ニコ・ロズベルグの電撃引退により、2017年にメルセデスF1チームに加入することが決まったバルテリ・ボッタス。彼はなぜ幼いころにF1を目指し、どのようにしてその夢をかなえ、チャンピオンチームとの契約という輝かしいチャンスを手にしたのか。メルセデスがボッタスのここまでのキャリアを振り返り、彼に成功をもたらしてきた強みを考察した。
■モータースポーツとの偶然の出会い
6歳の男の子が人とは違う道を歩み始めたのはまったくの偶然だった。モーターレーシングの歴史のなかで我々が何度も目にしてきた、人生におけるまったくの偶然のひとつだ。
ボッタスと彼の父親がナストラにある自宅から西に20キロメートル離れたラハティの町に向かっていた途中、通りかかったゴーカートコースでレースが行われているのに気がついた。
ふたりはその光景に魅了されてしまい、午後の残りの時間をレース観戦に費やした。まさに一目惚れである。モータースポーツに取り憑かれてしまったその少年は、それ以来、ある野望を抱くようになった。それはゴーカートで優れた成績を残し、いつの日かモータースポーツの最高峰であるF1の世界に入り、さらにはワールドチャンピオンになることだった。
■F1チャンピオンになることが人生の目標
それから20年後、ボッタスはF1で足場を固めるという第一関門を突破した。さらに素晴らしいことに、彼はメルセデスAMGペトロナス、“シルバーアロー”のシートを掴み取った。
「どうやったらF1でワールドチャンピオンになれるか。その問いに対する答えが分かったらいいだろうね」とボッタスは言う。
「でもたくさんの要素が絡んでくるんだ。これは個人でどうにかできる問題ではないよ」
大方の意見とは対照的に、F1というのは本物のチームスポーツである。ドライバーだけが優れていても、チームだけが優れていても、そしてもちろんマシンだけが優れていても成功は収められない。
「僕らのやっているスポーツには本当にたくさんの要素が絡み合っている」ボッタスはそう語る。
「たとえ最高のドライバーであっても、シーズン中にエンジンが10回も壊れたら勝つことなんてできないよ。ドライバーとして自らのパフォーマンスに集中しなくてはいけないし、チームにすべてを捧げなくてはいけない。自分の力だけではうまくいきっこないんだ」
F1はドライバーに対して数多くの要求を突きつける。つらいトレーニングに耐えたり、常に世間の目にさらされたり、重要なことに対する精神の集中を保ち続けるのは、F1ドライバーとして成功するために必要な個人的犠牲のうちのほんの一部である。
「でも僕は絶対に諦めない」
「タイトルを獲得するという野望を今も胸に抱いている。それを達成するためにできることすべてをやるつもりだ。現時点での人生の目標なんだ」
■カート時代にプロ意識に目覚める
ボッタスは、幼い頃に抱いたこの長期的戦略の基礎をフィンランド南部にあるカート場で築いた。
彼の父親は、息子に対して幾度となく「本当にゴーカートがしたいのか」と尋ねた。彼はそう聞かれるたびに激しくうなずき、ついに父親は自身の息子がこのスポーツにおいて何か成し遂げたいことがあるのだと気がついた。
デビュー戦の結果は3位。そして次のレースでボッタスは優勝してみせた。
「学校から帰ってくるやいなや、カート場に行けるかどうか尋ねたものだよ」ボッタスはそう振り返る。「両親にノーと言われた記憶はないね」
彼が12歳のとき、キャリアに転機が訪れた。何年もレースをしてきた後に、ついにフィンランド選手権に参加することになったのだ。
しかし小柄なライバルたちに重量的なアドバンテージがあったため、ボッタスは勝機を失い、フラストレーションを感じるようになってしまった。勝利への意志に突き動かされた彼は、是正措置を取った。
彼はトレーニングを始めて、体重を数キロ落とし、翌年の選手権でチャンピオンになった。
「夢を叶えるためにはできることすべてをしなくちゃいけなかったんだ。これこそ僕がプロになったターニングポイントだね。このときからレースを趣味や娯楽以上のものだと思い始めたのさ」
■たゆまぬ努力でF1デビューを勝ち取る
ハードワークと究極の目標、すなわち彼の“夢”が達成可能であるという強い信念が、ボッタスはキャリアを通して持ち続けている一貫したテーマだ。
この目的のために、彼は自動車整備士の見習いになったこともある。ただし、自分が目指す“ひとつの道”からそれるつもりは全くなかった。
「僕は常にレーシングドライバーになりたかったんだ。メカニックじゃなくてね。でもあそこでの訓練は確実に役に立ったよ。F1マシンに搭載されている技術というのは高度に特殊化されていて、複雑なものなんだ。だから技術について理解すればするほど、ドライバーとして自分のためになるのさ」
このレベルの理解が彼にとって有益だったことは、様々なジュニアシリーズにおいて既に証明されている。彼は17歳という比較的若い年齢でフォーミュラ・ルノー2.0 NECに初参戦し、その年に2勝を挙げた。それに続いてフォーミュラ・ルノー2.0 NECとフォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップでそれぞれタイトルを獲得する。
2009年と2010年、誉れ高きマスターズF3において2年連続で優勝を飾ったことで、彼の前にF1のサポートレースであるGP3への扉が開かれた。そして参戦初年度の2011年にいきなりタイトルを獲得してみせたのだ。
その後、F3ユーロシリーズに昇格したボッタスは、キャリアで初めてメルセデスエンジンを搭載したマシンでレースを戦った。
これによってボッタスはウイリアムズの興味を引き、テストドライバーとしてチームに加入することになった。
ファクトリーを訪れて情報をできる限り吸収するなど、彼はこの新しい役割をできる限り利用した。
F1で走るという夢を追い求めるなかで、彼は成り行きには任せないということを自らの肝に銘じた。F1デビューを果たすことが決まった時ですら、彼はその栄光に満足しなかった。
「夢の最初の部分は達成できたから、その後何日かは恍惚としていたよ。でもすぐに最初のレースに集中し、徹底的に準備を行ったんだ」
■夢を決してあきらめない“普通の男”
2013年オーストラリアGPでのF1デビューはまるで昨日のことのようだとボッタスは言う。
「大好きなことをしていると、時間が経つのがびっくりするくらい早いね」
「F1での5年目のシーズンがもう待ちきれないよ。決勝がある日曜日にピットにいることより素晴らしいことなんてない。メカニックがエンジンを始動し、その音を聴き、そして感じることで、その“貴重な宝石”が向こう2時間自分のものになるって分かるんだ。ぜんぶ自分次第になるんだよ」
彼はいかなるプレッシャーも感じないと主張する。しかし一方で、ボッタスは自らの仕事を愛し、人生を最大限に楽しんでいる。
「もちろん大変な仕事だ。でも僕は毎日夢に生きている。人生はレースだけというわけではないけどね。家族や友人、それに妻のエミリアなど、大事なものは他にも色々あるよ。健康はそのなかでも最も大事なものだね。僕は子どもの頃からの夢を追いかけて生きているから、これらすべてを尊重しているんだ。あらゆることに対して感謝しているけど、僕のなかには決して満足しない自分というのがいて、常にさらなる高みを目指しているんだ」
激しい野心を抱いて、一気にF1まで駆け上がってきたボッタスだが、ひとりの人間としての彼は何も変わっていない。
彼は厳しいトレーニング期間、ファクトリー訪問、グランプリの週末の合間を縫っては母国に帰ることを好む。
「結局のところ、僕は、たまたまF1ドライバーになった、フィンランド・ナストラ出身の普通の男なのさ」とボッタス。
「(地元では)リラックスできるんだ。世界中を旅して色々な都市に行くけど、ナストラよりいいところはないと思うよ」
ボッタスがトップに上り詰める契機が偶然に訪れたのは、人口わずか1万5,000人のその小さな町だったのだ。