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佐藤広大が語る、音楽への情熱とEXILE SHOKICHIとの絆「オールド・ルーキーにしかできないことがある」

2017年02月06日 20:02  リアルサウンド

リアルサウンド

佐藤広大(撮影=竹内洋平)

 地元札幌では、テレビやラジオのレギュラー番組を持つなど、広くその名を知られている佐藤広大が、満を持してメジャー・デビュー。夢を育み、夢に挑み、出会い、別れ、傷つき、もがき、あきらめて、また奮起して……、長い長いトライアル&エラーを繰り返した末に彼を待っていたのは、本当にかけがえのない音楽という贈り物だった。デビュー・シングル『スノーグローブ』。親友との苦い思い出が、今、聴く者たちにとっての希望の物語に変わる。ここから彼は、かかった時間を味方につけて、「オールド・ルーキーにしかできないこと」に邁進するのだろう。クシャッと人懐こい笑顔の奥に、遅咲きだからこその静かな強さを垣間見た。(藤井美保)


・輝く星の下に生まれたのはSHOKICHIで、僕はそうじゃなかった


ーーお名前が「広大」なので、まず、どんな景色のなかで育ったかをうかがいたいのですが。


佐藤広大:名前の通り、北海道らしい大自然のなかで伸びのびと育まれた感はあります(笑)。家の前がちょっとした崖のようになっていて、冬になるとそこを元気よくソリで滑ったりもしてましたね。


ーー少年時代はどんな子でしたか?


佐藤広大:引っ込み思案でした。学習発表会でも率先して黒子をやるような。そういえば、お墓の役をやったことがありましたね(笑)。ってくらい人前で目立つのが嫌いだったんです。


ーーそれが今や(笑)。音楽で何かが変わったんでしょうか?


佐藤広大:小学校の頃から音楽は好きで、両親のCDとかお姉ちゃんが借りてくるCDとかを、こっそり自分の部屋で聴いたりしてました。初めて友だちとカラオケに行ったのが中学のとき。GLAYの「HOWEVER」を歌ったら、意外にもみんなが「うまいじゃん」と言ってくれて、「あれ? 僕にも取り柄というものがあったんだ」と思えたんです。人が喜んでくれる味を覚えて、そこから歌うのが好きになりました。


ーー当時好きだったのは?


佐藤広大:GLAY、ウルフルズ、THE YELLOW MONKEY。メイン・ストリームのJ-ROCK、J-POPを多く聴いてました。


ーー「歌が好き」から、音楽を目指すようになったのは?


佐藤広大:実は高2のときに、幼稚園からの親友が事故で亡くなってしまったんです。その彼が、「歌手になれ」ということと、「ここに行け」とある大学名を言い残したんです。「歌手」は夢の話としてわかるけど、なぜその大学なのかはすごく不思議でした。でも、そう言われたからにはという思いもあって、得意じゃない勉強を必死で頑張り、その大学に進みました。そこですぐ、EXILE SHOKICHIと出会ったんです。


ーーそうなんですか!


佐藤広大:入学式のときから、「歌が上手いヤツがいる」と彼は噂の的になってました。ある日授業に出たら、そのSHOKICHIが隣の席にいた。「歌やってるんでしょ?」と話しかけて、一緒にカラオケ行って、歌声を聴いてピンときて、その場で「一緒にやりたい」と口説きました(笑)。


ーーすごく速い展開だったんですね。


佐藤広大:親友が親友をつないでくれたような感じで。


ーーホントにそうですね。ふたりでどんな活動をしてたんですか?


佐藤広大:当時はトラック・メイキングなどできないので、できることからやろうと、まずレコード漁り。気に入った歌と出会ったら、併録されているインストゥルメンタル(いわゆるカラオケ)を流しながらオリジナルのメロディと歌詞を作る。で、できたら、そのレコードを持って、「歌わせてください」とクラブ回りをしてたわけです。当時、札幌界隈には歌モノのシーンがなかったので、ヒップホップ・シーンの現場に潜り込ませてもらってました。お客さんが1人とか2人のこともありましたね。


ーーユニット名はJACK POT。ふたりでの未来は描いていましたか?


佐藤広大:夢の話はしてました。たいしたビジョンは描けてなかったですけど、プロになろうという気持ちだけは強くて。


ーーオーディションをふたりして受けたのは、20歳くらいのときでしたね。


佐藤広大:言い出したのは僕。お互いのプロフィール写真を撮り合って応募し、札幌での予選では、ふたりともが1万人中の100人くらいに残りました。東京での二次審査も一緒。お金がないから漫画喫茶に泊まって、帰りも池袋から新潟までバスで出て、新潟からフェリーの貧乏旅でした。そのフェリーに乗ったときに、SHOKICHIにだけ二次審査通過の電話がかかってきたんです。


ーーそれは過酷ですね。


佐藤広大:いや、ホント、キツかったです。またフェリーって長いんですよ。到着まで13時間。「おめでとう」って言ってあげたいんですけど、正直悔しい気持ちもあるし、ひょっとして離ればなれになっちゃうのかなという不安もあった。一方で、応援できない自分にすごく苛立ちを覚えてました。とにかくSHOKICHIとは常に一緒だったのが、あの瞬間にすべてが変わってしまった。ふたりでいるのがあんなに苦痛だったのは初めてでした。ホントに地獄の13時間でしたね。


ーーその気持ちはしばらく尾を引きましたか?


佐藤広大:SHOKICHIはJ Soul BrothersからEXILEへと、瞬く間に人気者になっていきました。ライブに何度か行ったりもしたんですが、やっぱり最後までは観ていられなかった。しばらくは彼の活動を応援できなかったです。


ーーそこからどう気持ちを切り替えたんですか?


佐藤広大:実は一旦あきらめかけたんです。輝く星の下に生まれたのはSHOKICHIで、僕はそうじゃなかったと自分に暗示をかけるようとしました。大学卒業後は就職して、1年ほどはアパレルで働いてたんです。歌をやめるために、何度かそういうふうに自分を作ろうとしたんです。そのほうが、きっと親も安心するだろうな、なんて思ったりもして。でも、働いていくうちに、やっぱり違う! と思いました。一度きりしかない人生だし、なにより、天国の親友が「歌手になれ」と言ってたその意味もわからないうちに投げだすことはできないなと。退社を申し出て、一度東京に出ようと思ったんです。


・誰かのモチベーションを上げる音楽を作りたい


ーートライアル&エラーの時代だったんですね。


佐藤広大:オーディションももう一度受けたんですよ。そこにはテレビの密着なども入って、SHOKICHIと僕がもともと親友同士でユニットを組んでいたという打ち出し方もしてくれた。結局、僕は途中で落ちちゃうんですけど、僕のことをSHOKICHIの元相方と知ってくださった方たちが、その後こぞって僕のSNSをフォローしてくれるようになったんですね。そこから、悔しさを糧にしてまたスタートしてみようという気持ちになっていきました。


ーーSHOKICHIさんとも素直に向き合えるようになったんですか?


佐藤広大:「夢は絶対叶う」という連絡をもらいました。それがまた転機となったんです。それまでは、SHOKICHIという存在が僕のコンプレックスでもあった。なんか十字架を背負ってる感じだったんです。でも、視点を真逆にしてみたら、僕はなんてツイてるんだ! って思えたんです。だって、国民的アーティストであるEXILE SHOKICHIの元相方って、僕しかいないじゃんって。


ーーそうですね。


佐藤広大:それはすごく誇らしいことだと気持ちがシフトした瞬間、人生が変わりました。


ーーしばらく東京で活動したのち、北海道に帰ったんですよね。


佐藤広大:東京タワーに登って街を見下ろしたときに、「デカすぎるな。この街は」とつくづく思ったんです。東京でできないことに悩むのではなく、北海道でできることを見つめ直して、まず地元で一番を獲ろうと。ハッキリとしたビジョンを描いて帰りました。東京で戦っていく自信を持つためにも、それが必要なプロセスだと思ったんです。とはいえ、世間はそう甘くはなく、「アイツは負けて帰ってきた」と言われたりもしました。それでも、結果を出せばまた絶対応援してくれる人はいると信じてて。


ーー強くなりますね。


佐藤広大:自分のビジョンに自信はあったけど、やっぱり苦しかったですよ。円形脱毛症が5個もできちゃったくらい(苦笑)。でも、けっこう挽回は早かったと思います。


ーーいろんな企業さんとコラボしたりされてますが、企画書を持って回るみたいなこともしたんですか?


佐藤広大:いや、ハートだけで会いに行ってました。


ーーあおぞらプロジェクトというNPOも立ち上げたんですよね。


佐藤広大:はい。少しずつ活動を始めてます。2年後くらいには、子供達と一緒につくる音楽フェスティバルを実現させたいなと思って、今、地盤固めをしてるところです。


ーーテレビ番組のMCやラジオDJなど、地元ではしっかりと根を張ってきている。そんな折でのメジャー・デビューというのは、やはり大きな意味がありますか?


佐藤広大:もちろんです。関わる人の数、仕組み、すべてが違いますね。ここからが本当に大事な時期なので、安心はしてないですけど。


ーー佐藤さんの曲作りのモチベーションとなっているのは?


佐藤広大:やっぱり人との出会いです。自分自身モチベーションを高くキープするのは当たり前として、僕は、誰かのモチベーションを上げる音楽を作りたいと思ってるんですよ。拾ってくれたレコード会社、支えてくださる関係者、そして、もちろんお客さん。その人たちのモチベーションが上がる熱い活動をしていかないとと。


ーー曲作りの作業は、どこから始まりますか?


佐藤広大:テーマからですね。ザックリとしたイメージをまとめていきつつグルーヴとメロディを作り、それが崩れないよう、最終的にテーマに沿った歌詞を書くんです。テーマは、制作に関わるスタッフ全員と最初から共有します。


・恩返しを楽しむ音楽=恩楽を、ブレずにやっていくこと


ーーでは、メジャー・デビュー曲「スノーグローブ」にいきましょう。ビートルズにも通じるメイン・ストリームをいくナンバーだなと。


佐藤広大:当初は恋愛ソングをテーマに作ってました。でも、歌詞を書く段階で、カップリングに「Diamond Dust feat. EXILE SHOKICHI」が入ると決まった。「だったらこっちで、SHOKICHIくんと離れたときの気持ちを書いてみたら?」とスタッフに提案されました。


ーー丘の上に並ぶふたりの姿が見えますね。


佐藤広大:おっしゃる通りです(笑)。まさにSHOKICHIと見てた景色。離れることに不安を覚えながら、「俺たちのこと、地元のこと、忘れんなよ」と思ってる。友情ソングですね。


ーー今回お話を聞くまでは、素敵な恋愛ソングと思ってました。


佐藤広大:もちろん、恋愛ソングでも、卒業ソングととってもらってもいいんです。SHOKICHIとのことを頭に描きながらも、幅広い人たちに届くようなものを書こうと思ってましたから。


ーー歌に躍動感がありますね。


佐藤広大:今までリズムや音程を気にして歌ってたところがあったんですけど、今回は、初めてと言っていいくらい、気持ちひとつで歌いました。これまで表現できてなかった部分が出たと思います。


ーーサウンドで何かこだわった点はありますか?


佐藤広大:今までにないポップさ、キャッチーさのある曲なので、あえてマイクのプリアンプにヴィンテージ機材を使いました。実はちょっと歪み気味だったりするんですけど、その古くささが曲に合ってると思ってて。


ーー音の温かさにつながってるのかもしれませんね。


佐藤広大:温かさ、したたかさに結びついてるんじゃないかな(笑)。


ーーカップリングの「Diamond Dust feat.EXILE SHOKICHI」はどうやって生まれたんですか?


佐藤広大:SHOKICHIと「久しぶりにセッションしようか」ってなって、最初はプライベートで録ってたんです。その感じがけっこうよかったので、「じゃあ、ブラッシュアップしていこう」となったときに、SHOKICHIが突然「俺、コーヤン(SHOKICHIが佐藤を呼ぶときの愛称)に歌詞書くわ」と言い出しました。「ヤバイのできた!」と持ってきたときは、正直照れました(笑)。


ーー素晴らしいプレゼントですよね。


佐藤広大:出会ってから十数年に至るふたりの時間を、手紙にしてくれたみたいだ、と思って、もう途中から涙で見えなかったです。


ーー特に〈太陽が昇り 陽の光浴び キミは輝く〉。あそこをSHOKICHIさんが歌ってるところに、グッときました。


佐藤広大:「エッ、オレのこと?」みたいな。泣けるほどうれしかったです。実は歌入れのとき、自分のパートはパキッと集中してやってたんですけど、SHOKICHIがブースに入ったとたん、「これ、夢じゃないんだ」としみじみ思えてきて、こっそり泣きました。彼はたぶん、僕が泣いてたことは知らないと思います。


ーーR&Bデュオといった歌に仕上がりましたね。


佐藤広大:「スノーグローブ」とは対照的に、スタイリッシュに抑える感じの歌い方をしました。「あくまでも広大の曲だから」と、SHOKICHIも僕の発声に寄せてくれた。そのSHOKICHIの声がまた刺激になって、僕自身もいつもとは違うニュアンスの声が出た気がします。お互いのいい部分を自然に調和させることができました。EXILE SHOKICHIと佐藤広大というより、その昔のJACK POT的な1曲になったと思います。


ーー過去と今、未来がつまった1枚ですね。


佐藤広大:夢を追いかけている人たちの希望の歌になったらいいなと。


ーー今後の野望を聞かせてください。


佐藤広大:より大きなステージに立つということは常に目標にしたいです。楽曲的には、本当にいろんな音楽が好きなので、レゲエもロックもUKも2ステップもGファンクもポップスもR&Bも……、とにかくなんでもアリが佐藤広大というふうになっていきたいですね。あとは、僕の根本である、恩返しを楽しむ音楽=恩楽を、ブレずにやっていくこと。


ーー恩楽! 人とのつながりが見えるいい言葉ですね。


佐藤広大:年齢的に、僕のメジャーデビューはオールド・ルーキーですよ(苦笑)。でも、若いヤツにはできなくて、オールド・ルーキーにしかできないことは絶対ある。それを見極めて、磨いて、届けていきたいです。谷が深かった分、深い歌が歌えるはずと信じて、まだ見ぬいい景色を見てみたいですね。


(取材・文=藤井美保)