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tofubeats×ジェイ・コウガミ、名著『誰が音楽をタダにした?』を語る 音楽はネット時代にどう生き抜くか

2017年01月11日 17:31  リアルサウンド

リアルサウンド

tofubeats×ジェイ・コウガミ(撮影=下屋敷和文)

 昨年刊行された書籍『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』(スティーヴン・ウィット著/早川書房刊)が評判を呼んでいる。ノンフィクション本である同書は、著者であるスティーヴン・ウィットが調査と取材、執筆に5年をかけ、音楽が“フリー”になるまでの流れを追った書籍だ。


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 今回、リアルサウンドでは、tofubeatsとデジタル音楽ジャーナリストのジェイ・コウガミ氏を招き、同書をもとに対談を行った。フリーダウンロードをはじめ、様々な方法でネットを使って音楽を制作・リリースしてきたtofubeats。そして、国内外のデジタル音楽サービスやテクノロジーに見識のあるジェイ・コウガミ氏。それぞれの立場から、同書の面白さや音楽とインターネットの関係、さらに音楽カルチャーの今と未来についてまで、じっくりと語ってもらった。(編集部)


・別々の軸で動いてきた音楽とテクノロジー


ジェイ:僕がデジタル音楽に関わり始めたきっかけもナップスターだったのですが、ナップスターは、当時のインターネットの世界を象徴していたと思っています。ストリーミングやフリーダウンロードも、その文脈を引き継ぎながら始まったものなので、本書は「違法ダウンロードというものがありました」というだけではなく、その後に続くインターネットの歴史を書いた本でもあるという印象を受けました。


tofubeats:僕も中学生くらいの時にナップスターを使っていました。当時はインターネットをやってる人間特有の帰属意識があったと思います。P2Pやナップスターを使って、使命感に駆られて曲をアップロードしたり、一晩かけてアルバム1枚をダウンロードする。そういった当時のインターネットを取り巻く雰囲気を思い出すことができました。インターネットを使っている人の高揚感や、悪意のない違法ダウンロード、アップロードをここまで描いた本は、今までなかったと思います。なので、僕らみたいな世代からすると青春小説のようでもあり、当時の自分たちを思い出す感覚もありました。


ジェイ:あの頃の自分は何をやっていたんだろうと思い出せますよね。


tofubeats:そうですね。あと、和訳は『誰が音楽をタダにした?』ですが、原題は『HOW MUSIC GOT FREE』なんですよね。その「フリー」には、きっと「無料」だけではなくて「自由」というニュアンスもある。音楽が「フリー」になっていく流れも記録されている本だと感じました。


ジェイ:インターネットが出始めた頃は、フリーが故に今までアクセスできなかった情報に手が届くようになったという魅力がありました。ただ、それが今になり、技術が発展しながらも、様々なしがらみや制限があり、フリーを最大限に活用した理想の形を実現するのは難しいということもわかってきた。さらに音楽の世界になると、「フリー」というものが誤解されやすくもある。配信は実はIT業界の中の話であって、音楽とはまた別軸の話です。だから、根本的な考え方や思想も異なりますし、必ずしも常に同じ方向を向いてるわけではない。そういうことを考えると、インターネットと音楽がどう関係を結んでいくのか、現状だとまだ発展途上の状態にいると僕は考えています。tofubeatsさんはフリーダウンロードも積極的に行っていますが、「フリー」というものを、どう捉えていますか?


tofubeats:フリーの最大のメリットはレスポンスにあると思っています。お金を払うというハードルは、小学生や中学生にとっては高い。でも、フリーであればパソコンさえ持っていれば曲を聴くことができる。僕は、タダで音楽を配って聴いてもらえて、リアクションが数字に反映されること自体に喜びや充実感を感じていました。そういう意味では、フリーであっても対価はもらっていたと思っています。あとは、「気前がいい」というのもありますよね。フリーで音楽を配っている人が代金をとる形でリリースをした時に、事前に作品に触れるチャンスが広がっているので、「このアーティストだったら買ってみよう」と思いやすいと僕は考えてるんですよね。なので、最終的にどちらが売れるかを判断するのは難しいですけど、興味を持ってもらえる可能性を増やすという意味で、フリーで配るのは、作品を売ることに対しても効果があると思っています。僕の場合は、そもそもフリーで配っていた音楽をレーベルの人が聴いて声が掛かったという経緯もありましたし。


ジェイ:僕はtofubeatsさんはインターネットから出てきたアーティストの代表だと思っています。その理由は、フリーダウンロードをやっているということに加え、自分のコミュニティを持ち、その中で活動しているからです。メジャーのレコード会社と契約して大きなライブハウスを埋めて武道館を目指すという、今までのロジカルな流れの中とは違うところで、tofubeatsさんは自分のスタンスを成立している。そしてそれを共有できる仲間がいて、サポート体制もある。そういう意味では、tofubeatsさんは決して一人で成功されている方ではなく、キャリアの積み方やハブ的な役割も含めて、インターネット的であると思います。


tofubeats:実際そうだと思います。去年設立10周年を迎えた<Maltine Records>で、僕たちがいろんな音楽をコラージュしてアップロードしていたのと、この本の内容は全く同じ時代の話なんですよね。この本が面白いのは、別々のところにいる三者がそれぞれ帰属意識や使命感を持っていて、その使命感ってどういうことなんだろう? と問いかけられるところ。MP3の圧縮技術を作りたい人たちの使命感や願い、メジャーレーベルの音楽を売るという仕事、そして違法アップロードしてる人たちの、たくさんの曲を手中に収めたいというコレクション意欲やシーンに認められたいという欲求。その三者の利害が衝突したりしなかったりするわけですが、誰も音楽をタダにしようと思ってないし、かと言って、誰も音楽のことを一番大事に思ってるわけでもない。それがこの本のミソだと思うんですよ。


ジェイ:僕もそこがすごく面白かった。登場人物はそれぞれ別のミッションに向かって進んでいく。成功している人もいるけど、すごく不器用で、思い立ったら一つのことをやり続けることしかできない人もいる。リークのグループから認められたいとか、こいつの鼻を明かしてやるとか、絶対負けねえぞという思いに駆られて前にドライブしていくわけで、そこに音楽は入ってないんですよね。誰一人音楽の話をしていない。


tofubeats:そうなんですよね。日本でも音楽のサブスクライブが始まった当初は批判が相次ぎましたし、僕も大学生くらいの時に、「フリーダウンロードをやってるやつは、音楽のことを大事に思っていない冷徹な人間だ」みたいなことを言われたことがありました。でも、そうではなくて、「一人でも多くの人に聴いてもらうんだ」と思っていました。むしろロマンがあるじゃないですか。フリーダウンロードで聴けるからこそ、世界の誰に届いているのかわからないわけだから。そういうことが人に伝わらずに葛藤することがここ数年多かったので、この本を読んでくれたらわかるんじゃないかと思います。


・“インターネットの時代”にキュレーションはなぜ重要か


ジェイ:配信やストリーミングは、アーティストも今後の活動について、特にインターネットとの接し方について考え始めるきっかけになったと思います。配信やSpotify、Apple Musicなどが始まったことで、今大切なことや、リスナーが求めていることを改めて考え直したり、あるいは新しく考えなくてはいけない。今はその過度期にあり、今後はその考えを実際の行動に移す人も、多く出てくるのではないでしょうか。


tofubeats:制作だけではなく、宣伝や曲をどう届けるのかというフォーマットの部分を見る力も大事ですよね。作るのと売るのは全く別の話で、この本の中だと、リル・ウェインのミックステープは、制作と宣伝の両方が時代に噛み合ったからこそ広がっていった。フリーで曲を配るという決意が乗っかった作品をちゃんと作ったわけですから。やっぱりタダでもらえたとしても、まずいものはいらないじゃないですか。


ジェイ:ミックステープがグラミー賞の対象にならないというのも、その典型的な例ですよね。チャンス・ザ・ラッパーはすごくいい作品を作っているけど、音楽シーンがまだ彼についていけていない。そこが音楽のジレンマだとも思います。ミュージシャンが「こういうふうに曲を売りたい、届けたい」という意志を持っていても、そのための環境が整っていないということは今もあったりしますよね。また、トレント(ファイル)という文化が浸透した結果、「音楽はタダでネットからとってくるもの」と考えてる人も多くいます。そのシステムと戦っているのがSpotifyや音楽ストリーミングです。CDが昔から売る方法や流通の仕方が変わらない一方で、海賊版は、インターネットの恩恵も受けて音楽を進化させていってる。そこに音楽ストリーミングが介入し、定額を払うことで合法で正規の音楽を聴いてもらうシステムを作ったことは、自然な流れだったと思います。なので、インターネットの可能性やポテンシャルを引き出すことで、さらに音楽を進化させていく人は今後増えてくるのではないでしょうか。ネットとともに、自分のキャリアや音楽を取り巻く環境をどういう方向に引っ張っていくのか、というのが、今後の肝になっていく。たとえば、ロンドンにはすでに面白いことをやっているミュージシャンがたくさんいます。SoundCloudを見ていると、自分のプロフィールとして音源を公開しているアーティストや、それをピックアップしているDJもいる。ネットでそういった活動をし続けている人たちは、同じネットの中からいい音楽を見つけてくる。そういうサイクルが確立している印象があります。


tofubeats:キュレーションってことですよね。DJのように、元々あるものを自分のフィルターで並べ直してユーザーに提供するやり方は、インターネット的だと思います。サブスクライブって、検索をしないと出てこない。自分がぶつかりたいアーティストが、スマホの一画面分しか出てこなくて、あとは検索履歴から自動的にサジェスティングしてくれる。中古CD屋で100円のCDを適当に買ってみるという楽しみ方が難しくて、そこが自分的には引っかかっている部分です。逆に、いきなりフランスのチャートを聴けるという面白さはあるんですけど。でも、そういう時にDJという存在が大事だと思います。僕は、2016年はレーベルの年だったと思ってるんですよ。レコードをリリースする人も増え、レーベル独自のカラーを持ちながら、リリースを続けているところの存在感がさらに際立っていくし、信用も増していく。それはレーベルがDJやキュレーションという役割も担っているからだと思います。


ジェイ:キュレーションが重要になるというのはその通りだと思います。その精度をどう上げていくのか、誰がどういうタイミングでキュレーションするのか……今後、様々な角度から実験を繰り返し、いろんなパターンが開発されるのではないでしょうか。ストリーミングには、レコード屋でジャケ買いをしたり、中古CD屋の100円の棚で探すという行為ができません。でも、そもそも、そういった行為も含めて音楽体験や音楽の聴き方だと思うので。


tofubeats:実際に身体を動かして音楽を求めてるわけですからね。僕はサブスクライブが広がることによって、音楽との接し方が二極化されるんじゃないかと思っていて。というのは、サブスクライブには1曲ごとの単価がないので、わざわざ全部買わなくていいし、適当に選んだ曲を聴いてもいい。そういう楽しみ方ができる一方で、自分で調べたものしか出てこないという側面もあるので、特定の場所に固まっていく人も出てくる。つまり、サブスクライブを使って多方面に広がっていく人と、一箇所に固まっていく人で二極化していくんじゃないかと思うんです。正直、DJのキュレーションなんていらない、って言う人のほうが現状だと多いと思うんですよ。これしか聴かないという人のほうが増えてしまったら、サブスクライブよりもYouTubeで聴くほうが簡単だから、サブスクライブごと衰退していく未来も考えられる。一概には言えないですが、僕個人の感覚としては、日本の音楽リスナーは新しいものを求めていないのではないかと、この一年で実感しました。なので、その二極化というところも含め、今後サブスクライブがどう受け入れられて広がっていくのか、あるいは衰退していくのか、興味深いですよね。


ジェイ:今後も日本のリスナーは独特な文化を培っていくという展開も想定できますよね。必ずしも世界と同じ波長になるかというと、まだわからない。また、こういったITサービスを提供する側は、ユーザーの需要にアジャストしていく宿命でもあるので。ただ、そこに、より広がりを求める人、「これしか聴かない」ではなく、「それ以外のものを聴きたい」と求めた時に、いろんな音楽を提案できる仕組みを作っておくということが大切だと思います。


tofubeats:音楽は、多様性を知ることのできる一番身近なものだと思ってるので、やっぱりいろんな音楽があったほうがいい。チャートも、いろんな基準、いろんな文化が織り混ざっていたほうがいいなと思うので、広がっていくほうで成功するように上手に使っていければいいですよね。


・“フリー”になった時、音楽の価値はどこにあるのか


ジェイ:今日、もう一冊別の本を持ってきました。『海賊のジレンマ』(マット・メイソン著/フィルムアート社)という本で、こちらはサブカル的なネットカルチャーの中で音楽や映像がどう広がっていったかということが書かれていて、 Myspaceやレコードプールの話も出てくる本です。『誰が音楽をタダにした?』は、音楽業界の形がどんどん崩れていく過程や「ネットと音楽」、「海賊版と音楽」というのを、どの立場から見るのかによって、感情移入するポイントやストーリーへの入り込み方が変わってくると思います。tofubeatsさんや<Maltine Records>のみなさんは、同じ時代に日本でも同じことをやっていた立場として、当事者意識が強いのではないかと思うのですが。


tofubeats:そうですね。繰り返しになりますが、僕らもインターネットに対する帰属意識を持っているんですけど、それを人に説明するのが難しいんですよ。


ジェイ:インターネットの中で画面上でやりとりしている人の間では通じるんですけど、その外にいる人にとっては、その実態が見えなかったり、その人たちの熱量が伝わらなかったりしますよね。


tofubeats:僕らも当時おかしいと言われてましたけど、情熱を傾けてやっていたわけで。この本にはそれと同じテンションがあって嬉しかったですね。あと「MP3は永遠」と書いている部分もあるんですが、絶対にそんなわけないじゃないですか。でも技術者はそう信じて作ってる。だからMP3はロマンなんですよ(笑)。MP3はなぜ高音と低音が減るのかって、実はすごい大事な話だと思うんですよね。つまり、ドイツ人にとっての音楽の大事な部分は、人間に聞こえないと言われている高音と低音を抜いたところなんです。そういうふうに、音楽の価値はどこにあるのか? と問いかけている本でもありますよね。たとえば、アーティストにお金を払うことが音楽への貢献だと思ってる人は、音楽がタダになったら、その行為が奪われる。そういう価値観の話でもあるし、それは現代においてインターネットとの付き合い方を考えることにまで適用できる。音楽だけではなく、コンテンツ全般を扱うというのはどういうことなのか、そしてその中で大事にしているものが浮き彫りになってくるから面白いんですよね。


ジェイ:「インターネットと経済」、「インターネットとビジネス」という話につながりますよね。本書は音楽が題目になっているだけで、同じようなことが他の産業でも起きているはず。既存の社会の仕組みに、インターネットという新しいシステムがぶつかった時、何が壊れて何が残って、人は何を選ぶのか。そういう価値観を問いかけてくるところはあると思います。個人的には、残るものが音楽だったらいいなと思いますが、それも価値観の違いの話なので、一概に音楽を選ばない人は悪という話ではない。また、日本でSpotifyのサービスが始まったのと同じタイミングで出版されたので、今の時代に音楽や音楽を取り巻く環境をどう見るのか、改めて考えさせられる本でもありました。Spotifyが日本に上陸したのは大きなことで、配信やストリーミングが注目されることで、既存の音楽の聴き方も変わってくる。音楽と接する方法が、よりネット的な枠組みの中でも実践できるような兆しを感じます。ただ、それですべてが変わるとも思っていなくて、やっぱり配信やストリーミング、サブスクライブも、音楽を聴く選択肢の一つ。今後は音楽とデジタルテクノロジーがより近くなっていければいいなとは思いますが。


tofubeats:2015年にサブスクライブが本格的に始まり、2016年を経てもそこまで大きく変わったという印象を僕は持っていなくて。もちろん水面下で少しずつユーザーが増えているんでしょうけど、そこまで大きなインパクトはなかった。世界的にはSpotifyがかなり広く浸透しているイメージもある中、日本では遅れをとってスタートしました。まだ日本の現行のシーンと、Spotifyで聴ける曲の数は一緒になっていないですよね。今後少しずつ変化していくと思うんですけど、現状だとまだ変わったと実感するには早いかなと感じています。(取材・文=若田悠希)