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清木場俊介『友へ』は、どのようにして生まれたのか? EXILE ATSUSHIとの歩みを振り返る

2017年02月08日 19:03  リアルサウンド

リアルサウンド

清木場俊介

2月8日、清木場俊介の最新シングル『友へ』が発売された。“友”とは、他ならぬEXILE ATSUSHIのこと。EXILE第一章をパートナーとして共に歩んできた二人の物語は、まさに事実は小説より奇なり。交差する二人の人生は、まるで1本の映画であるかのようにドラマチックな展開に満ちている。「友へ」は、どのようにして生まれたのか。長年、清木場の音楽活動を見届けてきた音楽ライター・藤井鉄幹氏の取材メモをもとに紐解いていく。前編となる今回は、清木場とATSUSHIの歩んできた道を振り返る。二人の異なる魅力、そして今もなお続く友情の源を見つめたい。


・SHUNとATSUSHI、唯一無二のツインボーカル


清木場がEXILEのボーカル“SHUN”としてデビューしたのは、2001年のこと。それまでの清木場は、地元山口で「これだ」と思ったら即実行する男気にあふれた青年だった。19歳で起業し、仕事のかたわら音楽活動に勤しんだ。詞をつづり、中学から始めたギターをかき鳴らし、地下道で行き交う人々の前で弾き語りをしていた。生まれながらに倍音がかかった魅力的な声を持ち、すべて独学で、体当たりで唄と向き合う。それが清木場の原点だ。


 一方、ATSUSHIは幼少期からクラシックピアノを習い、長年ボーカルトレーニングを積んできたエリートだった。恵まれた甘い声質に、広い音域と確かな声量が加わり、一層磨き上げられた歌声はまさにプロ。奇しくも、同じ1980年生まれ。全く異なる道を歩んでEXILEに導かれた二人。「SHUNとATSUSHIのツインボーカルは“天然石と宝石”の対象的な美しさだ」と、藤井氏は論じている。


 <いつも追いかけてた その背中を見失わぬ様に>「友へ」の歌詞にあるこのフレーズは、エリートとして圧倒的な歌唱技術を持つATSUSHIに対する、清木場の率直な思いだったのだろう。荒削りだからこそ目が離せないSHUNのライブ感と、洗練されたATSUSHIの豊かな表現力。お互いにしかないものを認め合った二人は最強だった。


 才能を開花させたEXILEは、2003年に3rdアルバム『EXILE ENTERTAINMENT』でミリオンセラーを記録し、NHK紅白歌合戦にも出場。翌年から一気にツアー規模も拡大し、2005年にはアジアツアーで20万人の観客を動員するモンスターグループへと成長したのだった。


・唄いたい唄を唄うため、二人はそれぞれの道へ


 だが、その翌年、2006年にSHUNは突然の脱退を発表する。そして、唄い屋・清木場俊介として新たな道を歩み出した。「裏切り者」「メンバーと不仲なのでは」など心無い言葉や憶測が飛び交った。だが、それでも清木場の歩みに迷いはなかった。


 「納得していない曲でレコーディングを進めるのは自分に嘘をつくことだから。それはスタッフにも嘘をつくことになるし。聴いてくれる人たちにも嘘をつくことになるし。録るだけ録って、どの曲を世に出すか、お偉いさんが決める、いわゆるアイドルみたいなシステムのなかに自分がいるのであれば、気に入っていようが、気に入ってなかろうが、責任なんてないけど。僕は責任を追う覚悟をして、自分のケツは自分で拭く覚悟もして、ソロでやっているわけだから。自分に嘘をついちゃいけない。責任が取れないから」


 「友へ」のリリースを前に、清木場は藤井氏のインタビューで、楽曲へのこだわりをこのように語っている。「自分の納得をしていない曲で進めたくない」これが、唄い屋・清木場俊介としてソロの道を歩んだ信念なのだろう。


 音楽の力でより多くの人が幸せになる、その目的は清木場もEXILEも同じだった。だが、そのアプローチ方法が異なったのだ。清木場の原点は、弾き語り。目の前の一人でも共感してくれれば、という思いで唄う。対して、EXILEは音楽業界を牽引し、やがて世界へと羽ばたく一大エンターテインメントを創造する、という意義を掲げていく。


 何ごとも規模が大きくなるほど、寄せられる期待も大きくなり、やがてそれは文化の担い手となる責任へと転化する。ストレートなシャウト、泥臭い生き様と飾らない思いを唄にする清木場のスタイルは、すでにアジアツアーのソロコーナーで披露した「唄い人」で「EXILEのコンサートには似つかわしくない」といった批判もあったと聞く。


 <僕は僕の唄いたい唄を唄う……>とは「唄い人」の歌詞。なぜ脱退したのか、その答えは全てがこのひとことに集約されているように思う。脱退に対して、清木場は多くを語らなかったが、EXILEのメンバーには十分伝わっていたように思う。当時のドキュメンタリー映像を見ても、最後のレコーディングでメンバーとハグを交わし、その旅立ちを静かに応援していた。


 多くのリクエストを受けて、6人でのラストライブが叶った2006年4月21日放送の『ミュージックステーション』では、司会のタモリから心境をたずねられたATSUSHIは「僕としては相方なので、最高の相方でしたし、人間的にも勉強になることがたくさんあって、歌手としての相方もそうなんですけど、やっぱり人として出会えてよかったなって思います」という言葉を贈る。


 清木場は思わず目をうるませ、「これからもEXILEをよろしくお願いします」とエールを返す。そして『Your eyes only ~曖昧なぼくの輪郭~』を唄い、見つめ合ってハーモニーを生み出す二人の姿は、何も言わずとも通じているのが伝わってくるようだった。旅立つ清木場と見送るATSUSHI。お互いに相棒を失う心もとなさと胸に秘め、清木場はソロとなる責任と覚悟を、ATSUSHIはEXILE第二章を牽引する重圧を背負ったのだった。


・「あの頃の僕らになら、お互いに歩み寄れる」


ATSUSHIはポリープ切除や新メンバーのオーディションといった荒波を乗り越え、EXILEだからこそ魅せられるエンターテインメントを突き詰めていった。TAKAHIROという逸材を発掘した第二章のEXILEは、さらにスターダムへとのし上がっていく。清木場もロック路線を定め、ライブハウスでソロ活動を開始。藤井氏は、当時の清木場のライブの雰囲気を「一心不乱かつ一触即発。緊張が張り詰めていた」と振り返る。


 「僕が辞めてから2、3年はお互い1度も連絡をしませんでした」(清木場)再会の約束はしなかった二人。それぞれの道を歩むと決めたからには、自分の決断に後悔はするまい、別の道を歩んだ相棒に負けたくない、そんな気持ちもあったのではないか。二人が再び連絡を取るようになったのは、30代に入ったころだった。年に数回会うようになり、やがてどちらからともなく「いつかは(一緒に)やりたいね」という言葉が交わされるようになった。


 そして2014年、二人はコラボ・レコーディングを果たす。ATSUSHIからの要望で、ソロ2ndアルバム『Music』に脱退前にレコーディングした未発表曲「The Impossible is Real ~My Lucky Star~」を新たに収録することになった。そして、清木場のベストアルバム『唄い屋・BEST Vo.1』で「羽 1/2」を新録。


 藤井氏の取材に応じた清木場は、コラボした当時の感想を以下のように述べている。


「僕ら、もうすでに別々の道を歩いているので、音楽のジャンルも違えば、唄う内容も違っているから、噛み合うのはあの頃の曲だけです。昔の友だちに久しぶりに会うと、今どうしているとか、これからどうするって話より、あの頃のなつかしい話でもりあがるのと似ています。綿密な打ち合わせがあったわけじゃないのに、ATSUSHIも僕も過去の曲を挙げたのが、お互いにそう思っていた証明でしょうね」


 二人は別の角度から進化を遂げていた。それは、リリースされている作品を聴けば、何も語らずともわかること。


「お互いが今の自分を主張し過ぎたら、うまく噛み合わない。でも、あの頃の僕らになら、お互いに歩み寄れます」


 あの頃をなつかしみながらも、今の二人がどのレベルに達しているのか。最高の相棒であり、最高のライバルだからこそ、共に唄うことによって、ちゃんと前に進んでいることを実感できたのだろう。このときのコラボレーションを、ATSUSHIは“奇跡の共演”と呼んだ。だが、その奇跡は、2年後に再び訪れる。それは、清木場のピンチから始まったのだ……。(続く)(文=吉梅明花)