1月下旬、発言小町に「PTAやらなかったの私だ」というトピックが立った。PTAの意義や仕事内容に疑問を感じながらも、頑張って活動している人たちは多い。そんな中、この投稿者はそうした人たちを見下している、とも取れる内容だった。(文:okei)
「退会届を出そうと思いましたが、色々な抵抗勢力にあいそうで労力のムダになりそうでしたのでそれはやめて」
とした上で、集まりは欠席し、役員関係者からの電話も一切出ないようにしたという。
「ただ自分の無責任さの言い訳してるだけですよね?」
投稿者は小学6年生の母親で、役員は「子ども一人につき1回は立候補する」という決まりのようだ。「フルタイムで働いており活動できないため、却って失礼かと思い」これまで手を挙げてこなかったという。6年生になったとき「勝手に広報部にされてしまった」が、驚くことに、彼女が選んだ道は先述のような"無視"だった。
「子どもが卒業するまであと数か月。ずるいと思っている保護者も多いかもしれません」 「でもそうやって保護者がずっとにらみ合っても、なにも生み出すものはないと思います。私のように誰かが悪者にならないと」
呆れた無責任発言に、当然レスは批判の嵐だった。
「悪者になって何かを成し遂げたような書きっぷりですけど、ただ自分の無責任さの言い訳してるだけですよね?」
「悪者になるのならね、闘いなよ。制度を変える努力をしなさいよ」
「フルタイムで通勤は1時間半かかるけどちゃんとPTAやりました。あなたと一緒にしないで」
など、多くの人が、忙しい中なんとか時間を作ってできる限りのことをしているのにと、怒りや非難の声ばかり。投稿者は、自分の「労力のムダ」は省けても、他の人が自分の代わりにする役員の仕事や、貴重な時間を削って電話をかける「労力へのムダ」には思いが及ばないらしい。
大事なのは無視を決め込むことではなく、議論を重ねること
筆者も小学校や子供会など何度も役員の経験があるが、まったく来ないし連絡も取れないという人はまれに存在する。委員長は、一応メンバーなので連絡しない訳にもいかず、対応に苦慮することになる。書き込みでは、来ない人の分も動いたという人が、こう心情を吐露していた。
「感謝されるならいいのですが、上から目線で偉そうに欠席を決め込む人を見ると、憎しみが湧いてきます」
こうした対応は何も生み出さないどころか、憎しみを生み出してしまう。
そもそもこの書き込みは、先ごろ話題になった記事「#PTAやめたの私だ『入会しません』 ひとりの主婦の静かなる抵抗」の安易な模倣ではないだろうか。
子どもの中学入学を機に、学校とPTAに「会員になりません」と手紙で伝えた母親の話で、大きな話題になった。その手紙は関係者や子どもに配慮した丁寧な内容で、相当熟考の上、勇気をもって書かれたことがうかがえる。この行動が是か非かは別として、自分の考え方を貫く意志を強く感じた。
それに対してこの投稿者は、「迷惑をかけたことを正当化したい」何かやった気になり「あわよくば注目され、支持を得たい」という風にしか見えない。批判の中には、「やらない自慢はしないでください」との言葉もあり、もっともである。PTAの活動は、やり方や意味などを今後議論すべきだが、こういう人にそれを語る資格はない。