先日、発言小町に「日本のお母さんは働き過ぎですよね」と題されたトピックが投稿されている。投稿者は高校から大学時代にかけて、アメリカの家庭に3軒ほどホームステイしたことがあるというカナダ在住の人物だ。(文:松本ミゾレ)
北米と日本の家庭を見て気になったことがあるといい、こう書き込んでいる。
「(北米では)いつも思うのですがどの家庭も家事を簡略化しており家族全員で取り組みやすく工夫されています」
日本の家庭料理は「和洋中全部できて当たり前みたいな風潮もありますよね」
朝ごはんは適当にシリアルを食べるし、お弁当を作るという習慣もないので朝からバタバタすることもない。
「洗濯物も洗ったら乾燥機に入れて終わりです。食事も手の込んだものは基本作らずに簡単にできるものが多いです。食器も水でパッと流して食洗機に入れるだけ。それで終わり」
と、こんな具合に日本に比べて家事がかなり効率化されていることがわかる。
これに比べて日本はどうだろう。家電大国にも関わらず食洗機も一部の家庭でしか置いていない。もちろん日本特有の住宅事情もある。食洗機や乾燥機を置くスペースがない、という家庭もあるだろう。なので、どちらが正しいというわけではないんだけど、手間を減らす工夫はもっとしてもいいのではないだろうか。
さらに投稿者は、こうも発言している。
「日本にたまに帰国するとお母さんたちが当たり前のように煩雑な家事に取り組んでいて感心すると同時に『もっとシンプルにできないの?』と思います。毎晩の献立も数品作らないといけないし、しかも和洋中全部できて当たり前みたいな風潮もありますよね」
たしかに、日本の食卓には様々なジャンルの料理が並ぶ。冷静に考えたらすごいことだ。その上で、この人物は「なぜ日本のお母さんは自ら率先して忙しくなることを選ぶのですか?」と問いかける。
「もっとシンプルに生活したら時間も余裕もできて社会へ出るきっかけもでると思うのですが。自ら忙しくして言い訳しているようにも思えます」
こうしてみると、かなり辛辣な声だと気づくんだけど、一つずつの提案は、決して辛辣なだけではないはずだ。実際、日本のお母さんは働き過ぎだ。
そもそも家事はお母さん一人でやらなければいけない訳ではない
家事に育児、それぞれにこなすべきタスクが多く、しかもそれらは毎日のように繰り返すこととなってしまう。だったらできる限りスマートに日々の家事をこなせるような工夫(という名の手抜き)を取り入れてみるのも、決してズルくはないだろう。
ただ、毎日の家事、育児に追われているお母さんというのは、別にこの投稿者の言うように「忙しくしている言い訳」云々という考えがあるわけではないはずだ。ただただ生真面目で、手を抜くことを知らない、あるいか手抜くことに罪悪感を持っているような人ばかりなんだろう。
そうは言っても、どう頑張っても限界がある。努力のし過ぎで疲れ切ってしまっては元も子もない。やはり効率的な家事のやり方を模索するのも大切だ。
手抜きできる要素は探せば色々あるものだ。料理の品数は減らせばいいし、ときにはレトルトに頼っても悪くない。掃除だって別に自分だけがしなければならないなんて理由はないんだから、家族にも分担してもらえばいい。
日々の家事の中には、「ここは削減できるのでは?」と感じられる、なくてもいい努力が含まれていることもあるかもしれない。まずはその、不要な努力から探ってみるのも悪くないだろう。