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Creepy Nuts、“どっちでもない”からできること「ドンキの人ともヴィレバンの人とも、ラップや音楽で戦える」

2017年02月04日 15:02  リアルサウンド

リアルサウンド

Creepy Nuts(写真=竹内洋平)

 『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)で最強のフリースタイラーの名を欲しいままにするラッパーのR-指定と、『DMC JAPAN DJ CHAMPIONSHIPS 2016』のシングル部門で2位に輝いたDJ/トラックメイカーのDJ松永によるヒップホップ・ユニット、Creepy Nutsが2ndEP『助演男優賞』を完成させた。非モテ系ラッパー/童貞DJとしてプロパーなヒップホップの価値観にハマれない様子を若林正恭と山里亮太によるお笑い番組/ユニット『たりないふたり』になぞらえたデビューEPに続き、2人がテーマに掲げたのは、“助演男優賞”からの逆転ストーリー。昨今の世の中に蔓延する風潮からフリースタイル・バトル・ブームに至るまで様々な時事をユーモアで切りながら、同時に全5曲で一人の人間のシリアスな意識の変化を描く、コンセプチュアルな作風を手に入れている。そこに込めた思いと、ブームの真っただ中にいる彼らの現在について、2人に訊いた。(杉山仁)


■「白に近いグレー」か「黒に近いグレー」しかない(R-指定)


――今回のリード曲「助演男優賞」は、昨年11月の『Creepy NutsのオールナイトニッポンR』で先行公開した曲ですね。ラフミックスをかけていたのでとても驚きました。


DJ松永:(『オードリーのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーとして知られる)僕にとって『オールナイトニッポン』は夢の舞台なので。「ここでかけないでいつかけるんだ」と思ったんです。完成前のラフミックスをかけるなんて、普通誰もしないですけど……。


R-指定:あの日の松永さんは、舞い上がり過ぎてテンションがおかしかった(笑)。今回の作品は「助演男優賞」より先に他の4曲が出来たんですけど、「未来予想図」は今の(フリースタイル)ブームに対する曲だし、「教祖誕生」も何年も温めてきたテーマだし、伝えたい内容ではあるんですけどちょっと全体的に重たいと思って。そのときに俺が「助演男優賞」のサビを思いついて、「これは入り口としていいんじゃないか」と思ったんですよ。


――この曲は、Creepy Nutsが売れるためにイケメンの代替メンバーを立てるという設定の中で、アイドルグループの解散や不倫、不祥事まで、近年の芸能界での出来事を総ざらいしたMVも話題になりました。


DJ松永:あのMVに引っ張られて、「助演男優賞」自体がとんでもない風刺曲だと思われていますけど、曲では何も風刺してないんですよね。MVのストーリー中に、小ネタで分かりやすいものを入れようと思っていったら、とんでもない風刺MVだと思われたという……(笑)。


――Creepy Nutsでの楽曲制作はソロのときとは随分違いますか?


DJ松永:全然違います。R-指定は相方以前に友達なので、考え方とかが凄く近い。常に意思共有出来ている状態なので、テーマを考える時とかすごくスムーズですね。


――続く2曲目の「どっち」も「助演男優賞」と同じくユニットの自己紹介的なトラックですが、言ってみれば「ドンキ(ドン・キホーテ)」が国道沿いカルチャーの象徴で、「ヴィレバン(ヴィレッジヴァンガード)」がオシャレサブカルの象徴になっています。


R-指定:「ドンキは国道沿いカルチャー」って、まさにそうですね(笑)。


DJ松永:クルマが止められないドンキはドンキじゃないからね。新宿のドンキはドンキじゃない。


――(笑)。「(そのどっちにも)俺たちの居場所は無かった/だけどそれで良かった」というラインに、2人の立ち位置が見事に表現されていると思いました。


R-指定:俺らがラジオとかを通して表わしたい人間性も、まさにそういうことなんですよ。


DJ松永:「ヒップホップ」というと、不良=ドンキ側の人間だと思われがちですけど……。


R-指定:「俺らはそうじゃない」と言うと、今度はすぐさまオシャレサブカル側の人間だと思われる……。


DJ松永:最近はロック・バンド界隈のイベントにも出てライブをしているので、なおさらそう見られることが多いんですけど、実際はどっちでもないから「無理に分けようとするのはやめて!」と言いたかったんです。


R-指定:俺は大阪の堺市出身で、松永さんは新潟の長岡市出身で、2人ともその両方の文化に触れて育ってきたんですよね。大阪の田舎も長岡もどっちかというと「ドンキ」的な文化のど真ん中ですけど、音楽を始めて色んな場所に顔を出すと、急に「ヴィレバン」の方に振れることになる。そうやって両方のいいところ/悪いところを味わってきて、つくづく「俺たちはどっちでもないな」と思ったんですよ。


DJ松永:そもそも、一般の人にスポットを当ててみたら、どっちでもない人の割合が一番多いと思うんです。それなのに、「みんな2つに分けたがるのは何で?」って思ってて。


R-指定:「どっち」の歌詞にも<黒に近いグレー/白に近いグレー>という歌詞が出てきますけど、俺らが好きなRHYMESTERさんも、昔からそういうことを言ってきた人たちで(「グレイゾーン」/2004年)。綺麗に分けられるものって意外と少なくて、「白に近いグレー」か「黒に近いグレー」しかない。それは自分の立ち位置や、言いたいことを考えてもそうなんですよ。


DJ松永:だから、「俺らはどっちでもないよ」ということが言いたかったんです。日常会話から生まれた曲ですね。


R-指定:体育会系のカルチャーもそこにあぶれた奴らが作り出す文化系のカルチャーも、結局それぞれにヒエラルキーがあって、「やってることは一緒やん」ってすごく思うんですよ。ただ、2人の中でも「どっちかというとこっち寄り」というのはあるよね?


DJ松永:全体を100と考えると、俺は真ん中から3ぐらいドンキの方に寄ってるかも。


R-指定:俺は松永さんよりもうちょっとドンキ寄りかな。自分でラップをはじめるぐらいなんで、いかついカルチャーに対する憧れも強いし。


――R-指定さんも松永さんも、ギャングスタ・ラップが好きですよね。


R-指定:大好きですよ。ギャングスタや不良の人のラップってホンマに面白くて、カッコいい。自分をさらけ出すような生きざまにぐっとくる。でも、そこに入れなかったときに、文系を隠れ蓑にして「DQNだ」って言うのは違うよなって。もちろん、俺らはどっちの文化にも触れることができたから、こう考えるんだと思うんですけどね。どっちかの文化圏にしかいないまま世の中に認められたら、そのまま調子に乗ってしまう気持ちも分からなくはないし。この曲では、自分たちの立ち位置ぐらいは表明しておこうと思ったんです。


――2人の場合、ギャングスタ・ラップにも通じる「自分をさらけだすこと」を正直にやると、自然と「どっちでもない」という選択肢に辿りつくということですか。


R-指定:まさにそうです。俺らは冗談半分で「俺らって日本で一番ヒップホップやな」という話をするんですけど、それは自分たち自身をリアルに語っているという意味なんで(笑)。


DJ松永:痛みの形が違うだけで、フラストレーションをリアルに書いてますからね。


■自分たちが道化だということを自覚してる(DJ松永)


――SNSを題材にした3曲目の「教祖誕生」にも、「どっち」に似たテーマを感じます。


R-指定:そうですね。というか、今回の作品はどの曲も繋がっているんですよ。この5曲の主人公は自分でもあるし、仮に主人公を立てると「自分は主役じゃない」と思っている「助演男優賞」の男の話で。そいつはドンキにもヴィレバンにも振り切れられないし、そういう風に分けたくもない。でも、そういう人が陥りがちなこととして、両方を分析して「俺は分かってる」という立ち位置で両方を見下して攻撃するってのがあるんですが。俺はそういうことが、特にSNSやネット上に多いと思っていて。それが「教祖誕生」の主人公です。1曲目から順番に、ある人間の思考の流れになっているんですよ。俺らはラップ/DJという表現があったから、「俺らはどっちでもない」と表現できて、ドンキの人ともヴィレバンの人ともラップや音楽で戦える。でも、もし俺に表現できるものがなかったら、もしかしたらネット評論家になっていたかも、という可能性は捨てきれないじゃないですか。だから、「どっちでもない」と言いつつ、ネットのやつらもやっぱり嫌いにはなれないんです。でも、俺たち自身、ネットの攻撃にさらされているんですけどね。


――なるほど。「どっち」での振り分けの話を経て、さらに話題が進んでいるんですね。


R-指定:ヒップホップってフィジカルな音楽で、現場に出て自分の技術で勝負していく表現じゃないですか? だから、口だけ偉そうなやつって一番嫌われるんです。よくラッパーの人たちがネット民を「遠いところか石を投げて、何かあれば匿名性を利用して隠れる」と批判しますけど、俺らも完全に同意で。ただ、俺らが同じように攻撃をするのは違うと思うんですよね。ドンキにもサブカルに振り切れられなかった俺たちだからこそ、そういう人たちの気持ちも想像できるし、そこに寄り添ってみようと思ったんです。


――Creepy Nutsの2人は世の中をバッサリ切っても、全然嫌な感じがしないですよね。


DJ松永:僕らは、自分たちが道化だということを自覚してるので。そもそも、全然まっとうな人間じゃないですしね。


R-指定:自分のことを棚に上げて偉そうなことを言っても、「お前はどうやねん」って言われたら「うん、確かに俺も……」ってなる。でも、みんなそのぐらいでいいと思うんですよ。そうやって笑えるぐらいがいい。たとえば松永さんが『オールナイトニッポンR』で「Twitterで『寝る』ってツイートするやつは死ぬほどダサい」って言ってたら、自分もそんなツイートをしてることがバレて「すいません」と謝る、というのも同じことで(笑)。


DJ松永:「就☆寝」ってツイートしてて、つのだ☆ひろみたいになってたよね(笑)。


R-指定:芸能人のスキャンダルもそうですけど、今ってどんどんいい加減さを許さない社会になっていると思うんですよ。俺たちも「助演男優賞」のMVで色んな芸能界の出来事を皮肉ってますけど、あれはああいう事件自体がダメと言ってるわけではないんです。あのMVはむしろ、さっきまでもてはやしてたのに、何かあったら全員で二度と浮かび上がれなくなるくらい石を投げるという、今の世の中の風潮を皮肉っているんです。


DJ松永:全然自分に関係ない人間の不倫や浮気に、よくそんな怒れるよなと。普段からその人にどんな期待を掛けてたのかな? そもそも、そんな糾弾が出来るほど、お前は清廉潔白な人間なのかなと。


R-指定:もちろんやってはいけないことはあるけど、「冗談で済むやろ、もうちょっと」っていうことも多いと思うんです。「そんなに人のセックスに腹立ちますか?」って(笑)。


――それにしても、ここまでの3曲を聴いても、Creepy Nutsのトラックからはトレンドを過度には意識しないという雰囲気が感じられますね。


DJ松永:そうですね。俺らの場合、「逆にそこを一切意識しない」という意思なんです。


――だからこそ、トラップが流行っても、そこだけに焦点を絞るようなことはしない、と。


R-指定:そうです。それこそ「教祖誕生」にはトラップっぽい要素が入っていますけど、同時にそれだけではない雰囲気になっている。というのも、俺がラッパーを仕事にしようと思い始めた頃はアメリカっぽいラップの全盛期で、日本語を英語みたいな発音に崩したり、アメリカっぽいトラックを持ち込んだりするのが主流だったんです。でも、俺は日本語をはっきり発音するタイプだし、話す内容も日本人丸出しなんで、それがすごくコンプレックスだったんですよ。その後、松永さんと一緒になるようになってやっと、「これが自分たちの色やな」と思えたというか。だから、意識的にそこを押し出している部分はありますね。俺らの音楽ってオシャレではないですけど、「それでいいか。それが自分たちや」って。


DJ松永:オシャレな人たちは沢山いるからね。それに、「教祖誕生」の2ヴァース目をトラップにしたのは、曲の主人公の心情の変化を表現するためなんです。2ヴァース目では、主人公がネットで色んな人を攻撃しますけど、その雰囲気を伝えるための演出ですね。キレッキレの様子を表わすために、トラップの雰囲気を使ったということなんです。


R-指定:やっぱり、トラップって極端に「言い切る」ラップじゃないですか? 「教祖誕生」の主人公も最初はウジウジ悩んでいますけど、2ヴァース目では完全にスイッチが入って攻撃しまくる人格になっていくんで、その感じをトラップっぽいラップで表現しました。


―― 一方、4曲目の「朝焼け」は、トラックも歌詞も全然アッパーではなくて、前作『たりないふたり』にはなかったタイプの曲になっています。


DJ松永:そうですね。もちろん、自分たちのそれぞれのソロではあった要素ですけど。


R-指定:前作では、自己紹介をするために意図的に疾走感のあるトラックを揃えたんです。でも、今回はより生々しいテーマがあって、コンセプチュアルな作品だし、こういう曲も全体のストーリーにも合うと思って。「朝焼け」は、ここまでの3曲に出てきた主人公が次は自分を見つめ直して、「やっぱり俺は何者でもないな」と気付く曲ですね。俺自身のラップ人生もそうだったんですよ。何者にもなれない学生時代を経て、ラップを見つけて、昔はただ人を攻撃するようなラップやバトルばかりしていて。でもあるとき「自分のことを話してる曲が全然ないな」と気づいたんです。「皮肉を言ってるだけで、自分のことも弱点も何も見せてない。それって何も言ってないのと同じなんじゃないか」って。そう思ったときにこの曲のような心境になって、それからはバトルでもただ攻撃するだけではなく「俺はこれに人生を賭けてる」と言えるようになったし、ライブでも「命がけでやるからお前らも楽しめ!!」って言えるようになった。「自分はたりない人間だ」と認められるようになったんです。それに気付いてから、全国大会のフリースタイル・バトルで優勝できたんですよ。


DJ松永:その変化って本当にでかいよね。そこに気付かなかったら、『たりないふたり』も含めて、Creepy Nutsの曲は全部出来てなかったかもしれない。


R-指定:そのとき初めて、自分のラップに血が通って、自分のラップが生き物になったのを感じたんです。だから、これは俺だけの話ではなくて、どっちつかずで迷ったり、ただ他人を攻撃してたりするだけのやつも、そこを乗り越えられたらそいつの人生の主人公になれるということで。俺自身も、そうやって自分の人生の主人公になれたんですよ。


DJ松永:トラックは耐久力のあるループが出来たんで、ギター1本とマイク1本で作るぐらいの感じにしました。Creepy Nutsでは音数の多いトラックばかり作っていたんで、こういうものも入れようとずっと思っていたんですよ。自分がソロでサイプレス上野さんとやった「はじまりのメロディー」に近い感じですね。あれはフラワーカンパニーズの「エンドロール」を聴いて思いついた構成の上で、サイプレス上野さんがラップ人生を語る曲を作りました。最初はそれっぽくしようと思ったんですけど、なんか違う気がして、最終的には2ヴァースに分ける構成にしました。


R-指定:このトラックも、作品の流れとして必要なものだったんです。「教祖誕生」と「未来予想図」を繋ぐ曲。(フリースタイル・バトルが盛り上がっている現状と、そのブームが終わった後のことが描かれる)「未来予想図」は完全に自分たちの主観の曲なんで、「教祖誕生」の客観性のある物語から、どうやって主観の物語に繋げるかを考えました。


――その「未来予想図」では、最初のヴァースでフリースタイル・ブームはいつか終わるということが語られますが、R-指定さんは今の状況をかなり冷静に見ているんですね。


R-指定:「俺らの時代きたぞ。よっしゃ!」みたいな感じは全然ないですよ。このままブームが続くわけがないし、俺はそもそも、「TV的ないじられ方になるやろうな」と思って、最初は『フリースタイルダンジョン』に出ることすら迷ったんです。でも、他のやつが出ていじられるぐらいだったら、「自分が出て最高得点のパフォーマンスをして、フリースタイルのすごさを見せたい」「ラップの奥深さを説明したい」と思ったんです。そんな風にヒップホップの魅力が伝わる形なら、俺はどんどん出ていきたいと思っていて。そのために出る仕事も選ぶし、去年もかなりの数の仕事を断りました。でも、自分では気を付けているつもりでも、ブームが終わったとき「お前らが変なブームを作った」と一番の戦犯にされるのは、たぶん俺なんですよね。俺はフリースタイル・バトルが日の目を浴びない頃からずっとやってきて、今も続けているだけなんですけど。俺らの本分は「いいラップをしていい曲を作って、ブームが去っても続けまっせ」ということなんで、「未来予想図」はその所信表明です。


――具体的には、どんな風に曲の構成を考えていったんですか?


R-指定:最初の1ヴァース目は、ブームが終わった時に起こりそうな事や、言われそうな事を書いた文字通り予想図です。そこから、2ヴァース目、3ヴァース目ではその後自分はどうしていくのかをラップしようと思ったんですけど、いい切り口が見つからなかったんですよ。そんなときにCreepy Nutsとして大阪でライブがあって、そのライブ後に、俺がずっと昔から一緒にラップをしてきた梅田サイファーの仲間たちが夜中にやってるイベントに向かったんです。そうしたら、身内しかいないほんまに小さいハコで、ブームなんて全然関係なく、めちゃくちゃ楽しそうに「ここのラインが最高やな」って皆でゲラゲラ笑ってる姿に、改めて「こいつらかっこいいな」と思って。その夜を経験したことで、後半のヴァースを書きました。あのとき、「半径数メートルのことしか歌ってないけど、こいつらはほんまにかっこいい。それでよかったんやな」って思ったんです。結局俺は、そういう周りの仲間に支えられてきたんですよね。「不良になれなかった」ってずっと言ってきたけど、昔不良マンガに書かれてたことって意外に間違ってなかった。結局は「地元」と「仲間」と「絆」が大事で、「もうそれでいいやん」っていう。もちろん、オシャレサブカルは別にして、真のサブカルも芯を食ってると思いますけどね。真のサブカルと真のドンキは根っこで繋がっている……(笑)。とにかく、愛情と絆と仲間があればいいよなという、シンプルな話だと気付いたんです。


■たりないままでいいと思ってる(R-指定)


――そうなってくると、Creepy Nutsという『たりないふたり』は、「実はたりていたのかもしれない」という話になってきませんか?


R-指定:そこなんですよ(笑)。それはこれから俺たちが曲でどんな答えを出していくかということですね。俺たちの言う「たりない」というのは、他人から見て「たりない」と思われる部分のことで、ほんまに足りてないといけないところは「足りてるかもな」とはたまに思うんです。少なくとも、俺たちは自分の好きな音楽と仲間は「たりてる」。でも、社会的なアレコレが「たりてない」。


DJ松永:「ウェーイ!」も出来ない人間だしね。


R-指定:まぁでも、その元ネタになった山里さんと若林さんも、たぶんたりないままでいいと思ってるはずなんですよ。俺らもそれでいいんです。ただ、「人が羨むようなものは何もないですよ」ということで。そもそも、SNSで全部満ち足りた生活を送っているようにふるまっている人ほど、本当は寂しいと思うんですよ。周りが羨む要素で自分を固めたって、それは記号でしかないし、たりない部分がいっぱいある人が、何かひとつ絶対的にたりてるものを手に入れることだってあると思うし。……と言いつつも、松永さんはよくご飯の写真を撮ってるんですけどね。俺はあれ、認めてないからな(笑)。


DJ松永:でもさ、俺がそれをSNSに上げてるのって見たことある? 実は全然上げてないんだよ。


R-指定:えっ、じゃあ何で撮ってるの?


DJ松永:それは……楽しい雰囲気を演出しようと思って。


R-指定:何やそれ(笑)。俺らが楽しいと思えることって、好きな曲をかけたり、仲間と朝まで喋ったり、本当に無駄なことばっかりなんですよ。だから、「無駄だ」と切り捨てられていくものを、ずっと忘れたくない。たとえば、山里(亮太)さんのラジオ番組『不毛な議論』って、最高なタイトルですよね。俺らが友達と喋ってることも何の生産性もないことばかりですけど、だからこそ、その時間が大切だと思うんです。「朝までずっと話してたけど、結局何も残ってないな」っていうのが、俺は一番贅沢なことだと思ってるんで。


DJ松永:だから、それを「面白いもの」に昇華して、みんなに楽しんでもらいたいですね。音楽って娯楽だと思うんで、それで息が詰まるなんてたまったもんじゃないですよ。