メルセデスAMGの技術部門のエグゼクティブディレクターを務めていたパディ・ロウのチーム離脱が発表されたのは1月10日。あれから1週間が経つが、ロウの今後とロウの抜けた穴をだれが務めるのかについての発表はない。
そもそも、なぜロウはメルセデスAMGを離脱したのだろうか。それを考える上で忘れてはならないのが、2016年12月末でウイリアムズでチーフテクニカルオフィサーを務めていたパット・シモンズの離脱である。というのも、ウイリアムズとシモンズの契約はもともと2017年末まであった。にもかかわらず1年早くシモンズが離脱したというのは、その代役が12月になって決定したからではないか。もちろん、その人物がロウであることは言うまでもない。
ただし、単にシモンズの穴を埋めるためにウイリアムズに移籍することは、チャンピオンチームであるメルセデスAMGの技術部門のトップに座るロウにとって、事実上、都落ちである。そう考えると、ウイリアムズはロウにチーフテクニカルオフィサー以上の役職をオファーしていた可能性がある。それはチーム代表である。
ウイリアムズの現在のチーム代表は創設者であるフランク・ウイリアムズだ。しかし、9月に肺炎をこじらせ入院。後半戦はまったくサーキットに姿を現さなかった。その父親を看病するため、娘でありチーム副代表のクレア・ウイリアムズもシンガポールGPからブラジルGPまでの6戦を欠席。16年の終盤、ウイリアムズはチーム代表と副代表が不在という異常な状況でレースしていたのである。
フランクはすでに退院したものの、自宅で療養中。クレアは13年に母親のバージニアさんも失っており、たったひとりの親であるフランクのために、17年もできる限りそばにいて看病するものと考えられる。そうなると、フランクとクレアに代わってチームをけん引する人物が必要となる。
ロウにとっても、ウイリアムズへ移籍し、技術職のトップの座以上の地位に座ることは魅力的だった。じつは、ロウは90年代にアクティブサスペンションを開発し、ウイリアムズのチャンピオン獲得に大きく貢献した人物。その後、マクラーレンでチャンピオンに導き、メルセデスAMGでも3度のタイトルを獲得した経験があり、技術者としては欲しいものはすべて手にしている。そろそろ新しいチャレンジを始める時期だった。
ロウがメルセデスAMGを離脱するに至った背景には、これ以外にもうひとつの理由が考えられる。それは、チーム内での確執だ。じつは昨年のハンガリーGPのパドックでロウと立ち話する機会があった。そのとき、ロウは「あなたたちが思っているほど、私のことを評価していない人もいる」という旨のコメントをしていた。
そのとき、その言葉の意味を筆者はすぐに理解できなかったが、その答えはそのハンガリーGPの土曜日に明らかになった。予選後にハミルトンがチームメートのロズベルグがダブルイエロー区間で十分に減速していなかったことをFIAに告発したのである。
チームの技術部門を取り仕切るロウにとって、ハミルトンのこの行為は造反だった。さらにロウにとって屈辱的だったのは、最終戦アブダビGPのハミルトンの行為だった。超スローペース作戦を採って、奇跡の逆転王座を狙ったハミルトンだが、ロウはこれを良しとせず、ハミルトンに無線で再三、ペースアップするよう指示を出したが、ことごとく無視された。
レース後、ビジネス部門のエグゼクティブディレクターを務め、事実上のチーム代表であるトト・ウォルフが、「ハミルトンに対してなんらかのペナルティを下す可能性」を示唆していた。しかし、チームは振り上げた拳を自ら引っ込めた。それは、この時点でロウがチームを離脱することがほぼ決定した何よりの証左である。すでにロズベルグが引退していたメルセデスAMGにとって、これ以上離脱者を増やしたくなかったのである。
テクニカルディレクターかチーム代表か、新しい役職はまだ明らかにされていないが、ロウがウイリアムズに行くことはほぼ間違いない。そして、その発表は早ければ、今週中にも行われるかもしれない。