F1の新オーナーとなったリバティ・メディアが上層部の体制を変更、バーニー・エクレストンがCEOのポジションから退いた。約40年にわたってF1の商業面を取り仕切ってきた後についに実権を失ったエクレストンは、今後「ヒーロー」として記憶されるのか、それとも「悪党」として記憶されるのか。英AUTOSPORTの執筆人がそれぞれの考えを記した。
第1回の「悪党」編に続き、今回は「ヒーロー」派の意見を紹介する。
■プーチン大統領に電話ができる人間が他にどこにいる?
ゲイリー・アンダーソン(ジョーダンやスチュワートの元デザイナーで、現在英AUTOSPORTのテクニカルエキスパートを務める)
私にとってモータースポーツ業界での最初のボスはバーニー・エクレストンだった。当時、彼はブラバムのチームオーナーだった。そして私にとっての最後のボスもバーニーだった。私が2014年にFOMで仕事をしていた時のことだ。つまり、私は彼が築き上げてきたさまざまな変化を経験してきたわけだ。
1990年代初頭、ケン・ティレルがミーティングで放った言葉を、私は忘れたことがない。その時、バーニーがどれだけの金を分配し、どれだけの金を自分のものにしているのかについて、誰もが不満を抱いていた。しかしティレルは、「私が自力で稼いだ場合に手に入っただろう金額の10倍をバーニーが腹を立てることもなく支払ってくれている」と指摘した。そして、それはまごうことなき事実だった。
F1を“売れる商品”に変えた功労者
バーニー登場以前のF1は、多くの独立系チームがそれぞれに仕事をしているだけの世界だった。彼はそれを、誰もが知るチームやドライバーが存在する、「売れるもの」へと変えていった。彼がいなければF1はサーカスにはならなかったし、サーキットやテレビ局、世界中のファンに売れる商品には絶対にならなかっただろう。けれども、当時のチームボスはもはや残っておらず、今日のボスたちは、バーニーがどのようにしてパズルのピースを組み合わせていったかなど知りもしない。
この10年間、バーニーが以前ほど優れた仕事をしていないのは確かだが、それが彼が他を支配しきれなくなった時期であるのは偶然ではない。決断ができる独裁者は必要な存在なのに、チームは委員会による運営という、F1にとっては悲惨な決定を下してしまった。
バーニーは方向性を決め、結果を出すために必要なことをする。それがコストのかかるものであるか、金儲けにつながるものかに関係なくだ。
正直な相手には常に誠実に接した
個人的にバーニーを知る立場で言えば、彼を金だけの男として見るのは間違っている。ブラバムでの勝利か、はたまた金儲けかにかかわらず、彼が成功を求める気持ちに駆られてきたのは確かだ。そして一日が良い日だったのか悪い日だったのかを、そういう視点で判断する。
ともに働くには難しい男だが、正直で、自分の発言を翻すことはない。こちらも誠実でいる限り、いつだって時間を作ってくれる。いつでもドアをノックして、話をすることができた。最高の嘘よりも最悪の真実を求める姿勢は、変わることがなかった。それゆえにF1の方向性は、彼に委ねられていたのだ。
バーニーの後任を務めるのは簡単ではないだろう。ロシアGPに関して解決すべき問題が起きたときに、ウラジーミル・プーチン大統領にいったい誰が電話をするのか? チェイス・キャリーか? それは無理だと思う。
そういうケースに出くわしたとき、人々は初めて、バーニーの影響力の大きさに気づくことになるだろう。
■バーニーがいなければ、F1はアダムとイブの時代よりも立ち遅れていた
エド・ストロー(英AUTOSPORT編集長)
グランプリにレースの様式と、構造と、世界的な確固たる地位を与え、途方もない野望をかなえたという点から見れば、エクレストンはヒーローだ。
しかしまた別の視点に立ってみると、彼はチャンピオンシップの商業権を売り、長期的なリターンと安定よりも短期的な利益を優先するという現在の環境を構築した、元凶であるとも言える。
バーニーのおかげでF1が近代化し、ファンが増大した
1970年代、エクレストンが権力を握り始めたころのグランプリレースは無秩序な状態だった。プロモーターのような中心的存在になる能力を持つ者も、それに関心を持つ者も、彼の他には誰もいなかったし、関係者らは少しの分け前と秩序を引き換えに、彼に下働きをさせて満足していた。
エクレストンがいなければ、今のような近代的なF1は存在しなかっただろう。これをモータースポーツ全体における損害だと主張する者も多いし、他のカテゴリーの成長を妨害したことを無視するべきではない。けれども同時に、エクレストンはF1を近代スポーツの世界へと送り込んだ。まだ他のスポーツがその必要性を理解してもいない時に、モータースポーツに先導者を与えたのだ。F1がこの変化を遂げていなければ、何百万人もの人々が永遠にモータースポーツに触れることがなかっただろう。
責めるべき点より功績の方がずっと多い
ではエクレストンは、どういった人物として記憶されていくのだろうか。近代F1を構築したという意味では、ヒーローだ。後年、金のなる木から搾取しまくり、F1の長期的存続が危ぶまれる状況を招いたという意味では、悪党だ。1978年にシド・ワトキンス博士をF1公式レースドクターに起用し、ドライバーの安全面向上を促進したという功績を考えれば、ヒーローだ。F1の商業権を売るという行動を見れば、悪党だ。
リストならいくらでも作れる。確かに彼は公式には話すべきではないことを話したがる傾向にあるが、悪党とする理由よりヒーローと考えるべき理由の方が多いことに、誰もがすぐに気付くはずだ。
我々の誰もがそうであるように、エクレストンもまた、両極のスペクトラムのどこかに位置する。だが彼は真の悪党というよりは、ヒーローに近いところにいる。
彼が犯した最大の間違いは、この世界に長くい続けたことだったかもしれない。持続可能性と、ソーシャルメディアと、社会的良心が大きな意味を持つ現代において、彼の「良い仕事」の多くが成されないままであるということに、驚くべきではない。
彼が行ってきた貢献はポジティブな部分が大半を占めており、この部分こそ評価されるべきだ。彼を嫌う人たちにしてみれば不愉快な話だろうが、この40年間にバーニーが存在していなければ、F1はアダムとイブの時代のエデンの園よりも未開の地であったに違いない。それが事実なのだ。