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SKY-HIが明かす、今“自分自身”を歌う理由「5年前だったら、俺のあり方ってNGだった」

2017年01月19日 18:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 SKY-HIが全身全霊の音楽力を注いで作り上げた前作『カタルシス』(語る死す)は、彼流のメメント・モリとも言えるメッセージ性が、ヒップホップをルーツに持ち、ラッパーとしても高いスキルを誇るアーティストだからこそクリエイトできるポップミュージックとして昇華された大作だった。そして、SKY-HIはあれからわずか1年で『カタルシス』と強固な連続性を持つニューアルバム『OLIVE』を完成させた。タイトルから“LIVE”と“LOVE”のアナグラムを作ることができるのも象徴的だが、本作は人生における救いと愛を表現したラップと歌が、生感に富んだ響きがグッと増したサウンドプロダクションによってダイナミックに解放されている。前回のインタビューに続き、音楽と自らの生き様について語るSKY-HIの言葉には一切の曇りがなかった。(三宅正一)


・「愛することをちゃんと歌おうと思った」


ーーまず、『カタルシス』から1年でよくこれだけのアルバムを作れたなと感嘆したんですけど。


SKY-HI:マリオ的な話で言うと、2016年の俺は2人死んじゃったんですよ(笑)。


ーーというのは?(笑)。


SKY-HI:2回クリボーにぶつかっちゃって(笑)。


ーー満身創痍な1年だった?


SKY-HI:2015、2016は満身創痍でした。2015年はメンタル的に、2016年はフィジカル的に。2015年は『カタルシス』の制作と向き合って、あのアルバムが自分の思うような評価や結果が得られなかった場合は音楽との付き合い方を根本的に考え直そうと思ってたんです。音楽をやめるということはないけど、CDで作品をリリースするのはもういいかなって。そういう意味でも背水の陣的な意識があって。でも、結果的に『カタルシス』とその後のホールツアーは一定の評価をいただいて、内容的にも俺自身すごく満足のいくものになったんです。ツアーはスーパーフライヤーズという自分の愛するバンドメンバーと回れたことに至福の喜びを覚えて。音楽とともに生きていく以上、その喜びをこれからも覚えることができると思うと、多少メンタル的に食らうパンチがあっても乗り切れるなと思ったんですよね。仲間が自分の作った音楽を受け取って、一緒に鳴らしてくれる。そこで生まれた曲が俺自身のマインドを救ってくれてるんですよね。自分も含めた人を救う音楽を自分自身で作っているというそのことが、何よりの救いになってるんですよね。


ーーそう、それがまさに『OLIVE』というアルバムの核心で。


SKY-HI:『OLIVE』がポジティブで救いのある内容になったというのはーーあまり一緒にしちゃいけないとは思うんだけどーー抑圧された状況から生まれるゴスペルやヒップホップやファンクやロックンロールとも共振するとも思っていて。


ーーだから、わずか1年で『カタルシス』との連続性もしっかり踏まえたうえで見事なまでに音楽的な更新も果たした『OLIVE』というアルバムを作ったことが驚異的だなと思って。


SKY-HI:ホンマや(笑)。そう考えるとすげえな。このペースでアルバムを作ること自体は全然可能なんだけど、ただ自分でもすごいなと思うのは、『OLIVE』は『カタルシス』から2年くらいかかってもよさそうな内容になっているという自負があるので。音楽的な進化もそうだし、この1年の間にSALUとコラボアルバム(『Say Hello to My Minions』)を作ったり、時間をかけて『フリースタイルダンジョン』のエンディング曲(「Dungeon Survivors」)を作ったり、もちろんAAAの活動もあるし、さらに喉の手術もしてたこととか、いろいろ考えるとすげえなと思いますね。


ーー喉は最大の生命線だし、かなり不安だったでしょう。


SKY-HI:今でも夢に見るレベルではありますね。手術後、歌唱法について考え直したり、成長のきっかけにもなったんですけどね。手術直後にAAAの仕事でアメリカに行かされる荒行もあって(苦笑)、ジストニアみたいな症状が出ちゃって。そういう意味ではいくらでもネガティブになってもおかしくなかったんだけど、ずっと音楽に救ってもらってましたね。


ーーそういうSKY-HI氏の生き方そのものがこのアルバムの説得力となってるから。


SKY-HI:そう言っていただけると助かります。自分でも制作の途中から「大きいことを歌ってるなあ」と思って。でも、生きることを隣に携えて、愛することをちゃんと歌おうと思ったから。そういう曲が「ジョン・レノンやマイケル・ジャクソンと比べたらちょっと……」って思わせたらリスナーに失礼だと思うんですよ。だったら最初からそんな壮大なテーマを選ぶんじゃないよってなると思うんですよ。その責任が持てないんだったら、トラップミュージックでお姉ちゃんとファッションのことを歌えよっていう。でも、俺はメッセージに責任を持とうと思ったから。自分の歌にちゃんと説得力が宿るように、自分の人生をしっかり生きなきゃいけないんですよね。


ーーそういう姿勢はやっぱりラッパー然としてるなって思う。


SKY-HI:そうですね、ラッパーっぽいですよね(笑)。ポップスターとしてしっかり覚悟と責任を持つことって、ラッパーとして最上の責任を持つこととイコールなんだなと思って。


・「毎日自分の成長を感じてるから、すごく楽しい」


ーーでも、こんなに忙しいのにいつ曲を作ってたんだろう? って思うんですけど。


SKY-HI:ツアー中にも作ってたので。ホテルに機材を持ち込んで。「How Much??」はツアーで青森に前乗りした日にほとんどできて。青森のライブハウスでリハのときに流すっていう。その時点でほぼ完成型でしたね。


ーーこの曲はプロデューサーとしてDJ WATARAI氏がクレジットされてますが、どういう関わり方だったんですか?


SKY-HI:正直、「How Much??」に関してはほとんど仕事してもらってないんですよね。


ーービートもSKY-HI氏が打ったもの?


SKY-HI:ビートもそうですね。


ーープロデューサーの関わり方は曲によって濃淡があるんですね。


SKY-HI:相当バラつきがありますね。自分の打ち込んだトラックでそのままミックスまでいった曲もあるし。逆に「Walking on Water」のようにMUROさんからビートをもらってから作り始めるというヒップホップっぽい作り方をした曲もあるし。でも、年々ヒップホップ的な作り方というよりは、シンガソングライター然とした作り方に移行してますね。そういう曲のほうがリードになる確立が高い。


ーーシンガソングライター然とした作り方になったからこそ、サウンドの生感もどんどん強くなってるんだろうし。


SKY-HI:そうなんですよ。生感がポイントで。生感の強いサウンドを作るにあたってもう一段階上のレベルにいきたいと思っていて。単純に音楽性としてオーガニックなものに寄せていきたい気持ちもあるし、バンドとの親和性もあるし、トレンドを意識してるところもあるんだけど、一番はやっぱり『OLIVE』のテーマ的に生命力が強いサウンドじゃないと説得力が変わってきちゃうから。このアルバムで必要だったのはトラップミュージックでもベースミュージックでもなくて、生命力を感じさせるビートアプローチだったんですよね。


ーーそのあたりの話もヒップホップを出自に持つアーティストがいかにポップスのダイナミズムを得れるかというチャンレンジ精神を感じさせるなって。


SKY-HI:そこで思うのは、歌詞の面でもきれいなことだけをきれいに歌うのはリアルじゃない時代についてなんですよね。それこそジョン・レノンの「Imagine」やマイケル(・ジャクソン)の「Heal The World」が曲単体で刺さる時代かというと難しいと思う。今の時代はそこに行き着くまでのドラマや「ジョンってこういう人だったんだ」とか『「Heal The World」を作ってるときのマイケルってこんなマインドだったんだ』ということがわかってより伝わると思うんですよね。それはSNS的な時代ともいえると思うし。だから、俺にしか口にできない暴論を歌うことにも大きな意味があって。


ーー攻撃的なセルフボースティングも必要だしね。


SKI-HI:そうそう。俺は俺の生き方を知っているし、ものの見方も自覚的だし、ラッパーだと思ってるし、ポップスターになってやろうと思ってる。それと聖人君子な生き方は噛み合わないんですよ。汚いものもたくさん見たし、人間のえげつなさもよく知ってるから。自分はそんな世界の被害者であると同時に加害者なのかもしれない。そういうことにずっと苛まれてる自分を出さないと嘘になってしまうから。だからこそ、「Walking on Water」のように俺のすべてを内包したうえで強さを押し出す曲は絶対に必要で。俺も自分の音楽に励まされてる身なので(笑)、こいつが言ってることだから聞こうかなって思える曲だから。


ーー献身的にサポートしてくれた女性教師との再会と淡い恋心の終わりがドラマティックに描かれた「十七歳」もこのアルバムに入っているから実話にしか思えないんですけど(笑)。


SKY-HI:そこらへんはオブラートに包んでるんですけど(笑)、実話の要素がないわけじゃない。一番大事だったのは、「Double Down」とか「Stray Cat」とか「Walking on Water」とか俺発の話であるがゆえに、リスナーが自分の歌に捉えづらくなってしまったらイヤだなと思って。リスナー個々人がこのアルバムは自分のアルバムなんだって思うためにもすごく身近で誰もが想像できるストーリーの曲が必要だなと思ったんです。で、「十七歳」のあとに「明日晴れたら」がきたときに曲の優しさがすごく染みるんですよね。そこからまた「アドベンチャー」でアグレッシブなモードに移行していく。そうやって効果的な相互作用のある曲順にしたかったので。


ーーこの1年でアルバムの必要なピースを狙って作れる音楽力もさらに強化しただろうし。


SKY-HI:うん、そうですね。俺がちゃんと自分で意識して曲を作れるようになったのは「スマイルドロップ」からだから、まだ音楽2年生なんですよ。音楽理論をちゃんと学ぼうとも思ったんですけど、ミュージシャンとかに相談するとみんな俺は理論を学ばないほうがいいって言うんですよね。だから、どうしてもわからないことがあったら仲間のミュージシャンに訊けばいいやと思って。俺が理論を学ぶとおもしろいムチャができなくなりそうな気がしていて。でも、毎日自分の成長を感じてるから、すごく楽しいですよ。2016年からギターも弾くようになったから、音像のなかでギターが前に出るようにもなったし。まだまだ成長する余地しかないと思ってます。成長痛が痛くて眠れないですよ(笑)。


・「武道館2DAYSは土俵に上がるための入学式」


ーー『カタルシス』と『OLIVE』は連作と言っていいと思うんですけど、この2枚のように自分の死生観を歌うことはこれからも大きなテーマとして存在すると思ってますか?


SKY-HI:おそらく生きることと、死ぬことと、愛することと、戦うこと。俺が歌っていることってずっとそれの掛け合わせなんですよね。その4大調味料で俺の音楽はできていて。でも、それをかけ合わせて生まれるメッセージのニュアンスは世界的な情勢や時代の動きとともに変わっていくと思うんです。きっと2018年も大きく変わると思う。その時代の世の中に必要なメッセージであるはずだと胸を張って言えることを曲にしていくとアルバムができる。悲しいことやイヤなことはなくならないし、自分や周りの人にもそれは降りかかるから、自ずと曲作りは止まらない。果たしてそれがいいことなのか悪いことなのかわからないけど、ライフワークとして趣味的に音楽を作ることだっていくらでもできるから。だから、『OLIVE』の前にSALUとコラボアルバムを作れたことは精神衛生的にもよかったんですよね。『カタルシス』と『OLIVE』の間に息抜きとして音楽をやった感じ。それも本気の息抜きだから結果的に疲れるんだけど(笑)、めっちゃ楽しいんですよね。


ーーそういう自由度の高い動きができるポジションも自分でつかみ取ったわけじゃないですか。


SKY-HI:1曲のメガヒットが生まれづらくなった分、こういう自由度の高いポジションにいられるのかなって。5年前くらいだったら、俺のあり方ってNGだったと思うんですよね。ポップはポップ、ハードはハードな音楽をやり続けないとアーティストイメージが揺らぐみたいな。でも、今は最終的に焦点が当たるべきはイメージではなく自分自身である時代にどんどんなっていると思うから。だから、ゴールにあるのはライブというショーケースで。昔みたいにMVがゴールではないからこそ自由なクリエーションができる。ただ、作品をリリースするということは、たとえば今の中学生や高校生が俺の作品を聴いて音楽にハマったとして、20年後に音楽好きのおっさんになったときに「最初の入口がSKY-HIでマジでよかったわ」って思ってもらわないと詐欺になってしまうと思うから。そのことはつねに肝に銘じていたいと思ってます。


ーー最後に5月の武道館公演について。今のSKY-HIがこの会場で単独ライブをすることの意義をどのように感じているか聞かせてもらえたら。


SKY-HI:武道館で2DAYSやることが、自分のなかでゴール感がまったくないのがうれしい限りですね。「ついにここまで来たか!」という高揚感もあまりないんですよ。たとえば2016年に大ヒットしたバンドでいえば、RADWIMPSがアリーナツアーを回ることに驚く人って1人もいないと思うし、SEKAI NO OWARIがスタジアムやドームでライブをすることに驚く人もいないと思うんですね。だから、俺も次のホールツアーと武道館を終えたら、次にさらに大きなツアーをやると言っても驚かないで聞いてもらうようなライブをしなきゃいけないと思ってます。そしたらやっと次に目指すべき規模感にいる人たちと同じ土俵に上がれると思うので。だから、武道館2DAYSはその土俵に上がるための入学式だと思ってます。


ーーすげえいい喩えですね(笑)。


SKY-HI:そう考えるとだんだん武道館が入学式の会場に思えてきた(笑)。
(取材・文=三宅正一)