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『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』が描く、歴史の暗部と“物語”の力

2017年02月09日 13:33  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016 Twentieth Century Fox

 アメリカで300万部突破のベストセラーとなったというダークなファンタジー小説を原作に、やはり多くのダークな、しかし愛らしいテイストの娯楽作品を手掛けてきたティム・バートン監督が映像化したのが、バートン監督自身が「おそろしいメリー・ポピンズ」と呼んでいたという、本作『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』である。


参考:ティム・バートンの作風に変化アリ? 『ミス・ペレグリン』に自ら登場した背景


 ティム・バートン監督作としては、『アリス・イン・ワンダーランド』同様にヒットを期待される題材だけに、非常に見やすいオーソドックスな内容に仕上がっているといえるが、バートン映画としての趣味性が薄いわけではなく、持ち味が多分に発揮されているところが本作の特徴だ。というのも、この原作者も、かなりの「変わり者」なのである。


 今回、原作小説と映画を行き来しながら内容を考えていくことで、興味深いことがいろいろ分かってきた。そこから、この作品が描こうとするものは何だったのか、その答えを考えていきたいと思う。


 この初めての小説でいきなりベストセラー作家となった原作者ランサム・リグズは、それまで内省的で奇妙な味わいのショートフィルムを製作したり、TVゲームのシナリオを書いたりなど、少し変わった経歴を持つ人物だ。彼が撮った、「トーキング・ピクチャーズ」という、フリーマーケットで手に入れたモノクロの古い写真を紹介するという内容の映像作品がある。彼は、有名人でない人々の姿が映った、謎めいた写真を収集するのが趣味なのだ。


 原作小説「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」(「ハヤブサが守る家」)は、これら彼個人のコレクションに加え、複数のコレクターの持つ、味わいのあるトリック写真などを基に、その背景を勝手に想像し、ひとつの物語としてつなげてしまうという風変わりな手法で書き上げられた。宙に浮く少女、不気味なかぶりものをした双子、岩を持ち上げる人物など、それらヴィンテージ写真は、本のなかで挿絵のように一枚ずつ紹介されている。ランサム・リグズは写真を眺めたり廃墟を歩いたりして、創造の翼を広げ、奇妙な物語を思いついていく。


 ここで、思い出してほしい。本作の主人公ジェイクは、祖父が少年時代に世話になっていたという、小さな島の孤児院を訪ねたとき、かつて孤児院だった廃墟をうろつきまわり、ホテルで客船や爆撃機などの写真を目にしていた。本作の主人公は、原作者とシンクロするような行動をとっているのだ。これが意味するのは、リグズ自身が写真や廃墟から物語をひねり出したのと同じように、本作の物語は、おそらくジェイク自身が作り上げたものだということである。このことを手掛かりに、いったん本作のはじめの時点に巻き戻って物語を語り直したい。


 ジェイクの幼少時に、「ベッドタイム・ストーリー」として自身の奇妙な体験を物語っていたのは、イギリスの名優テレンス・スタンプが演じる祖父エイブである。彼は少年時代、第二次大戦中のポーランドから、スーツケース一つを持ってイギリスに亡命したという。そしてウェールズの島にある孤児院で暮らしていた。


 そこには、エヴァ・グリーンが演じる、ハヤブサに変身することのできる院長先生のミス・ペレグリンや、空中に浮遊する少女エマをはじめとして、予知夢を映像として投影できる少年、謎の双子、怪力少女、腹の中で蜂を飼育している少年など、様々な「普通ではない」子どもたちが住んでいた。ちなみに、頭の後ろにもう一つの口がある少女クレアは、日本の妖怪、 二口女(ふたくちおんな)をヒントにしているという。彼女たちは、ミス・ペレグリンの時間操作術「ループ」によって、いつまでも年をとらず、孤児院のなかで同じ一日を延々と生きている。というのも、その孤児院は第二次大戦中のナチス・ドイツの爆撃によって破壊され、全員命を落とす運命にあったからである。「ループ」は、それを回避するための魔法なのだ。


 この祖父の話は、現実に彼が体験した悲惨な記憶を、荒唐無稽なホラ話に変換したものだと、劇中でジェイクの父親(エイブの息子)によって解釈されている。その解釈に沿えば、その孤児院に住んでいるのは、エイブと同様に、ポーランド、オーストリア、チェコスロバキアなど、ナチスによる迫害にさらされる国々から逃げてきた、「普通のイギリス人」とは異なる個性や事情を持った子どもたちだということになる。 また、本作で海中から浮上して復活するイギリスの豪華客船というのは、第一次大戦中に、やはりドイツの潜水艦によって沈められ、多くの犠牲者を出したという「ルシタニア号事件」が基になっていると思われる。


 チェコスロバキアの歴史を伝えるドキュメンタリー映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』によると、第二次大戦時、ナチスの支配下にあった国では、子どもたちだけは助けたいと、ユダヤ人たちが自分の子どもを国外に送り出そうとしたが、難民の受け入れに手を挙げたのは、ヨーロッパのなかでイギリスだけだったという。その親たちは、生木を引き裂かれる気持ちで子どもを列車に乗せると、その後、自分たちは収容所に送られ、動物のように扱われてホロコースト(大量虐殺)の犠牲となり亡くなった。もちろん、国外に出ることができず殺された子どもたちも多い。


「そんな悲劇は全て嘘だと思いたい。そして、お世話になったミス・ペレグリン、淡い恋心を抱いたエマ、孤児院のみんながずっと生き続けてくれたらどんなによかったか。あの爆撃の前に時間が逆戻りしてほしい」


 そんなエイブの想いが頭のなかで生み出した魔法が「ループ」なのだろう。子どもらが成長せず、ずっと同じ姿なのは、エイブによる思い出が基になっているからだ。「ループ」が行われる日付は、原作では1940年9月3日であり、映画では1943年9月3日に改変されている。偶然か意図されたものかは分からないが、「9月3日」というのは、ユダヤ人にとって特別な意味がある日付である。1941年の同日に、アウシュヴィッツ強制収容所のガス室で、はじめて大量処刑が行われたからだ。エイブをはじめとする子どもたちの親は、そのような方法で殺害されていった。このナチスが行った歴史的犯罪を、エイブは「モンスター」というかたちで認識する。耐え難い事実を、エイブはおとぎ話のような物語に変えることで乗り切ったのである。そして、この話を幼い頃のジェイクに繰り返し語っていたのは、最愛のジェイクに対し、同様の悲劇がふたたび起こるかもしれないという警告を与えたかったからではないだろうか。


 ティム・バートン監督や原作者ランサム・リグズのように、「普通の人間」とは少し変わっていて、現実の社会にうまく馴染むことのできないジェイクは、祖父から受け継いだ「特別な力」を持っている。それは、「物語」を作る力であり、「見えないものが見える」という能力である。普段は善良な市民のように振る舞っている人たちが、あるとき突然にユダヤ人を迫害したように、「人間が人間でなくなってしまう」ことがあるのだ。 原作では「魂」を奪うという設定だったモンスターが、映画では、人間の目玉を奪おうとする設定に変わっているのは、さらに示唆的である。 つまり、現代にも本作のモンスターのような、人間の心を失った人間たちが生き残っており、彼らは人々から気づかれないように振る舞い、身近に迫る脅威すら「見ることができない」ようにしてしまう。 ジェイクが彼らの姿が見えるというのは、過去に起きた悲劇、つまり本当の「歴史」を理解し、そのようなことを繰り返す可能性のある人間の振る舞いを事前に「知っている」ということを意味している。


 現代においても、ある種類の人間を差別するという行為は絶え間なく続いている。人類がホロコーストのような悲劇を繰り返す可能性は常にあるといえるのだ。そのことを、エイブがジェイクに語りかけたのと同様、「物語」というかたちで伝えてくれるのが本作なのである。そこにはたしかに、ティム・バートン監督が今まで描き続けていた、「普通の人間」とは違う人々への優しさがあふれている。(小野寺系(k.onodera))