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清木場俊介『友へ』は、どのようにして生まれたのか? “奇跡の共演”から動き出した新たな物語

2017年02月09日 17:03  リアルサウンド

リアルサウンド

清木場俊介

 清木場俊介の21thシングル『友へ』(2月8日発売)は、EXILE ATSUSHIへの思いを唄った楽曲。その誕生の背景を、音楽ライター・藤井鉄幹氏の取材メモをもとに迫る後編。前編では、清木場がSHUNとしてATSUSHIと走り抜けたEXILE第一章から、2006年の脱退。唄い屋としてソロ活動を始めた清木場と、EXILE第二章に進んだATSUSHI、それぞれの道を歩みながら、2014年にコラボ・レコーディング果たすまで、二人の軌跡を振り返った。真逆の個性を持ちながら、最高の相棒であり、最高のライバル。2014年の“奇跡の共演”から、再び別々のスタイルで表現者として観客を魅了する二人の足跡が、再び重なるときが来る――。


・「SHUNちゃん、ドームに出てくれない?」


 2016年の清木場は、ピンチを迎えていた。6月からスタートする全41公演におよぶライブハウスツアー『RUSH』に向けて、新曲のレコーディングをレコード会社から提案されたのだ。ツアー前半終了のタイミングでリリースし、後半を加速させようという計画である。提案を受け入れた清木場は、さっそく新曲の制作に取り掛かったが「20曲以上作ったと思います。それでも……」コレだ!と思えるものがなかなか生まれない。容赦なく締め切りが迫る。


 そんなとき一通の連絡が入った。ATSUSHIからだった「ちょっと相談したいことがあるんだけど」たまに利用する静かなバーで二人は再会し、グラスを合わせる。「SHUNちゃん、(東京)ドームに出てくれない?シークレットゲストとして」言いよどむことのないATSUSHIの依頼に、清木場の動きは一瞬止まった。何を唄うか、何曲唄うか、具体的な計画はATSUSHIにはなかった。あったのは、直接清木場に会って、自分の口から出演依頼がしたかったという誠意だ。二人には二人にしかわからないこと、顔を合わせれば言葉以上に伝わるものがあるのかもしれない。その場でスケジュール確認をして、偶然にも8月28日は余裕があった。ATSUSHIの想いを受け止めた清木場だったが、即答は控えた。だが、その日のことを何か形に残したいと、二人で手を握る写真をスマホで撮った。それが、後の「友へ」のジャケットになるのだから、本当に二人をとりまく運命的な行動に心が揺さぶられる。


 即答しなかった理由を清木場は藤井氏のインタビューにこう答えた。「3日くらい考えました。最初に思ったのはファンのこと。ソロで10年やってきて“清木場俊介”を支持してくれる仲間がいるわけで。その仲間がどう思うかなと。シークレットゲストですから、事前の告知はできないわけで。次が家族のこと。EXILEを辞めたとき、なかには“裏切り者”みたいな言葉を投げかけてくる人もいて。それを見たり聞いたりした家族が辛い思いをしたのを知っていますから。特に母親ですね。誘ってくれたATSUSHIには申し訳ないけど、母親にまた辛い思いをさせてまでやろうと思えなかったのも事実です。自分のソロだったら、自分がどこで何をやろうが、自分でケツを拭けるけど、ATSUSHIの土俵にのるわけだから……。一応、家族にも相談しました。そしたら母親が“私もまた二人で唄ってる姿を見たい”と、迷わず応援してくれました」それでもATSUSHIからのオファーに返事は、すぐにできずにいた。


・ATSUSHIへの想いを唄ってみよう


何カ月も納得のいく新曲が生み出せないでいた清木場は、自分の中でひとつの賭けをした。時刻は夕方6時。「夜の12時までにコレだ!と思える曲ができなかったら、そのときはしばらく音楽から距離をおいたほうがいいかもしれない」


 レコーダーをまわし、ギターを抱えて手探りにハミングをしていると、ふと保留にしているATSUSHIからのオファーが頭をよぎった。すると、どこからともなくメロディがやってくる。どこに着地するかもわからない歌詞が口をつき、次々とつながっていく。「コレだ!」深夜の仮歌録音、視聴する清木場の頬には涙が伝っていた。


「音楽をやればやるほど、曲を書けば書くほど、いわゆる“降ってくる”なんてことが少なくなると思います。でも、あのときは運命というか、劇的でした。出会った頃、一緒に唄ってる頃には書けなかった唄。やっと書けるときがきた唄です。今回改めてわかったことは、僕の場合、唄を書く理由というか、動機が大事だってこと。それなりの年齢になると、無意識のうちに防衛本能みたいなものが働くのか、傷つきたくないから、自分のなかの唄を書く理由を突き詰めなくなるんですかね。その結果、知らず知らずのうちに当たり障りのない、毒にも薬にもならない唄になってしまっていたのかもしれませんね。だから、なかなか自分で納得できなかったのかもしれません」


・「辞めます」と言えなかったファンへのケジメ


新曲のレコーディングを無事に終えたが、あの新曲をツアー『RUSH』の前半終了時にリリースする計画は見送った。このタイミングでリリースするのが自分らしいのかどうか、迷ったからだ。心の底から「コレだ」と思えないことはしない。それが清木場の仕事の流儀。


 だが、ATSUSHIとの共演を決心した。東京ドームに向けたリハーサルでATSUSHIが清木場に言った「8月28日のステージの上だけは、EXILE SHUNにもどってくれ」この一言で、心のスイッチが切り替わった。「EXILEを脱退してから、常に僕の中にモヤモヤした気持ちがあって。ファンの人たちに“辞めます”としっかり報告しないまま去ってしまったので。何年かかっても、そのことはしっかりケジメをつけるべきだと、ずっと思っていました。別にそんな話をATSUSHIにしたことはないけど、どこかでわかってくれていたのか、手を差し伸べてくれたのかな、とも思いました。僕にとってのATSUSHIは、何かあるとき必ず手を差しのべてくれる存在です」


 いよいよ運命の8月28日、二人の共演は約1時間にもおよんだ。「羽根 1/2」から始まり、EXILE第一章メドレーを含む全14曲を熱唱。ATSUSHIは号泣し、多くの観客も涙を流していた。終演後も興奮は冷めることなく、SNS上では一週間以上も二人の話題で持ち切りに。清木場の信頼する仲間たちから「やはりあの新曲をシングルで出しましょう」という声があがった。ATSUSHIの用意してくれたケジメのステージ、そしてツアー『RUSH』でみた各地の観客たちの笑顔、清木場を取り巻く全ての要素が彼の背中を押したのだろう。そして、新曲には「友へ」というタイトルが付けられた。


 清木場がライブで「友へ」を披露するときには、ATSUSHIが動画でコメントを寄せた。


「あのステージを終えて、今でも鮮明にあのときの記憶が蘇ってくる気持ちでいます。SHUNちゃんの背負ってきたもの、そして僕が背負ってきたもの、お互いにそれを持ち寄って、あの日を迎えられて、どうしてもやらなきゃいけないことだったなと感じています。ステージのあとのコメントで、僕は“今までの人生でいちばん幸せだった”という言葉が出てきました。本当に、お互いいろいろなことがありましたけれど、あの日を迎えたことで全てをアップデートできて、今までの15年間は正しかったんだと言い換えられたことが感動的で、今でも感謝しています。僕に向けて曲を書いてくれたということで。僕も聴かせていただきましたけれど、涙が溢れてきました。いつものSHUNちゃんらしく、唄い屋として魂からの心の唄を届けてほしいと思います」


 ATSUSHIは清木場が「何かあるとき、必ず手を差しのべてくれる存在」と言ったのを聞き、「SHUNちゃんもそういう存在」と答えたそうだ。誰にも縛ることのできない天才と、重責と闘うエリートがライバルであり、誰よりもお互いを認め合う友情をテーマにした作品は、時代を問わず幾度となく描かれてきた。その心が熱くなる感動を、現実に今を生きる二人に感じることができる。目に見えなくとも、きっと二人の心は「友へ」のジャケットとなった、この写真のようにいつも手を差しのべあい、お互いの目指す高みへと進んでいくのだろう。いつか、この曲をまた二人で唄う日がくるかもしれない。「友へ」から始まる、清木場とATSUSHIの新たな章へ。二人の絆を紡ぐストーリーはこれからも続く。(文=吉梅明花)