2017年01月28日 09:13 弁護士ドットコム
政府が、平成31年1月1日に皇太子さまが新しい天皇として即位し、同日から新しい元号とすることが報じられ、大きな話題となっている中、文書に年月日を記入する際の「元号表記」をめぐる議論が起きている。
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公文書や報道、契約書などでは、西暦ではなく和暦(元号)で年月日を表記するケースも少なくない。こうした元号表記については、今から何年前のことか、すぐに計算しづらいなどとして、「わかりづらい」「西暦で表記してほしい」などの声があがっていた。そのため、元号が変わることを機に、こうした文書や記事の表記について、西暦で統一したほうがわかりやすいのではないかという意見があがっている。
判決文などの法律文書も、元号で表記されることが一般的だ。判例を検索する際も、元号で検索をしないと、目当ての判決にたどりつくことは難しい。判決文や訴状など、普段から多くの法律文書に接する弁護士は、文書の元号表記についてどう考えているのか。
以下の3つの選択肢から回答を求めたところ、17人の弁護士から回答が寄せられた。
1.西暦での表記に変更すべき → 4票
2.和暦の表記のままでよい → 7票
3.どちらでもない → 6票
<西暦がよい>という意見では、年数の換算など要らないことや、国際的にも通用するなどを指摘して、「元号より合理的」「換算時間が無駄」という声があがった。
一方、<和暦のままでよい>とする意見では、「正式な表記は元号とすべき」と日本の公文書などでは元号表記がふさわしいという意見があった。年数の計算に時間がかかり不便だという考え方について、「アプリなどで簡単に計算できる」「その程度の不便さを乗り越えるために、和暦を西暦に移行するというのはやりすぎ」という意見が寄せられた。
<どちらでもない>には、「どちらでもいいから、どちらかに統一すべき」「場合に応じて使い分けるべき」「わかりやすいものを」など、さまざまな意見が寄せられた。
以下、自由記述欄で意見を表明した弁護士14人のコメント(全文)を紹介する(掲載順序は、<西暦での表記に変更すべき>→<和暦の表記のままでよい>→<どちらでもない>)。
●西暦での表記に変更すべき
【河西 邦剛弁護士】
弁護士をしていると和暦に親しんでいるので「平成29年」と言われてイメージできるのですが、弁護士になる前に「平成17年」と言われても「いつだっけ?」とイメージしにくかった記憶があります。なのでイメージし易さからは西暦のほうが良いのではないかと思います。これは契約書にも妥当する話かと。あと完全に余談ではありますが、私の応援しているモーニング娘。というグループには2014年から末尾に年号が付き『モーニング娘。'14』という呼び方に変更になりました。私はこの呼び方に愛着があるので西暦が良い派ですね笑
【大賀 浩一弁護士】
これまでは裁判文書でも元号をさしたる抵抗なく使っていましたが、いざ元号が変わるとなると、西暦の方が年数の換算など要らないし、国際的にも通用するなど、元号より合理的だと思うので、できれば乗り換えていただきたいと思っています。
さもなくば、新聞の日付等と同様に和洋併用でもよろしいかと。
ところで、元号派の方々のコメントを拝見すると、何だか国粋主義的な匂いを感じるのですが、気のせいでしょうか・・・。
【上條 義昭弁護士】
和暦の年号が表記された場合、同じ和暦同士で何年の経過があるのかは直ぐに分かるが、和暦が変わると和暦の年度を一旦西暦に直してから期間計算する無駄な手間が掛かる。手元に西暦と和暦の対照表が無いと、例えば「大正10年は、西暦何年なのか?」から出発する煩わしさがある。
日本で天皇が変わるたびに新しい和暦を決めること自体は大変良いが、実務の世界では西暦一本での表示の方が換算時間を無駄に使わずに済むメリットがあり、適切と考える。
●和暦の表記のままでよい
【河内 良弁護士】
「和暦の表記のままでよい」というよりは、「和暦の表記のままであるべき」という意見です。
日本国内で使用する公用文で、なぜ外国の暦を使おうとするのか、意味がわかりません。
そもそも、西暦はキリスト教の暦なので、政教分離原則に照らしても公用文での使用は控えるべきものだと思います。
将来、たとえ「公用文用字用語の要点」において「西暦の使用を勧める」とされたとしても、私は和暦を使い続けるつもりです。
【今西 隆彦弁護士】
日本の公文書は、日本における暦を使うべきです。
和暦から西暦への換算は、昔なら面倒だったのでしょうが、今はアプリなどでちょっと操作すれば簡単にわかります。
その程度の不便さを乗り越えるために、和暦を西暦に移行するというのはやりすぎだと思います。
また、和暦が何らかの制度と結びついているから不適切というのであれば、西暦もキリストの生誕を基準にしている宗教と結びついた暦なわけですから不適切と言えることになります。
変えるべきではないと思いますし、私は西暦に代わっても和暦を使い続けます。
【川面 武弁護士】
西暦は,文明はイエスキリストの誕生に始まりそれ以前は野蛮というキリスト教中心,白人中心の史観に基づいた表記ですので,我が国がこれに一本化するということはあり得ないことです。今日各国でイスラム歴など独自の暦が併用されています。なお,本件も設問の問い方が偏向しています。1和暦を維持すべき,2西暦にすべき,3神武皇紀(現行法では,閏年ニ関スル件で「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス」と閏年の根拠法に採用されているようです。)を採用すべき,4その他といった設問の仕方にすべきでした。
【山本 毅弁護士】
元号を使用することは、日本の歴史と文化根ざしており、決して変更すべきではないと考えます。新聞のように西暦を併記することは認めて良いとおもいますが、正式な表記は元号とすべきです。明治、大正、昭和、平成とあるだけで、それぞれの時代の雰囲気までが漂うのです。単に計算しやすいとの理由だけで、元号を捨てるというのは、あまりに愚かです。
【武山 茂樹弁護士】
私は和暦のままでよいと思います。まず、西暦のほうがわかりやすいかどうかですが、これは人それぞれでしょう。また、和暦にすると、西暦より間違いが発見しやすいとは思っております。例えば、「大正63年」と書いてあると、「昭和63年」の間違いではないか、と気づきます。1963年だと間違いかどうかはわかりません。ただ、裁判というのは時効の関係で、それほど昔の年月日が出てくるのは多くはないので、どちらでも良いと言えばどちらでもよいのでしょうが。
【林 朋寛弁護士】
法律文書と一括りで議論するのではなく、訴状や契約書など国民が作成する文書については従来とおり和暦でも西暦でも各自の判断で使用すればよいでしょう。判決書など国の作成する文書は引き続き和暦を用いるべきです。日本国・日本国民統合の象徴である天皇の代替わりにより制定された元号の使用をやめる必要はありません。
西暦で統一しようというのは、過度の欧米迎合のように感じます。また、西暦で統一したからといって、平成以前の文書の表記はそのままですから、何年前か分かりやすくなるということにはならないでしょう。
【中尾田 隆弁護士】
法律論としてですが、象徴とは言え天皇制である以上は、官は和暦を使うべきと考えます。また文化慣習という面からは、和暦のそれぞれに一つの時代を重ねられるほど、人々の生活と和暦は密着しており、和暦を使いつづけるべきでしょう。歴史的観点からしても、百年後千年後も西暦は使われているのでしょうか?国際的暦とは別に和暦を使い続けることに歴史的価値もあると思います。
●どちらでもない
【濵門 俊也弁護士】
西暦の表記に「変更すべき」とも思いませんし、「大化」以来わが国で使用されてきた元号の使用をあえて放棄する必要もないように思います。
現在でも裁判所に提出する書面において、おそらく思想・信条上の観点からと思いますが、「あえて」西暦を使用される弁護士も多くおられます。イデオロギー的な問題も論じられるかと思いますが、冷静に議論されることを望みます。
【中村 晃基弁護士】
結論としては、元号をやめるべき、とまでは思いません。確かに、 和暦は天皇制を前提とするものですし、「天皇が時を支配する」との印象を与える場合もあります。ただ、実際、古来の文書からずっと和暦が用いられ、裁判所でも戦後も引き続き使用されている、経緯があります。国民の間でも、明治・大正・昭和・平成と時代を刻む目安になっています。元号制は、残しつつ、時・場所に応じて使い分ける形がいいと思います。ただ、現状、裁判所に合わせるため、依頼者の西暦での説明を和暦に変換してメモをとると、驚かれることはある。
【岡田 晃朝弁護士】
あくまで、判決や裁判の日時を示すものですから、広く一般にわかりやすいものであれば良いと思います。
裁判で用いられる日時の表記は、まずは、それがいつかが、誤解なく間違いなく、即座に、一般人が理解できる表記であることが重要であると思われます。
表記はその目的を達成するのに、適切かを第一に考えるべきで、様々な思想はあるでしょうが、それで本来の日時の表記の目的自体を見失うべきではないでしょう。
【吉田 恒俊弁護士】
私は、どちらでもいいから、どちらかにすべての文書を統一すべきという意見です。年号に統一する場合は、外国との関係でいちいち換算しなければならない場合があるのが障害との意見があると思いますが、その場合はパソコンの一括変換をすればすむことです。もっとも、西暦に統一した場合でも年号に換算する必要が出てくる場合も考えられますが、これも一括変換すればいいのです。今のようにどちらでも使用していいというのが混乱の理由ではないでしょうか。国民感情から見ても、伝統的な年号をすぐには廃止できないと思います。