僕は、高校時代に友達が本当に出来なかった。中学時代から一緒だった同級生とは仲が良かったけど、高校で出会った新しい友人なんて、数えるほどしかいなかったし、彼らは徐々に退学してしまい、結局行方も知れない。
だから僕はぼっちだったと思う。いじめにこそ遭わなかったけど、存在が希薄だったし、周囲の同級生とは話もそんなに合わなかった。
そういう高校生活だったので、何か楽しいことをやろうと思ったら、小・中学校からの友達の家に遊びに行くか、ネットもそんなに普及していない時代のことだし、1人で出来る娯楽ばかりしていた。
たとえばゲームだと、全アイテムを集めるとかいう無駄にも程があるやり込みを延々やっていた。また、深夜ラジオを聴いて夜更かしをすることも多かった。総じて地味で根暗な学生時代だった。(文:松本ミゾレ)
ぼっちはみんな行動が似通っている? ラジオで孤独を癒やしていたという人も
先日、匿名掲示板「2ちゃんねる」に「ネットもなかった時代、「ぼっち」はどうやって孤独を紛らわせていたんだろう」という疑問が呈されていた。これに対し、まだまだインターネットが身近ではなかった頃にぼっちだった人たちからのアンサーがいくつか寄せられている。
少し紹介していきたい。
「ゲーセン通ってたね。あとテレビとかゲームとかラジオとか長電話とか」
「一本のゲームめっちゃ大事にやってたな」
「孤独を埋める相棒はラジオ、漫画、ゲームだった」
たとえば漫画なら、一冊を何度も読み込んだり、ゲームだって何度もクリアする。そういうことって、以前は珍しくなかったように感じる。
特に僕がぼっち高校生だった2001~2003年って、やっと携帯にカメラが搭載されて、着メロが32和音とかの時代だったし、まだネットにアクセスするよりも、漫画とかゲームの方が身近だった。僕もそうだったけど、ぼっちってやることなすこと結構似通ってくるものなんだろうか。
ネタバレの心配がないからゲームのやり込みも今より楽しかった
2ちゃんねるのスレッドの引用ばかりというのも味気ない気がしたので、知人のライター、編集者仲間に、LINEで「お前昔ぼっちだったろ」という具合に話を振ってみた。
すると大抵既読スルーされたんだけど、中には実際にネット普及以前にぼっちだったという者もいたので、どんな過ごし方をしていたのか、電話で話を聞いた。
まずは、90年代後半に青春時代を送っていたぼっちの話。
「ガンダムが好きだったから、登場するモビルスーツの図鑑とか買って、カタログスペックを暗記したり、装甲材に何が使われているかまで覚えるほど読み込んだ。それから、『女神転生』が好きだったから、延々自室に篭ってそればっかりプレイしていたよ」
このぼっち、自分の部屋がやや広かったこともあって、大きな本棚を買ってきては、集めた本やゲームカセット、プラモデルをたくさん並べていたそうだ。自分の興味のある書籍がズラッと並んでいるのを見ているだけで、気分はワクワクしてきたということだが、その気持ちは僕もなんとなく理解できる。
次に、現在ほぼ無職で、たまに記事を書いたり、取材に行ったりして食いつないでいる人にも話を聞いてみた。
「ゲームだよゲーム。セガサターン、ドリームキャスト。セガのゲームが大好きで、たくさんソフトを買ってきては、寝食も忘れてプレイしてたな。今みたくネットに攻略情報とかも載ってないから、どうしてもクリアできないとか、隠し要素が知りたいと思ったら攻略本を買ったりしてたな。何冊か手元に残っているけど、全ページに攻略情報の捕捉を自分で書き込んでて、今でもたまに読み返してはニヤニヤしちゃうね」
おお、古き良き、ぼっちオタクという感じで、なかなか素晴らしい趣を感じる。思い返してみれば、ネットがないというだけの話で、ぼっちだろうと娯楽はそれなりに多かったように思える。
攻略wikiのないゲームを手探りでやるのは楽しいものだし、誰かにネタバレをされる心配もないから、映画や漫画も先々を予想して楽しめた。娯楽に没入できる割合は、もしかするとネットが普及する以前の方が大きかったのかも知れない。
知りたいとき、気になった物事をすぐに調べることができるのはネットの大きな利点だけど、それがないということは、決して悪いことではなかった。ネットがないからこそ、ぼっちは孤独の中にあっても、何か1つ2つのコンテンツに、大いに没入できた側面はあったんじゃないだろうか。