話を面白がってくれて、『セックス・アンド・ザ・シティ』の宣伝戦略のための分析プロジェクトを発注していただきました。


ーー映画業界におけるデータの検証は、それまで十分ではなかった?


梅津:映画業界に限らず、「インターネットによる市場調査」がどんどん増えたのはちょうど会社を立ち上げた2008年頃でした。その後、すごく安価にできるようになったんです。インターネットで簡単かつ大量にデータを集められるようになり、またインターネットリサーチ会社がどんどん設立しました。そこでどう差別化を図って付加価値を付けるかが大切になってきて、弊社の場合でいうと、大きな資本を投下してモニターを持つという発想ではなく、映画に特化してしっかりと調査設計と分析をすることに重きを置きました。一般的な分析ノウハウだけでなく、映画業界の基本的な知識、たとえば配給会社別のシェアや興行成績の見方をすでに知っていることで、弊社が映像事業者の方々にとって付加価値を提供できるように工夫をしました。映画会社によっては、マーケティング/リサーチ部門を社内に設けていなかったり、多くの人数を配置できない場合もあるため、そういう場合に弊社を活用していただく、業界内のシェアードサービスのような立ち位置でありたいと考えています。


ーー依頼増加のターニングポイントとなったのは?


梅津:弊社の代名詞的なサービスであるCATSがうまくいったことで、業界的な知名度は高まったと思います。CATSは、劇場公開に向けて宣伝中の作品の認知度や意欲度を調査するとともに、テレビ露出量や劇場予告編到達率、デジタルにおける最新露出状況などを毎週調査するトラッキング・レポートです。会社を設立してそれほど経っていないタイミングで、とある業界の方から「トラッキング調査で良いものができないか」と相談を受け、毎週ごとに興行成績の調査を行うようになったのですが、コストをかけたもののデータは買っていただけなくて。これはなんとか商品にしないといけないと、ある程度データが集積したところで、シミュレーションを加えたり、どのメディアへの露出が効果的だったかを提示したり、改良を加えていきました。結果として、顧客から作品単位での調査の依頼も入るようになり、収益性のあるレポート商品に成長していきました。これ以外にも各種分析サービスを配給・興行、ホームエンタテイメント事業者様に向けて”GEM Standard“というポータルサイトにて提供しています。


ーーそうしたサービスを基に、現在は宣伝のプロデュースも行っていると。


梅津:そうですね、主にデータを基にした全体プランニングとデジタル広告出稿に関するプロデュース業務を行っています。これは先述の元ギャガの星野さんが弊社にジョインしてリードしています。ここ数年、デジタルメディア運営やデジタル広告出稿の増加によって映画会社自身が保持するデータ量も膨大になっています。それらデータから多くの示唆を得られるようになってきていて、「データ分析で映画・映像コンテンツマーケテイングのお手伝い」をする弊社としても、その領域で付加価値を出せるのではないかと考えています。また、宣伝全体のデータを扱っている私たちだからこそ、テレビや予告編などの宣伝と組み合わせたうえで、効果的なデジタル広告出稿も考案できるんです。データが増えたことで各映画会社が意思決定しやすくなったかというと、そう単純でもなく、むしろデータがありすぎて何を指針にしていいかわからなくなってもいるので、そのデータを適切にキュレーションし解読可能な形にして提示していくことが、付加価値になってきているのかなと。


ーーデータ分析の結果が、作品に反映されることはあるのですか?


梅津:企画製作段階で分析調査のご依頼をいただくことは、現状ではそれほど多くはないです。ただ、どんな人が過去にどんな映画を観たのかという情報は、作る側にとっても有用なものだと思うので、そこでお役に立てるのであればどんどんチャレンジしていきたいですね。一方で、データ分析や調査はコストに大きな振れ幅があって、費用対効果がまちまちなんですよ。制作段階で何を調査すべきかは、今後追求されていく分野なのかもしれません。


■2017年の映画業界はどうなる?


ーー改めて2016年の全体の状況を見ると、前年比入場者数が8%ぐらい増加して、興行収入も比例して増えている。邦画が興行収入の63.1%を占めている状況ですが、映画市場は活況だったと捉えて良いでしょうか?


梅津:もし『君の名は。』がなかったとしても、映画市場が活況だと言われた2015年から横ばいで、好調だったと言えると思います。『君の名は。』は大きなボーナスではあったけれど、それ以外にもヒット作がたくさんありました。ここ数年の男女・年齢別の映画鑑賞者数の推移を見ると、14年と16年は若年層の比率がぐっと上がっています。14年は『アナと雪の女王』が、16年は『君の名は。』が大ヒットしました。興行収入数百億規模のヒット作がでると、映画市場は構造自体が大きく変わるんです。2001年に『千と千尋の神隠し』が308億のヒットとなり、2002年には『タイタニック』が出てきました。2010年の『アバター』は156億のヒットとなったとともに映画鑑賞体験の定義自体を変えたインパクトがあったと思います。おそらく昨年の『君の名は。』などの効果で、2017年も好調が続くのではないかと。過去20年くらいのデータを見ると、全体としてシニアが増えて、若者が減って、結果として2000億円くらいの市場としてあまり変わらず推移していたのですが、昨年は若者がぐっと増えて2350億円規模にまで成長したので、これはポジティブに捉えて良いでしょう。また人口としては大きいシニア層も増えてきていますが、まだまだ掘り起こす余地がありそうです。ユーザーそれぞれが観るべき映画とちゃんと出会えるきっかけと、劇場まで足を運べる動線を整備していくことで、さらに良い循環が生まれれば良いですね。


ーー洋画の興行収入が前年比で89.8%になっているのは、どう見ていますか。


梅津:ビジネスのやり方の比較という意味で、洋画と邦画を分けるのは意味のある見方だと思います。邦画の多くは日本の制作会社が日本市場をターゲットにして制作した作品で、ローカル制作のコンテンツです。一方で洋画は、海外で制作されたもので、輸入ビジネスといえます。ビジネス構造論としては、対比することで見えてくるものはあるでしょう。ただ、単純な数字だけを比較して、洋画に対するネガティブなイメージを持つ必要はないのかなと。邦画にだって苦しかった作品はたくさんありましたし、逆に洋画で目覚ましいヒットとなった作品もたくさんありましたから。『ズートピア』や『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』もそうですし、先ほどの『デッドプール』や『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』も若者の観客を大きく掘り起こしました。アベンジャーズシリーズとして市場を作り上げていった結果でしょう。洋画は今後も強い作品が続々と控えていて、『スター・ウォーズ』シリーズはこれから毎年公開されますし、今年は『パイレーツ・オブ・カリビアン5/最後の海賊』もあります。2016年にアニメが大ヒットしたのは、世の中の“空気”も影響していたと言いましたが、洋画に関してもポジティブに捉えて、新作の公開を楽しみに待ちたいところです。


ーー全体として、映画業界には追い風が吹いている?


梅津:映画鑑賞は継続性のある消費行動です。映画鑑賞行動への参加率のようなマクロな数値から試算すると、全体として良いシミュレーション値が出ています。昨年、数字が大きく動いたことは繋げていくべき大切な資産だと思います。映画に対するポジティブなイメージをもって前向きな気持ちで映画を観る人が増えてくれたら良いですね。(取材・構成=リアルサウンド映画部)