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押井守、“映画”と“女”への愛を語り尽くす 「いまは女優さんしか撮りたくない」

2017年01月17日 17:21  リアルサウンド

リアルサウンド

押井守監督

 1月10日~22日にかけて、京橋・東京国立近代美術館フィルムセンターにて「自選シリーズ 現代日本の映画監督5 押井守」が開催中。初日である10日には押井守監督本人を招いてのトークイベントが行われた。


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 今回の特集では、押井監督のフィルモグラフィから本人が選んだ20作品を12プログラムの枠組みで上映。この日のトークイベントの前には『ケータイ捜査官7/圏外の女[ディレクターズカット版]』(2008)、『THE NEXT GENERATION -パトレイバー-/EPISODE5、6 大怪獣現わる』(2014)の2作品、後には『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)が上映された。以下、約1時間に渡ったトークの内容をレポートしていく。


■「正直言って、いま居心地が悪い(笑)」


 まずはフィルムセンターと自身についての関わりを、学生時代を回想しながら話し始める押井監督(聞き手は同センター研究員の佐々木淳氏)。


「当時、典型的な映画青年だったわけで、いかに効率良く映画を観るかが大事だった」「フィルムセンターの上映会は料金がたいへん安かった。たしか100何十円とかそんな感じだったと思う」「主に海外作品や戦前の日本作品を観に通った。ポーランド映画の特集が1週間連続であって、毎日通ったことを覚えています」


 そんなフィルムセンターで自作の特集上映が組まれることについては、


「もともと自分はテレビアニメの世界から出発した人間なので、まさか世界の名だたる監督たちと同じところで自分の作品がかかる日が来ようとは夢にも思っていなかった」「エンターテイメントと呼ばれる世界の中でも端っこの端っこ、というか隙間で、かなり変な仕事をしてきた人間なので。正直言って、いま居心地が悪い(笑)」


 と、おどけた。


 続いて上映作品のセレクト基準についての話題に。


「今回は上映だけではなく、フィルムセンターの収蔵作品になるということで。その際に、僕の仕事の中でもマイナーなもの、どちらかと言うと半分やめてほしいと言われていた、迷惑がられた仕事の方を優先した」「そこから出発して、いわゆる代表作と言われるものにたどり着くという経験が非常に多いんですよ。たとえば『アサルトガール』というシリーズは、ホップ・ステップ・ジャンプで、最終的に『ガルム・ウォーズ』(2016)にたどり着くことができた」


 とはいえ、筆者の私見では、今回の20作品にはそういったマイナー作のみではなく、いわばメジャー作と位置づけられるだろう『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993)、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)、『イノセンス』(2004)、そして前述の『うる星2 BD』もちゃんと含まれていて、バランスの取れた選出だと感じた。選に漏れて意外だったのは『機動警察パトレイバー劇場版』(1989)、『御先祖様万々歳!』(1989)、『トーキング・ヘッド』(1992)、『ガルム・ウォーズ』あたりだろうか。


■「自分の中では熱海3部作という構想がある」


 今回の特集上映の12プログラムには押井監督考案のタイトルが付されている。その中で目を惹くのは「ホームの闘い 熱海死闘編」「アウェイの闘い1 台湾死闘篇」「アウェイの闘い2 ポーランド死闘篇」といったホーム/アウェイの分類論に基づくもの。


「映画監督の仕事というのは、ホームとアウェイが依然としてある。違う闘いをするべきだし、しなければ勝てない」「『アヴァロン』(2001)では、ポーランドのスタッフで、ポーランドの役者を使って、ポーランド語で映画を作らなきゃいけなかった。アウェイでどう闘って勝利するかという話なんですね」「その時に考えたのは、監督自身の国籍と、その監督が撮る映画の国籍は同じではなさそうだ、ということ。僕の撮っている映画は日本映画ではないみたいだ、と以前から言われていたんですけど、そのことをはっきり自覚したのも、いわばアウェイでの闘いを経験した時の副産物でした」「ある種の監督にとって、自分の故郷、あるいは自分が実際に私生活を過ごしている町で映画を撮る、というテーマを抱えている監督はいるらしい。ある有名な巨匠の監督(大林宣彦)も尾道で映画を作り、石井聰互(現・岳龍)さんも九州に帰って映画を作った」


 では押井監督にとってのホームはどこかというと、20年前に東京から移住した熱海ということになる。


「自分が普段生活する熱海という、いわば寂れた行楽地。いまも赤字でいつ破産してもおかしくないあの温泉場で映画を撮ろうと思い立ってから、実は15~6年経つんです。念願だったんですね」「自分の中では熱海3部作という構想がある」


 そのひとつめが“怪獣映画”で、これは『TNGパトレイバー 大怪獣現わる』で実現済。そしてまだ実現していない残りふたつは……。


「熱海で101匹わんちゃんみたいな。101匹バセット大行進」「もうひとつは、熱海GP。熱海ってモナコにそっくりなんですよ。要するに熱海を2倍のスケールにするとモナコになる。地形から何からそっくり。周回道路もちゃんとあるし。無いのはギャンブルだけ」「熱海の周回道路でグランプリをやる。まあもちろん実際に走らせるわけじゃなくて、大合成大会になるのはあきらかですが、これがとんでもない最後になるという、まあコメディ」


 押井フィルモグラフィにおいては、長年寝かせていた企画がひょんなところから作品化するという事例が多々ある。今回話された熱海3部作が実現する可能性もゼロではないだろう。


「僕は、熱海の自宅へは週末にたまに帰るだけで、東京の仕事場で暮らしているという、典型的な単身赴任監督。奥さんが取った統計によると、『大怪獣現わる』を撮影していた年は年間70日ぐらいしか帰っていなかったらしい(笑)」「あまり家に帰りたくないオヤジのひとりなのかもしれないけど、できれば死ぬまでそのスタンスを崩したくないなと思っている人間なんですよ」「なぜ熱海で映画を撮るんだ?と言われると非常に困る。困るけれどひとつわかったことは、自分が日常生活で過ごしている町をあらためて撮影のために回ると、まるで違う世界に見えてくる」「自分の日常をあらためて虚構にする時に、いわば違う人間の目で見た時にね、とても新鮮だったんです。これは面白いぞって」


 また、押井監督の実写作品ではスタッフや関係者を映画中に出演させる、いわゆる「内トラ」または「カメオ」と呼ばれている手法が使われることが多い。その最たる例は鈴木敏夫や樋口真嗣ほか多数を劇中に登場させた『立喰師列伝』(2006)だろう。その理由も、上述の「日常を虚構に異化する際の面白さ」に共通するところがあるという。


「内トラが大好きなんですけど、やってみてよくわかった。自分の知っている人間が違う顔に映ることの良さ。と同時に、どう撮ればいいかあらかじめわかっている楽チンさというんですかね」「映画って実は、そういうものなんじゃないかって。日常とまったくかけ離れた世界のように見えて、実は紙一重で、日常も映画に見える。僕はもともと映画監督というのは、現実世界を映画のように眺めている人間のことなんだって思ってきたんですけど、いわばそれを実証する仕事が僕にとってのホームの闘い」


■『圏外の女』——「どんどん役者にカメラで迫って、初めて役者に肉迫した作品」


 この日の1本目に上映された『圏外の女』は、『大怪獣現わる』に先んじての熱海ロケによるもの。もともとは特撮テレビドラマ『ケータイ捜査官7』の第19・20話として制作され、統合再編集のディレクターズカット版も作られた。Blu-rayおよびDVDにはオンエア版とディレクターズカット版が両方収録されている。


「寺山修司に関するある種オマージュみたいなことが制作の直接の動機」「寺山がくり返し選んだモチーフのひとつに『サーカス一座の女の子』というものがあって。稀人(まれびと)っていうんですかね、外側から寄ってきて去っていく、自分の日常の圏外の人たち。ある意味では境界線上の人たち。そういう人間に対するある種のあこがれ」「あと忘れられないのは、中学時代の実体験。体育館で劇団が『蒼き狼』を上演して、お姫様役のとても素敵なお姉さんがいた。ところが舞台が終わったあと、その同じお姉さんが割烹着で後片付けの掃除をしていた。これが衝撃的でね」「そういったことを一度映画にしてみたいと思って作った」


 出演した俳優たちについてもコメント。


「変なヤクザが出てくるんだけど、あれは主人公の守護天使。主人公以外には見えていない。演じた須藤(雅宏。現・正裕)さんは、実は僕が通っている空手道場の同輩(笑)。普段は水戸黄門の悪代官役とかやっている」「お姉さん(お七)役の安藤麻吹さんは、普段は声優なんだけど、元は俳優座の女優で。実際に巡演の経験もある方で、適役でしたね」「主人公ケイタ役の男の子(窪田正孝)は、お姉さんに抱きついたりとか、普段とは全然違う芝居ができたというので喜んでいた」


 この『圏外の女』は、押井監督にとっては初となるテレビドラマの撮影現場だった。


「(熱海で撮影なので)ホームとは言いながら、 テレビドラマというアウェイの闘いでもあった。何しろ1日に100カット以上撮らなきゃいけない。映画の現場では多くても20カット。僕は特に撮らない方なので、20撮ると『今日は撮ったなあ』という感じだったんですけど、こっちは『監督、1日に150は撮っておかないと無理です』というね。初めてそういう現場を経験した」「なので瞬間的に、いま何を撮るべきなのかを判断する、そういうフットワークを学んだ仕事ではありましたね」「テレビドラマって役者を撮るものだって気づいた。ロングショットを撮っちゃいけないんだってね。ロングショットってアクセント以外に通用しないということがわかって。どんどん役者にカメラで迫って、初めて役者に肉迫した作品でもあるんですよ」


 たとえば『機動警察パトレイバー2 the Movie』などで顕著なように、かつての押井監督は絵コンテやレイアウトをガチガチに決め込んですべてをコントロール下に置く制作体制で知られていたが、近年の『TNGパトレイバー』などでは撮影現場でカメラ割りを決めていくといった、即興的な作風に変化した。その萌芽のひとつが『圏外の女』だったのかもしれない。


 また同作は、シリーズの基本設定をほったらかし(主役の携帯電話型ロボットのセブンはほぼ登場しない)という大胆な作劇でオンエア当時は賛否両論を招いたらしい。『ケータイ捜査官7』のシリーズ監督は三池崇史。


「何しろあれだけのことを許してくれた三池さんに感謝したい。三池さんは見た目は怖いけど、たいへんに人格者です」「『圏外の女』は、ホームの闘いであると同時に、 テレビドラマという異質な世界でアウェイの闘いを同時にやった、非常に思い出に残る作品だったのであえて今回入れさせてもらいました」


■『大怪獣現わる』——「いまははっきり言って、女優さんしか撮りたくない」


 トークは2本目に上映の『大怪獣現わる』についての話題へと移る。本作もまた『TNGパトレイバー』の中では異質な作風で、レギュラーキャラの登場割合は少ない。代わりに実質上の主人公として活躍しているのは松本圭未が演じる、海洋生物学者の七海言子だった。


「僕は今でも言子さんと呼んでいるけど、あの女優さんに会わなければたぶん実現しなかったと思う」「けっこう美人で、なおかつめちゃくちゃやれる女優さんに初めて会った。酔っぱらいの芝居がめちゃくちゃ上手かったので即座に決めた」


 『圏外の女』の安藤麻吹にしろ『大怪獣現わる』の松本圭未にしろ、押井監督の現在の興味は女優へと傾注している。「女優さんに対する想いというのはね、僕の中にはある時から急速に出てきた。それはアニメーションをやる時でも同じなんですよ、実は。僕の映画の主人公は女性じゃなきゃならなくなっちゃったんです」とまで話す。


「僕はたしかに戦車やヘリコプター、銃撃戦といったメカニックなものや機械を撮るのが大好きなんですけど、それと同じぐらい、犬を撮ったり女優さんを撮ったりすることが、映画を撮るモチベーションにやっぱりなっているなということに、ある日気がついた」「いまははっきり言って、女優さんしか撮りたくない。申し訳ないけど、男の俳優さんにはほとんど興味がない」「やっぱりね、僕が監督であると同時に男である以上、これは避けられないと思った。女優さんと仕事するというのはね、どこかしらそういう要素がある。撮影中は少なくともある種擬似的な、恋愛関係に突入しますね。恋人として眺めています。そうじゃなきゃ撮れない。僕はトリュフォーでもヴァディムでもないけども(笑)」


 一方、撮影現場では女優に傾注しすぎて、他スタッフから呆れられるという事態も起こっているらしい。


「(『TNGパトレイバー』の)3監督には『監督、必要なカットを撮ってないじゃないですか!』と突き上げられ、(美術監督の)上條(安里)さんには『いくらなんでも言子さんへの愛が過ぎませんか?』と言われ、隊長役の筧(利夫)さんからも撮影中に『監督、これってパトレイバーのシリーズですよね?俺たちまるっきり関係ないじゃないですか!』と言われた」


 こういった「現場で面白がりすぎた例」は、洋画にもたくさん見られるという。


「『地獄の黙示録』を撮った大巨匠(フランシス・F・コッポラ)も、現場で戦争を再現して戦争ごっこをやっている方があきらかに楽しかった、ということを本で書いていますよね。映画史に残る大作『イントレランス』の監督(D・W・グリフィス)もあきらかにパラノイアになっていた」「リュック・ベッソンの場合は、『フィフス・エレメント』でミラ・ジョボヴィッチを世に出して、『ジャンヌ・ダルク』の撮影中に別れた。主役の女性に対する客観性が感じられない、一方的な片思いの映画になっているんだけど、ミラがとても美しく撮れている。監督ってそういうもので、女優さんに本気でイッちゃわないと、撮れないんですよ、たぶん」


■『ビューティフル・ドリーマー』——「決まったフレームが存在しない」


 そしてトーク時間も残り少なくなってきたタイミングで、話題は押井監督の出世作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』へ。ただし本作の逸話についてはこれまでもさんざん語られたということで、この日は別の角度からのエピソードが提供された。


「『ビューティフル・ドリーマー』には決まったフレームが無い」「映画館で公開するにはビスタサイズにする必要があるわけですけど、当時(1980年代前半)のテレビアニメの現場にはビスタサイズ用の作画用紙が存在しなかった」「だから原版上はスタンダードサイズ(1.33:1、つまり4:3)で作画・撮影して、映画館で上映する時に上下を切ったビスタサイズにしていた。僕らは“二重フレーム”と呼んでいたけど」「なおかつ、小屋(映画館)によって、切るフレームがみんな違う。上下を切るか左右を切るか、いわば小屋に任されている」


 ビスタサイズには1.66:1のヨーロッパビスタと1.85:1のアメリカンビスタ、そしてその中間である1.78:1(16:9)のハイビジョン放送用のビスタ、といった種類がある。これらのどれが採用されるかでもフレームが違ってくるし、さらに原版フィルムの段階でも違っていると押井監督は続ける。


「アニメの撮影台でビスタサイズに撮影したい時は、アパチャーという部分にカードを入れて、物理的にマスクして撮影するんです。ところがそのカードは撮影台によって全部サイズが異なっている」「だからフルフレームで上映すると、カットごとに全部サイズが変わっています。特に上下が全部違います。驚くべきことですけども、なぜ誰も気がつかないかといったら、映画館やビデオソフトではトリミングされているから。原版はガタガタになっています」


 また、こういった事情はアニメだけではなく実写映画にも見られるという。


「現場では“バレモノ”と呼ばれているけど、上部にマイクとか、照明の羽根とか、床にコードが走っていたり、映っちゃいけないものがカメラに入っちゃう時がある。ひどい場合にはスタッフがボーっと突っ立っているのが映っていたりね。今だったらデジタルで消して後始末するわけですけど」「『紅い眼鏡』(1987)の時は、たいへんスケジュールがキツい作品だったので、とにかくバレモノが映り放題。フルフレームで観ると、とんでもない世界になっている。僕は一回観て仰天しました」「映画の物理的な側面というのは、お客さんにとってはどうでもいいことなのかもしれないけど、監督にとっては、たいへんにシビアな問題でもあるんですよ」「映画のフレームって世界共通だと思ったら大間違い」


 と、ここまで語られたところで時間切れ。作品個々の裏話的なエピソードや押井監督が抱えるテーマ、映画の本質に関わってくるフレームの問題など、様々な話題を撒き散らしてトークイベントは終了した。


「自選シリーズ 現代日本の映画監督5 押井守」は今月22日まで開催中。21日にはトークイベントの第2弾も予定されており、また興味深い話が飛び出すことは間違いないだろう。(ピロスエ)