2017年01月29日 06:02 リアルサウンド
ぼくのりりっくのぼうよみが1月25日、2ndアルバム『Noah’s Ark』をリリースした。タイトルからも分かるように、旧約聖書の「ノアの方舟」のエピソードに着想を得たという本作は、現代における“地上の堕落”とその救済をテーマとしている。と同時に、作品中では“ぼくりり”史上もっとも色彩豊かでポップなサウンドが鳴っており、そのテーマの重さとは裏腹に、不思議な明るさと爽快さを持つアルバムでもある。ヒップホップ、エレクトロ、ラテンジャズまで網羅したサウンドで、彼はどんな世界を描こうとしたのか。作品づくりの前提となる“現代をどう捉えるか?”といった話から、実際の創作プロセスまでじっくりと話を聞いた。
・メッセージや物語を伝えるうえで大事なのは、カメラの移動
ーー新作『Noah’s Ark』は、想像以上にコンセプチュアルで練り込まれた作品です。前作『hollow world』が粒立った曲の集合体だったとすると、今作は大きなテーマのもとで楽曲が集められている。
ぼくのりりっくのぼうよみ(以下、ぼくりり):そうですね。『Noah’s Ark』っていうタイトル自体も、「ノアの方舟」という聖書のエピソードから取っています。現代でノアの方舟の話が再現されているんじゃかな……というところから始まって。『ディストピア』のインタビューの時も、情報とどう向き合うか、みたいな話もしましたよね。
ーー自分たちは情報の洪水の中にあり、それを強く肯定するわけでも否定するわけでもなく、ギリギリのところにいることに自覚的でありたいという。
ぼくりり:それをもうちょっと深く掘り下げたというか。今回はアルバム1枚でノアの方舟のエピソードを再現するみたいなかたちをとっていますね。1から8曲目までが1部で、9曲目が2部で、最後の曲が第3部という頭でっかちの3部構成なんですけど(笑)。最初の8曲ではいろんな人々が堕落する中で、聖書のノアさんみたいな真面目にけっこう頑張ってる人もいるぞ、みたいな。いろんな話が入っているっていうのが1~8曲で、9曲目の「Noah’s Ark」で実際洪水が起きて選別が行われるぞ、と。10曲目がその後っていう構成になっています。
ーー今作では、曲ごとでいろんな立場から「洪水」を観ていくという構成になっていますね。
ぼくりり:メッセージや物語を伝えるうえですごく大事なのは、カメラの移動だと思っていて。1人称的な目線でガーッといっている曲もあれば、3人称的なところから俯瞰して「状況はこうなっています」という曲もある。9曲目の「Noah’s Ark」とかはそういう傾向が強いですね。ただ、第3者目線から「こういう状態です」「お伝えしています」「現場はこうです」みたいな、そういう曲だけだとあんまり、具体性をもって自分の中に取り込めない。わかるけど、実感としては認識できないみたいなところがあるなと思って。その点、1人称で自分の目線で書いた曲があるとみんなも受け入れやすいし、感情移入しやすいかなと。そういう意味では「Be Noble」はすごい1人称的な曲ですね。
ーー「Be Noble」では「前に進む」というフレーズもあります。
ぼくりり:この曲の人は、結構がんばろうっていうタイプの人なんで。
ーーそして「shadow」以降の曲ではカメラがグッと引いて、混乱した今の状況っていうのがディープに、いろんな角度で描写されていきます。
ぼくりり:「情報の洪水が」もそうなんですけど、その他にもいろんな原因によって、多くの人は「クオリア」を失って、哲学的ゾンビになっちゃっているなって思っていて。で、その中で感情に支配されちゃうっていうのがすごい大きいなと。感情と意志ってわりと一緒にされがちな気がするんですけど、実は全然違うと思うんです。例えば「shadow」は、デキ婚の歌なんですけど(笑)。
ーーそこまでは読み取れなかった(笑)。
ぼくりり:知り合いのエピソードを参考にしました(笑)。一瞬の衝動、刹那的な感情に全部身を委ねてしまうみたいなものを描こうと思って。刹那的な感情に流されるというのは、意志の強さが働いていないことでもある。「Newspeak」だと「言葉がどんどん少なくなっていって思考が制限されてしまうよ」みたいな。全部「ヤバイ」とか「ウケる」しかなくなって、最初はいろんな感情を一言で表せる便利な言葉だったはずが、気付いたらその言葉しかなくて、伴う意志がなくなってしまっている。
ーー「感情と意志は違うものだ」という話、もう少し詳しく聞かせてもらえますか。
ぼくりり:ポスト・トゥルースという有名な言葉があって、感情で何かを判断しちゃう、そこに意志とか理性が絡む余地がないっていう。人間って感情に負けすぎ問題みたいなところがあって、ニュースとかの真実はどうあれ、自分が望むストーリーや感動しそうなものを望んで受け入れちゃうみたいな。例えば、この前もトランプが会見でニュースサイトか何かに文句を言うみたいなのがあったじゃないですか。で、Twitter上で「トランプがすごい良い感じのこと言ったぞ」みたいな文章が出回っているんですけど。それもまた本当のことじゃないというか、本当のことを切り取った姿にすぎなくて「トランプが悪者っぽくされていたけど、実はメディアが悪者だったんだ」っていう構図がみんな好きだから、そういうふうに加工して切り取るとみんながシェアしてくれるぞと。本当の姿というよりは、単にみんなが見たい姿が広がっていく姿勢とか、そういうところがまさにポスト・トゥルース的だなと思うんです。そういうときって人間の感情が何もかもに先行していて、そういう状態って意志がないんじゃないかな。自分が喜ぶとか、嬉しいとか、感情を一番に優先してそういうのになってしまうのは、なんかあれだなって。
ーー感情と意志との関係については、オウンドメディアにおける落合陽一さんとの対談が面白かったですね。「自由意志」について議論する中で、落合さんは機械と人間が融合していけば、意志のあり方もこれまでとは違うものになっていくだろうという立場。自由意志を重視する、ぼくりりの立場との違いが出ていて、議論として読み応えがありました。
ぼくりり:あの対談で自分の中で、「意志」の定義がアップデートされましたね。落合さんの「自分の文脈を確立することが大事だよ」という話は、本当にそうだなって思って。たとえば、カーナビに行きたいところを入力して、ナビに従って運転している人間って、ある種機械なんじゃないかという意見があるけど、それはそうかなと思う。でも、目的地の入力をちゃんと自分でしていたらいいんじゃないかなというふうに思っていて。
ーー「ここに行きたい」という意志?
ぼくりり:そうです。「ここに行きたい」っていうのをちゃんと自分で決めて、それに則って動いているときの人に「自由意志」って宿ってるんじゃないかなと決めました(笑)。
・テクノロジーは良い悪いとかじゃない
ーー今回の作品で言うと、世界中の全員で同じ意志をもって方舟に乗っていくのか、それとも、ある程度コミュニケーションできてわかり合える人たちと方舟に乗っていくのか。
ぼくりり:今ある問題に対しての答えは1つじゃないと思いますし、今僕がやっていることが正解かどうかすらもわからないですよね。なので、「これが正解だ」みたいなのではなくて、「僕はこう思うんですけど、どうなんですかね?」みたいな感じで、みんなに「これはそう思います」とか「違うと思います」とむしろ教えてほしいーーくらいな感じでやっています。
ーー「これだけが答えじゃない」って、『hollow world』の頃から一貫していますよね。
ぼくりり:単純に人に強制するのが嫌いというか苦手なので。
ーーそこをどんな音楽に乗せていくか、どんな音楽として表現していくか。今作では、先日のクアトロライブにも出ていた、におさんがキーマンになっていて。
ぼくりり:今回はにおさん、雲のすみかさん、と本当にジャンルが違う曲が大量に入っています。例えば「Be Noble」ってジャンルは何になるんだろう? ドラムンベースかな。「在り処」はレゲエぽい感じがあるーーそういういろんなジャンルが入っている。これは裏テーマであるんですけど、ノアの方舟のエピソードって、いろんな動物のつがいを入れてたってあるじゃないですか。犬とか羊とかうさぎとか。このアルバムも、ノアの方舟にいろんな種類の生き物を1種類ずつ乗せて保存したっていうのと一緒でいろんなジャンルの曲が一つずつ入っているんです。
ーーなるほど。今作は言葉だけ取り出してみると「出口なし」みたいなギリギリの感じなのですがーー。
ぼくりり:終焉! 終わり!
ーー歌詞の世界をダイレクトに音楽にしたら、『ギギギ、ガガガ』っていうノイズ的表現になるかもしれない。でも、今作のサウンドはあくまでも心地よくて、楽しいものでもある。
ぼくりり:音楽には2つの役割があると思っていて。メッセージを伝えるための媒体、メガホンの役割もありつつ、単純に「音としていいぞ」とか「気持ちいいぞ」「聴きたいな」って思わせるっていう部分も大きいと思うんです。繰り返し聴かせることで、刷り込みが何回もできるっていうのも音楽の強いところ。なので、音だけで、例えば歌詞が全部「あー」とか「いー」とか、母音だけになったとしても成立するような感じでは作っていますね。
ーーもう一つ、音楽ってある意味で感情に作用するものでしょう? その中で、例えば音楽を通して意志を表現したりすることって、どういうふうに捉えているのかなと。
ぼくりり:音は感情を表し、意志は歌詞に全部委ねられる、というふうに役割分担が明確にされていると思っています。もちろん歌詞がもつメロディっていうのもあって、言葉自体にも音としての気持ちよさが宿っていると思うんですけど。そこの部分はありつつ、意味を伝えて思考を共有するのは言葉。曲の中ではどちらの部分も共有しつつやっているなっていう感じです。
ーー言葉といえば、「liar」では本格的にラップをやってますね。
ぼくりり:「やっとラップ始めたんだ、この人」みたいな(笑)。これは自分になぞらえて作った曲でもあって。例えば<気を許せばmonthlyで終わる泡沫>とか、わりと音楽業界に歌っている感もありますし、僕自身、「このまま全然売れなくて路頭に迷うんじゃないか」って思う時期もあって、そのときのネガティブな感情もガッツリ出ているような気はします。周りが全員敵に見えてくるんですよ。でも「なんで自分は疑っちゃうんだろう」って思ったら、自分がないから他人が怖くなるんだなって。
ーー<恐れは全部自分に起因する>というフレーズもありますね。
ぼくりり:『賭博黙示録カイジ』の心理バトルの中で、主人公のカイジが相手を騙すというより、相手を騙したフリをして勝つ、というエピソードがあるんです。ズルしているように見せて、実はズルしていない。相手からしたら「この場面で自分は絶対ズルするから、相手も絶対してるだろう」と考えるから、その逆をつく。「(人を疑う)蛇でいてくれてありがとう」みたいなセリフがあって、熱いなと。
ーー人は相手に自分の感情を投影しがちだと。
ぼくりり:自分以外を疑って、ずっと負のループを漂い続ける感じですね。自分のことを他人のせいにし続けて、どんどん勝手に沈んでいくっていうのが、すごくカルマぽいなっていう感じがしていて。
ーーそして、洪水を表現した9曲目の「Noah’s Ark」につながっていくんですね。
ぼくりり:第2部が。大洪水が来ちゃったよ、みたいな。
ーー<ゾンビの群れ 眠れ>というフレーズから始まって。
ぼくりり:「眠れ」っていうのは、要は自分の意思を眠らせること。何も見ないことにして、感情に全部委ねちゃうみたいな。これは本当に映画みたいな曲を作ろうと思って。洪水が来て、ノアの方舟もきていてるのに救われない。「舟だ、舟だ、舟だ、やったー!」と思ったら扉が閉まった、みたいな。すごく残酷な1シーンなんですけど。
ーー「after that」は、大洪水以降っていうことですね。このトラックを作ったのは、ジャズ系音楽家のニコラ・コンテで。
ぼくりり:YouTubeで聴いていいなと思って、スタッフに聞いてみたら「来日公演もやるらしいよ」って。そこに行かせてもらって、直接ライブ見た後に「アイラブユアミュージック!」「やってくれよ」みたいな。
ーーこの曲はラテン・ジャズ的なサウンドで、どこか楽園的でもあります。
ぼくりり:最初はもっとガッツリ暗い曲やろうと思っていたんですけど。送ってくれたデモがめっちゃよかったんです。アルバムの構成は最初の段階で考えていたので、トラックをもらったときに「これは『after that』だな」と決めました。
ーーある種の楽園的な世界で、人々の意志というのはどういうふうに働くのでしょう?
ぼくりり:ファーストの「sub/objective」のカウンターになるというか。「sub/objective」は「ガッツリ人の目を気にして生きているぞ」っていう曲なので、セカンドの終わりでは「失敗したところで、もう誰も気にしなくなったぞ」みたいな。そうした変化後の世界を描いている感じはありますね。
ーーやり直せる、というメッセージもありそうです。
ぼくりり:そうですね。テクノロジーを含めて、目まぐるしく変わっていく世界でどうやって生きていったらいいのか。それに対して、自分が思うことを書いてみた感じです。
ーーテクノロジーを人間の意志を奪うものと捉える立場もありますよね。それについてはどう思いますか?
ぼくりり:AIが仕事を奪う、とかね。曲にも書いているんですけど、テクノロジーは良い悪いとかじゃなくて、ただ便利なほうに進化していくだけ。それに対して文句言っていても止められないじゃないですか。当たり前のように僕たちの生活にシュッて入ってきて、いつのまにか支配しているものなので、それはもう便利に使うしかない。その上で意志の問題を考えたいんですよね。
・話していて楽しいって思える人を引っ張れる作品を
ーー今、たとえばオウンドメディアを始めたりと、情報発信を始めた意図とは。
ぼくりり:テレビとかでは「この人はこういうキャラとしてみんなが認識して扱おう」みたいな共通認識、台本みたいなものがあると思っていて。そうじゃないものを作りたいなと。ただただ自分で思っていることとか、聞きたいことをそのまま聞いて、そのまま発信するっていうのがやりたくて、今回やり始めました。
ーーデビューして1年ちょっと、ご自身も型にはめたようなアプローチを感じることはありました?
ぼくりり:いっぱいありました。それは仕事だからしょうがないなと思いつつ、今やってるメディアは、どちらかというと仕事じゃないというか。もちろんお金をもらってやっているので責任はあるんですけど「自分がやりたいことを思いっきりやるぞ」っていうのがメインでやっているので楽しいですね。
ーーさっきも話しましたけど、落合陽一さんとの対話は、アーティストの公式メディアとしては異例の緊張感もあって面白かった。
ぼくりり:完全に同じ立場ではなかったので。だからこそ面白いなと思って。
ーー今回のアルバムもそうですが、自分と違う立場とか考えの人に対して向き合っている印象があります。
ぼくりり:同じ考えの人からは、それ以上のことは出てこないんだろうなって思っちゃう。だからむしろ「それは違うんじゃないですか」って言われたほうが嬉しいんです。
ーーノアの方舟というテーマで作品を作ると、かなり宗教的なものに接近する可能性もあったと思うんです。預言者のように「世界はこうなんだ」と。今作はそうじゃないところが「らしさ」かなと。
ぼくりり:例えば中高生のファンを洗脳していくようなことって、まさに今回のアルバムで警鐘を鳴らしているところなので。テーマにしているのは「ゾンビ」に他ならないので。「ゾンビなっちゃうぞ」って言いながらゾンビを量産していく作業って、それはそれでめっちゃ面白いかなと思うけど、そうじゃないものにしようというのはありました。
ーーすごくカジュアルな「ノアの方舟」って感じでしたね。それが良かった。
ぼくりり:やっぱり僕は、話していて楽しい人が好きなので。自分が話していて楽しいって思える人がいっぱいいたほうがいいし、そういう人を引っ張れる作品を作れたらいいなと。
ーープロデューサー的な視点があるようにも見えます。
ぼくりり:トラックメイカーの人選も僕が全部していて、「誰にどんな曲をつくってもらうか」っていうのが1番難しい作業だなと思うんです。そういう意味では確かにプロデューサー的な目線もすごく入ってる。自分がイチからつくるよりは、作れる人に作ってもらったほうが楽しい。
ーー建築で言うと、設計図みたいなコンセプト作り。
ぼくりり:実際レンガを積むのは別の人、みたいな感じですね。あと、セカオワとかそうだと思うんですけど、作品によって全然スタイルが違うじゃないですか。ああいう感じのほうが面白い。ファンを振り回して、振り回されるのが好きって言う人に残ってもらいたい、というのがありますね。
ーーファンに対しても刺激を与えていくと。3月からはツアーもあるし、2017年の活動はもりだくさんですね。
ぼくりり:『キングダム』ってマンガがすごく好きなんです。中国の戦国時代に1人の少年が将軍になるまでの過程を描いた作品なんですけど、100人将とか1000人将という位があって、戦果を挙げるごとに、率いる兵士の数が増えていく。その感じがアーティストのハコのキャパがあがっていく様に似ていると思って。僕は今クアトロで800人将とかになるわけじゃないですか。例えばドームでできるようになったら「将軍デビューだ」みたいな。5万人越えると大将軍に。
ーー目指すは将軍。スタジアムも見据えて?
ぼくりり:そうですね。やるんだったら大将軍になりたいなと思って。何万人も率いている大将軍が見ている景色って、きっとヤバイですよね。それに1番近い景色ってライブの現場だろうから、そういう景色を見たいなとは思います。将軍になるぞー!(笑)
(取材=神谷弘一)