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YOU THE ROCK★×DJ OASISが語る、90年代ヒップホップの真実 ウラ話満載のトーク実録レポ

2017年02月06日 16:33  リアルサウンド

リアルサウンド

『私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ』トークイベント

 書籍『私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ』(辰巳出版/リアルサウンド編)の出版記念トークショーが、去る1月15日(日)にBIBLIOPHILIC & bookunion 新宿にて開催された。同書の表紙にも登場するYOU THE ROCK★(以下、YTR★)と、スペシャルゲストのKGDR(キングギドラ)DJ OASIS(以下、OASIS)が登壇し、訪れた観客の前で貴重なトークを繰り広げた。


(関連:DABO × サイプレス上野が語る、ヘッズとして見た90年代ヒップホップシーン


 同書は、ジャパニーズヒップホップが興隆し、日本語ラップやクラブカルチャーが大きく発展した90年代にスポットを当て、シーンに関わった重要人物たち17名の証言をもとに、その熱狂を読み解いたもの。YTR★のほか、K DUB SHINE、DJ MASTERKEY、宇多丸、川辺ヒロシ、DABO、サイプレス上野、CRAZY-A、DJ KENSEI、DJ YAS、DJ YANATAKE、KAZZROCK、BROOKLYN YAS、加倉井純(MDP)、高橋芳朗、古川耕、森田太(TOKYO FM) が、それぞれの視点から見た90年代ヒップホップシーンを語っている。


 トークショーでは、当時の情報源についての話題に。YTR★が「インターネットがなかった分、情報を欲するエネルギーが計り知れなかった。本場のヒップホップに触れるにはNYに行く必要があって、行ったとなればその話だけで一年はやっていけた。留学しているキングギドラのコッタくん(K DUB SHINE)が羨ましかった」と語ると、OASISは「俺も向こうで生活していたわけじゃないけれど、サンフランシスコ・オークランドのコッタくんの家がギドラの合宿所になっていた。現地ではヒップホップがどんな風に聴かれているかーーたとえばお店でどんな風にかかっているかを知れたのは、すごく良い刺激になった。ちゃんと文化として根付いているものなんだって意識したのは大きい」と、アメリカからダイレクトにヒップホップ文化を学んでいた時期を振り返った。


 10代の頃に聴いていたヒップホップについての話題になると、OASISは「86~87年頃はコンピレーションが多くて、ミスター・マジックのやつとかを聴いていた。まだ日本ではヒップホップがジャンルとして確立していなくて、六本木のディスコに行くと、ディスコ・ソングの合間にMC Miker G & DJ Svenの『Holiday Rap』とかがかかっていた。ちょっとラップが入っているだけでも、すごく敏感に反応して聴いていた」と、その状況を述べる。さらに、渋谷のタワーレコードが現在の宇田川町にあった時期に触れると、YTR★は、「DJ KEN-BOはレンタルレコード店の『YOU&I』川口店でバイトしていて、渋谷のタワレコにヒップホップのレコードを買い付けに来ていたみたい」と話し、お店のお金でレコードを選別できたことへの憧れを口にする。当時の一般リスナーにとっては、いわゆる“ジャケ買い”が基本で、裏面の情報も大切な判断材料となっていたとのことだ。「Run-D.M.C.を買ったときなんか、RunとD.M.C.はわかるけれど、間にいるJMJ(ジャム・マスター・ジェイ)はなんだろうって気になっていた。DJがなにをやっているのか、よくわからなかった」と、YTR★は続ける。


 実際、DJについての情報は少なく、学ぶのは試行錯誤の連続だったようで、いまや「KING OF DIGGIN’」として知られるDJ MUROでさえ、YTR★によると「クロスフェーダーの使い方が一年間わからなかった」そうだ。これにはOASISも同意し、「自分で機材をいじって発見していくしかなかった。AKAIのS950やCASIOのFZ1という初期のサンプラーを買ったんだけれど、使い方がわからなすぎて。たぶん正しい使い方じゃないんだろうなって感じながら作っていた。でも、やっているうちに、正しい使い方じゃなくてもカッコよければそれで良いってことに気づいた。ヒップホップは、楽器ができない人でもできる音楽なんだよね」と語った。


 一方でYTR★は、レコーディング・ソフトのPro Toolsがなかった時代、ラップパートの録音は一発録りが基本だったことに触れ、「走ったり噛んだり、抑揚があったりして、不器用さがモロに出るんだけれど、それが味になっていた」と語る。また、初めてPro Toolsを使った作品として『THE PROFESSIONAL ENTERTAINER』(99年)を挙げ、ラッパーのNIPPSをフィーチャリングに迎えた表題曲の制作過程について、「NIPPSさんがボーカルルームから出てこなくなっちゃって。覗いてみたら寝ちゃっていた。それで『NIPPSさん、“お前の目”って言って!』って、リリックを一言ずつ言わせて、後から全部Pro Toolsでつないだの。だからNIPPSさん、ラップしていないんだよ。寝言で曲になるんだから、怖い機械だよね」と、裏話を語って会場の笑いを誘った。


 会場から、ふたりの出会いについての質問が飛ぶと、OASISは「俺は結構長い間、生活のこととかを考えて現場から離れていたから、YOUちゃんとの出会いもけっこう後なんだよね。それで初対面のときに、ミックステープで使うシャウトを録らせてほしいってお願いして、ある会場に行ったんだけれど何も録音する手段がなかった。そこでYOUちゃんが自分で持っていた『トイ・ストーリー』のマイク付きラジカセを貸してくれた。で、それで他の人のシャウトももらっていたんだけど、若気の至りもあって『こんなのしかないけど、よろしく』って、YOUちゃんの目の前で誰かに録ってもらった。そしたら後からYOUちゃんから電話かかってきて、『あれはないよ!』ってすげえ言われて(笑)。たしかに、ああいう適当な言葉はよくないなって反省したのが、YOUちゃんとの出会いだった」と当時を振り返り、YTR★は「ふたりともどうしようもないね」と笑った。


 本書に登場しない90年代ヒップホップシーンの重要人物について話が及ぶと、OASISはラッパ我リヤの名前を挙げ、「コッタくんが中心となって作り上げたキングギドラの方法論を、きちんと消化して吸収してくれた人たちが出てきたなって、すごく感じた。ラップはスキルが重要なんだって、きちんと提示してくれた」とそのポイントを指摘する。一方でYTR★は、MURO、TwiGy、RINO、DJ KRUSH、dj honda、DJ PMX、BOY-KEN、SOUL SCREAMなど、多くの名前を挙げ、シーンの幅広さと奥行きを改めて強調した。特にMUROのラップについては、「空耳の発想。こういう言葉をハメれば英語っぽく聞こえるんじゃない?っていう音楽的な解釈が新鮮だった。韻を踏んでいくのとはまた別軸の発想」と、日本語ラップにおける重要な発見があったことを示した。


 しかしながら、日本語ラップを始めた当初はオーディエンスの反応が悪く、苦労も多かったという。「Naughty By NatureやRun-D.M.C.、House Of Painなどの前座をやったけれど、本当にひどい扱いだった。下北沢でNaughty By Natureの前座をやったとき、『俺のディックはビッグだぜ!』ってかましたりしたけれど、前の方にいた女性たちは『はぁ?』って顔していて」とYTR★が明かすと、OASISは「ヒデ(ZEEBRA)が、ちょっと英語でラップをすると、ブラパンみたいな人が来て『あなた、英語できるの?』って、見方がガラリと変わるんだよね」と続け、会場が笑いに包まれる。


 苦労の時代を振り返ると、昨今のフリースタイルブームは感慨深いようで、YTR★は「本当に嬉しい。20年間人生を捧げてきて、なにかの礎にはなれたのかなと思う」と語った。一方でOASISは、「フリースタイルが形になってきたけれど、ヒップホップはそれだけではないってことも、改めて認識してもらいたいタイミング」と続け、若手ラッパー・KOHHの名前を挙げ、「彼の場合は文体や言い回しはとても今風なんだけれど、ちゃんとK DUB SHINEの方法論を吸収しているのがほかの若手ラッパーと違う。何をどう伝えるかが粋というか、ウィット感がある。そういうラップはリスナーとして長く聞くことができて、言ってみれば作品に持久力がある。フリースタイルは瞬発力の勝負だけれど、持久力も鍛えないと作品は残っていかない」と指摘した。


 そのほか、SOUL SCREAMのE.G.G.MAN(イジジマン)の名前は、渋谷のライブハウス「eggman(エッグマン)」を読み間違えに由来していること、親にヒップホップを説明するのがとても大変だったこと、当時の練習やレコーディングの風景、2015年に永眠したDEV LARGEについての思い出など、数多くのエピソードが語られ、盛況のままにイベントは終了した。


 ジャパニーズヒップホップが興隆した90年代半ばから約20年、当時から活躍するアーティストから学ぶことはまだまだ多そうだ。(リアルサウンド編集部)